恐怖を煽る「脅威論」

第二次性徴に伴う、「初恋」の痛さ「pathétique」を、『悲愴』と訳したのは、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番の題名で、ベートーヴェン自身が付けたあんがいと少ない事例のひとつだった。

わたしは、上のように勝手にこの曲を、「初恋の痛み」だと解釈しているけれど、それはだいたいが「失恋」で終わるからである。
その失恋の理由がたいてい、「片思い」なのだ。

祖父母もいる親元で育つ幸せな子供は、だいたい自分の主張がとおるものだと勘違いしている。

それが、人生ではじめて、まったく通じないのが、他人に対する初恋というもので、自分の存在への自信が自分のなかで壊れるのである。

しかも、その相手たるひとも、どこかで密かに別のひとに片思いの初恋をしているものだから、だれにとっても「甘酸っぱい思い出」となるようになっているのである。

身体の変化が男子より早い女子は、急激におとなびるものだけど、いつまでも子供から抜け出せない男子は、ゆがんだ発達をとげることになっていて、それが、「嫌い嫌いも好きのうち」とかという屈折した複雑性と、仲間内に見破られたくないという見栄とが生じる。

そうやって、男の嫉妬は、女性のそれよりずっと質(たち)の悪いものとなる。

覚悟を決めることができる女性は一直線なのに対して、覚悟をなかなか決められない男は、逃げ道の確保と、いい子でいたい甘えとで、うじうじとするからである。
これを、「女の腐ったような」というのは、覚悟を決める女が基準にあるからで、女性を蔑視しているのではない。

その典型のひとりが、ローザ・ルクセンブルクだったろう。

この革命の戦士にして理論家は、覚悟を決めた女性の迫力を示すもので、彼女と真逆の立ち位置だったのが、保守革命のマーガレット・サッチャーに相違ない。

世の中に、「ソ連」があった時代には、「ソ連脅威論」が花盛りだった。

そのソ連が経済的に衰退しているのが否定できなくなったら、徹底的に軍事侵攻による脅威がいわれたのである。

しかし、同時に、アメリカでは「日本脅威論」が台頭したのである。

たとえば、C.V.プレストウィッツ.Jr著『日米逆転-成功と衰退の軌跡』(1988年、邦訳はダイヤモンド社、同年)とか、ダニエル・バーンスタイン著『YEN!-円がドルを支配する日』(1988年:邦訳は草思社、1989年)とかがあって、いずれもアメリカではベストセラーになったのである。(『YEN!』の画像左下はドイツ語版)

 

 

そうやってかんがえたら、いまの「中国脅威論」は、かつての「ソ連脅威論」とあまり変わらないようにもおもえる。
ただ、ロシア人よりも中国人のほうがよほどしたたかで、田中角栄からしっかり社会主義の統治方法を学んだのだった。

この意味で、中国共産党の近代化に、わが国の自民党や社会党、それに政府官僚たちが多大な貢献をしたのである。

では、上記の「(日本)脅威論」は、いまでは読むに値しない、噴飯物といえるのか?

アメリカ人(ことに裕福な層)は、これらの読書経験を積んで、どうかんがえたのか?といえば、これらの脅威を「信じた」のである。
一方で、日本人はどうしたのか?といえば、まさかとおもいながらも、悪い気はしなかったのである。

もちろん、アメリカを従えることの妄想を歓んだ。
ヒールレスラーが、「ギブアップ」といって、マットを叩いている姿に、満足するように。

誰がいいだしたのかはしらないが、「アメリカに追いつけ、追い越せ」という、敗戦後の国家スローガンの達成に、おそるおそる自信を深めていたのが当時の日本人だったのだ。

しかして、どうしてアメリカがいつもライバルなのか?

どうして彼我の国力の差を冷静に顧みることをせずに、対等だと思いこんでいられるのか?

これが相手を変えて、英国ともなれば、急に萎えて跪くのである。
どうして弱者の英国だとこうなるのか?

結局は、刷りこみがあるのである。

わたしは、上記二冊を読み込んで、どうしてこうはならずに日本はコケたのか?を問いたいのである。
彼らはちゃんとデータを挙げて論を構成したから、アメリカ人が脅威を信じたのだ。

すると、アメリカ人のその後の「防衛本能」がしたことこそが、「陰謀」ではなかろうか?
日本を追い落とすための諸策である。

たとえそれが、「同盟国」であろうが、アメリカ人は他国に従うことを許さない。
日本を許さないのではなくて、アメリカ人として許さないのである。

つまり、意思(目的や目標)をもって諸策の策定と実施をしたのがアメリカで、流れに任せて意志をもたなかったのが日本という構図になるのである。

戦後の有楽町ガード下を彷彿とさせる、『星の流れに』(1947年:昭和22年10月、テイチク、作詞:清水みのる、作曲:利根一郎)の、「パンパンの歌」の哀愁そのものが、その後のわが国の姿を予言しているのである。

なんと、わが国は、国を挙げて「パンパン」になってしまった。

その途中経過(「売春防止法」制定前後の事情が劇中の背景にある)が、溝口健二監督の遺作となった、『赤線地帯』(1956年:昭和31年、角川映画、出演は、京マチ子 若尾文子 木暮実千代 三益愛子 沢村貞子の女性陣に、進藤英太郎 十朱久雄 加東大介ら)で、本作を観れば、いまよりよほどまともな国会があったこともわかる。

単純に、自虐をいいたいのではない。
国家の意思を持てない国が、国民国家といえるのか?という問題をはらんでいるのだ。

日本よ、日本人よ、どこへいく?

幸せの青い鳥は、すぐそこの目の前にいるのに!
この悲愴な姿は、初恋すらできない、発達遅れなのではないのか?とうたがうばかりなのである。

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