1997年(平成9年)から2002年(平成14年)にかけて日活が製作したドラマのタイトルである。
原作は、リイド・コミックで連載されていた、平井りゅうじ・土山しげるの漫画作品だった。
いわゆる、「バブル後」の混乱期が背景にある。
それは、「昭和的」高度成長の残滓(ざんし:残りかす)であって、「借金」に対する警戒と、「貯蓄」に対する正義のことだ。
稼いだおカネをせっせと貯める。
これぞ、人生設計の王道だったのである。
そうやって、最初の大型支出は、住宅ローンの「頭金」で、まずは「マイホーム」を手にいれて、現役時代を通じて返済する。
これが「苦」ではなかったのは、インフレのおかげで、時間とともに返済額の「重み」も減ったのだった。
それがまた、ローンを返済しながら貯蓄ができた理由でもあるし、その貯蓄とは、教育ローンや生命保険などに形を変えたものだった。
これが、「借金も資産のうち」といわれた理由である。
ところが、デフレの時代になって、時間とともに返済額の重みが増えた。
一方で、低金利が背中を押して、住宅購入の意欲は衰えなかった。
それでも、「頭金」を貯めないと厳しいことに変わりはない。
こうして、「アベノミクス」がやった唯一の「効果」である、日本株の上昇が、「頭金作り」に貢献したのである。
そのために、日銀に日本株を買わせたのだった。
その方法は、バブルの「反省」で政府から独立させた「新日銀法」を「旧」に戻すぞという「脅し」であった。
このあたりの「凄み」が、安倍氏にはあったから、ずっとむかしから「御殿女中」と揶揄された日銀は、すぐさま「従順さ」を示したのである。
すると、哀川翔が演じる「エリート銀行マン」の「背徳」とは、日銀や2000年(平成12年)に設立された金融庁に対する「背徳」のことではないのか?
彼が重要顧客の預金を「使い込んだ」理由はどうであれ、はたまた、ギャンブルの借金で首が回らない警部補とか、同様に経営に失敗したクラブのママとかという、一種「自業自得」に陥ったひとたちが、あろうことか、「もっと悪徳な輩」を騙してカネを奪い取ることが、「正義」になっているのだ。
つまりこれは、「資本主義」ではない。
世の中には、資本主義批判のドラマだという解釈をするひとが「多数」なのだろうけれど、そんなわけがない。
結論から先にいえば、「経済学史」の大権威・大塚久雄教授が指摘した「前資本」のことなのである。
資本主義成立前の、「中世以前」までの人類社会のことだ。
しかして、全人類が信じている「資本主義」は、本当に「成立したのか?」という大疑問が、この「ドラマ」に一貫しているといってよい。
「私見」だが、わたしは資本主義が成立した「世界で唯一の事例」は、江戸期から第一次大戦までの日本だとかんがえている。
その「論」の、証拠のひとつとして『借王シャッキング』があるとかんがえるのである。
もちろん、産業革命のイギリスも、アメリカでさえも、「資本主義」は一度も成立なんかしていない。
「前資本」のまま、科学技術が爆発的発展をした「だけ」だとかんがえる。
大塚久雄教授がいう、「前資本」の特徴は、
・詐欺
・掠奪
・冒険
これが、「富を生む社会」だ。
だから、「欺すより欺される方が悪い」ということが、むかしからの「常識」なのだ。
しかし、対等な取り引きとして、契約を絶対視する「資本主義」は、詐欺や掠奪を、「犯罪」として認定する社会なのだから、絶対的に許さない。
前資本時代の常識であった「欺すより欺される方が悪い」は、完全否定されないといけないのである。
でも、そうなっていない。
資本主義とは、えらく「道徳的」な社会でないと、成立しないのである。
そんな道徳的な歴史があった国は、世界を見渡すと、江戸期を中心とした日本しかないことに気づくのである。
『借王シャッキング』よりも前、アメリカなら『スティング』があった。
1973年(昭和48年)の「犯罪コメディ映画」で、第46回アカデミー賞作品賞受賞作品なのである。
しかも、合衆国・国立フィルム保存委員会がアメリカ国立フィルム登録簿に2005年(平成17年)に新規登録までしている。
国家が、「犯罪」を「保存」しているのである。
なお、イギリスなら、文豪ウイリアム・サマセット・モームの短編『アリとキリギリス』がある。
雑誌『コスモポリタン』に連載されたものを集めた読み切り短編集の一冊のなかにある。
こうしてみると、イギリスにもアメリカにも、資本主義なんてはなからない。
すると、やっぱり「劣化した」のは、第一次大戦から現代までの日本がただ一国「当てはまる」のだ。
おそらく、これからもずっと「劣化」し続けるのである。
そうやって、「欺すより欺される方が悪い」が、常識であり続ける。
さてそれで、一気にコントロール不能のインフレに世界は突入した。
ならば、ここぞとばかりに「借金」をしておくのが、「借金ができるひと」には有利な時代がやってきた。
ただし、自分が住むための「住宅」を買っても、いいことはなさそうだ。