「字を書く」という行為の方法が、変化してきている。
そもそも、「紙」に書くのか、印刷するのか、それともどうするのか、もある。
たとえば、スマホやタブレットを「紙替わり」にしてメモをとるなら、あとから画像をみれば済む。
「覚え」としてSNS発信をするひとだっているだろう。
積極的にSNSを利用するユーザーならば、フォロワーになったひとの文章をみているはずだ。
すると、1日にいかほどの「文字数」を書いて読んでいるのか?
これを、宇野常弘氏は著書『日本文化の論点』で、「活字離れとはいえない」といっている。
たまたま、出版業界人だけが「被害」を訴えているにすぎない、と。
一般人は、出版物にある字「ではない」文字を大量に読んでいるのだ。
たしかに、さいきん昔ながらの「筆記具」を手にしなくなった。
「iPad」を買ってみたら、紙のノートが不要になったのだ。
それに、アップルペンシルという「ペン」を多用している。
「手書き変換」という機能をつかえば、手で書いた文字が活字にかわる。
もっぱら文字入力をしたい、というときには、キーボードをつかう。
「iPad」でもキーボードをつかいたくなるときはあるけれど、「専用」の必要性までは感じていない。
「携行」するときは、軽いブルートゥース・キーボードで十分だ。
そんなわけで、文房具へのこだわりが、萎えてしまった。
これまでの「ペン・資産」が、ただの「置物」になっている。
とくに、万年筆がそれだ。
たまにつかうのは、申請書に書くボールペンか、慶弔の筆ペンになった。
万年筆以前の毛筆は、もう何十年も手にしていない。
墨をすって半紙に文字を書いたのは、小学生のときばかりだった。
もっぱら「楷書」を習ったので、「行書」も「草書」も書けないから読めない。
ましてや、「旧仮名遣い」も「文語」もしらないから、古文書なんて無理である。
ある意味、驚くほどの劣化をしている。
古文書は、民族の知的財産・知の蓄積といえる。
まあ、いまさら嘆いても仕方がない。
そんな状況にあるのだけど、「文具王」というひとが、みずから開発に加わって、究極の「ボールペン」を追求している。
それは、もちろん、「書き味」の究極だ。
「神は細部に宿る」というから、ボールペンの書き味を吟味するとは、よほどの「細部」に入りこむことになる。
万年筆派からいわせたら、鼻で笑われるのだろうけど、そうはいってもボールペンを使わざるを得ないシチュエーションはある。
まず「王」の指摘は、文句なしのダントツの書き味を、三菱鉛筆の「ジェットストリーム」としている。
しかしながら、「完璧ではない」という。
それが、ペンのボディーにおける「安定性」が欠けることらしい。
その安定性とは、ペン先が「ブレない」ことと定義している。
ボディーの先が、ペン先をいかに支えるのか?がポイントになる。
それで、ペン先を包み込んで絶対安定させる構造になっているのが、ゼブラの「ブレン」だと絞り込んでいる。
問題は、ペン先とインクのリフィルの形状である。
残念ながら、オリジナルの「ジェットストリーム」は、「ブレン」のボディーにおさまらない。
ただし、「細くて」なのであ。
そこで、「王」が開発したのが、金属製の「管」だ。
この管にジェットストリームのリフィルを差し込むと、ブレンのボディーに、ピッタリ収まる。
それでもって、この「管」の販売価格は800円。
福島製作所がつくる製品名は、「ボールペンリフィルアダプターZB-01」という。
よって、1000円以上をかければ、「最高」が手に入る。
三菱鉛筆の設計者と、ゼブラの設計者は、これをどうみているのか?
まったくのクロスオーバーである。
ペン先のボールの精度とボールを支える機構、それにインク開発者の「完璧」が、ボディー設計で破られた。
一方、ボディー設計の完璧が、中身で追いつかない焦れったさ。
消費者は、これらのギャップを埋めるのに、さらなる出費を要する。
なかなかに、厳しい話なのである。
しかし、似たような話が「iPad」にもある。
アップルペンシルを使うには、そのままではiPad画面に傷がつきかねない。
そこで、画面保護フィルムが必要となる。
けれども、ツルツルのタイプとザラザラのタイプの2種類がある。
ペンシルで書くなら、ザラザラのタイプが「紙のよう」な書き心地をつくってくれる。
しかして、交換可能なペン先が、「減る」のである。
それでもって、このペン先は、純正品なら1個500円ほどであるから、ボールペンリフィルと比較したくない。
「消耗品で稼ぐ」のは、カミソリ・メーカーとゼロックスが構築したビジネス・モデルだ。
消耗品のボールペンリフィルが安いのは、筆記具メーカーが、「ボディー」を売っているという「驚き」でもある。
なるほど、それで華奢なボディーのペンばかりになったのか。
とくに、「クリップ」部分が一体成形なので、時間による劣化があって折れてしまう。
仕方がないから、新品を買わされる。
世知辛いのである。