銀行がおカネを創造する。
じつは、銀行は製造業のひとつで、「おカネをつくって販売(貸し付け)している『通貨ショップ』」なのである。
その「つくりかた」と「販売方法」が、ふつうの「モノ」とはややちがうだけである。
この重大な事実に気づいているひとたちの中から、支配者がうまれる。
別のいい方で、専門用語にして一般人を煙に巻くのが、「信用創造」だ。
具体的には、銀行がおカネを企業や個人に貸し出すことだ。
この企業や個人には、いくらまでなら貸せて、いくらの金利を取るか?が、銀行屋(かっこよく「バンカー:銀行家」と呼ぶ)の仕事の根幹である。
これらを決める判断材料が、「返済能力の評価」である。
そして、この評価された「返済能力」が、その企業や個人への、「信用」ということなのである。
だから、銀行家は取引相手の「信用度」を、金銭価値で査定するための努力をする。
それで、「信用」を得た企業や個人が、何らかの投資のために借入をして、それでもって、何らかの資産を手にしたら、おカネがなかった状態からレベルが変わった業務や生活の価値を得ることができるし、それらの業務や価値が、他企業などからの購入になるので、自動的に経済が回る。
このように、銀行家がカネを貸してくれることが、信用創造となって、経済を発展させるのである。
むかしの日本人がいった、「金は天下の回りもの」とか、足がついたようになくなるので、「お足」といったのは、通貨や経済の本質をついている。
逆にかんがえれば、銀行家がカネを貸してくれないなら、企業は新規投資もできないし、個人は新しい家やクルマを買えないので、雨漏りのする家や何十年もおなじクルマに乗り続ける不便を強いられるし、買ってくれるひとがいなければ、そういった商品(抽象的には「財やサービス」とよぶ)をつくっている企業や個人も困窮化する。
これを、「信用収縮」というのである。
もちろん、信用収縮は、そのまま経済を不景気にさせる。
すると、景気をよくするには、信用創造を促して、おカネを貸し出すことがひつようになる。
ここであんがいと欺されるのは、銀行はあたかも預金を貸し出している、という「信仰」をさせられていることだ。
銀行は信用創造のための燃料として預金を集めている、とおもわれがちだが、ほんとうは、この「錬金術」に預金はひつようない。
預金の10倍以上を貸し出すから、「信用創造」という。
端から冷静にみたら、巨大詐欺のようなことが銀行業なのである。
日銀が、異次元の量的緩和をずっとやっているのは、ほんとうは信用創造を促すためのはずなのに、ぜんぜん日本経済が好転しないのは、銀行家による信用創造が起きないことによる。
なぜか?
銀行家による、信用査定をさせないで、「不動産担保だけ」を貸し出し条件にしろと、一方で金融庁が命じているからである。
金融機関を検査する、「金融検査マニュアル」がそれだ。
これで、銀行家は信用創造ができなくなったのだ。
では、金融庁とは何者なのか?
じつは、日銀の「別働隊」なのだ。
つまるところ、マッチポンプだ。
日銀本体が、どんなに異次元の金融緩和でおカネを刷って市中銀行の日銀口座におカネがあっても、別働隊の金融庁が、これを市中に出さないように蛇口を絞っている。
なるほど、「異次元」とはこのことだ。
それで、景気をよくしたい政府は、日銀を頼らずに、業界ごとに「補助金をまく」ことしかできなくなった。
観光業がしがみつく、「Gotoトラベル」が、わかりやすい例になっている。
しかし、これは、一般に経済学でいう「禁じ手」とされる、政府の個別介入にひとしい。
なぜに禁じ手なのか?といえば、それが政府による業界直接支配になるからだ。
現に、この業界の政府依存は、もう自主的な発展を諦めたのではないかと思えるほどの中毒症状を示している。
学生達や親が気がついて、就職先の選定先からはずれだした。
人的サービス業で、新規人材が確保できないこととは、未来の滅亡を意味するのだ。
そんな「股裂き」状態を、政府と日銀が演じているのは、「新日銀法」(1998年:平成10年施行)による、日銀の政府からの自立、を根拠としている。
やったのは、橋本龍太郎内閣だったし、やらせたのはBIS(国際決済銀行)である。
ちなみに、黒田総裁の前任で安倍氏に解任された、白川総裁はBIS理事会の副議長に就任して、なんと「ナンバー2」になっている。
BISにおける白川氏の前任は、ドイツ連銀総裁のハンス・ティートマイヤー氏(2016年12月27日死去、享年85歳)だった。
第一次大戦のドイツ賠償金の山分け機関がBIS発足の理由でヒトラー政権もきっちり返済していたから、信用あるドイツ人だって副議長になれる。
結局のところ、景気循環とは、BISと配下の各国中央銀行が「創造」していて、いまは、「不況になるように」調整する時期にあたっている。
そうやって、企業などから差し出させた「担保」を、タダ同然で奪い取るのである。
一通りの収奪が終わると、「好景気」の時期にして、また貸し出し(担保を差し出させる)を増やす。
ところが、金融工学が発達して、「通貨」とは別の「債権」が大量に出回ったが、さらに、「ビットコイン」に代表される、ブロックチェーン技術による「分散型」のデジタル通貨が誕生した。
これは、ハイエクが理想とした、『貨幣発行自由化論』の現実化であり、統一支配を継続したいBISにとっての悪夢でもある。
BISと配下の各国中央銀行の神通力が過去に比べてずっと弱まってしまったのである。
それで、各国中央銀行は、デジタル通貨を躍起になって開発している。
マスコミは、「瞬時に世界を回る」というけど、それはやっぱり、BISを介しての瞬時なので、分散型デジタル通貨の仕組みとはぜんぜんちがう。
つまるところ、マネーの攻防は、既存の法定通貨(中央銀行が発行するデジタル通貨も)に対する、ブロックチェーン技術による分散型デジタル通貨との攻防になっている。
ブロックチェーン技術をつかわない、「デジタル決済」は、個々人の生活情報を把握されるために、利用してはいけない仕組みなのである。
これが世界標準になったら、ユーチューブがバンされるごとく、個人をターゲットに管理者から利用停止されたら、コンビニで水1本買えなくなる。
そうやって、人類の奴隷化が完成する危険がある。
おカネがない!では済まないのが、おカネを使えなくなる恐怖の支配なのだ。