「政府は万能だ」という勘違いを、政治家も役人も、そして国民もしていたら、全体主義になるのは歴史が教えるところだけれど、隣国たちから指摘されたように、わが国は「歴史を忘れた国」だから、何度でも過ちを繰り返す、「学習能力がない国」になってしまった。
政府はとんでもないことをする。
幸か不幸かといえば、不幸だけれど、あんまり「専政」がひどいから、国民が立ち上げって「革命」を起こしたことで、政府の権力をどうやって押さえ込むのか?という仕組みを開発したのは、「肉食系」のヨーロッパだった。
対するわが国は、百姓一揆で命を賭けて、ご公儀に藩がお取りつぶしになるのがせいぜいで、400万石の幕府直轄地では、御法度で通された。
大正時代の打ち壊しや米騒動も、政府に直接政策変更を迫ってはいない。
それでも一応暴れるから、完全草食系ではないので、「雑食系」なのがわが国の国民性なのだろう。
ただし、このところすっかり「飼いならされて」、「家畜系」になっている。
わが国の鉄道のプラットフォームは、列車の床高とあわせるために、ずいぶんと線路面から高くつくられている。
この点、ヨーロッパの鉄道は、プラットフォームが低い分、列車の入口に段差がある。
それで、まちがってひとが落下すると、落ちただけで怪我をする。
目の不自由なひとたちには、欄干がない橋、という危険があるし、さいきんの日本人は「同胞意識」がなくなったので、めったに声かけして助けない。
それで、点字ブロックがあろうがなかろうが、犠牲者がたえない不幸がある。
そこで、「優しい」政府が、ようやく目を覚まして、官房長官が「ホームドア設置整備」をすすめると記者会見で述べたのがニュースになった。
このひとは、元大蔵官僚である。
政府の役割と、企業の役割の区別がついているのか?という疑問がある。
もし、政府が、鉄道会社に「やれ」と命令したら、それは「正義」なのか?
わが国の鉄道会社は、ぜんぶ「民間企業」なのだ。
つまり、「株式会社」である。
株式会社に、投資を促すのは「株主」であって、政府ではない。
さらに、政府が何をするのかを決めるのは、国会である。
つまり、政府が「ホームドア設置」を民間企業に促すには、第一に国会の承認がないといけない。
なぜなら、技術開発を政府がやるにしろ、補助金を出すにしろ、その予算を認証するのも国会だからである。
あたかも、官房長官の発言は、「優しい」ようにみえるけど、国民のための仕組みからしたら、ぜんぜん優しいどころか、単なる越権行為である。
もちろん、ホームドア設置はどんどん推進されるべきものだ。
しかし、その方法を間違えるのは、民主主義と資本主義のシステム全体を狂わせると指摘したい。
中央政府がこんなだから、地方政府も狂気を発する。
東京都知事の「与党」である、「都民ファースト」という都議会最大会派が、「罰則付き」のコロナ対策条例案を提出したというニュースである。
いよいよ、都知事の思想の本質である、「全体主義」が露わになった。
都民は、選挙で何度でも繰り返し「欺される」。
まったくもって、隣の大国のトップがいう「日本人は何度も欺すことができる」と同じ評価となる。
それは、歴史を忘れさせるという「戦略」、つまり、「歴史戦」での相手の勝利すなわち、われわれにとっての、「完全敗北」を意味するのである。
PCR検査についての「妖しさ」は、このブログで何度も繰り返し主張してきたことである。
これは、わが国の「医療史」で、初めてとなる、病気の「診断」が医師でなく、検査だけで行われることを指す。
つまり、「医療崩壊」とは、このことなのだ。
医師は、その知見と経験から、あらゆる可能性を考慮して「診断」し、それをもって、「治療方針」となすのだ。
だから、「聴診器もあてない」という素人の批判は、あてにならない。
顔色を見ただけで、診断できることだってある。
この条例案は、PCR検査拒否に対する罰則という「風情」を漂わせてはいるけど、そこには、「医師」の存在を無視するという本音があって、「知事の命令にも従わない場合」という、今後、どんなことにも応用できる言葉がさりげなく含まれている。
驚くべき専制的な条例案なのである。
都民でないわたしがいいたいのは、都がライバルだと思い込む単純脳の神奈川県知事が、これを真似ると予想するからである。
案の定、東京を常に意識する県民性の、福岡県が似たような条例案を検討している。
すると、その福岡県を常に意識するという県民性の、鹿児島県にも波及して、とうとう全国へ普及すれば、国の勘違いと融合して、あっという間に全体主義国家となるのである。
この危険な情勢を察知している一部のひとたちが、先週末に東京で、「トランプ応援デモ行進」を行っている。
やり場のない気持を、「トランプ氏=水戸黄門」に見立てての行動だとおもわれる。
だから、大統領選挙の結果がはっきりしない「いま」を狙って、全体主義者たちが、早いもん勝ちの行動を起こしているのである。