政府役人の残業削減だってさ

河野行革相が、なんだかハッスルしている。

このひとは、学校を出てから富士ゼロックスでサラリーマンを経験しているけれど、あんまりそのときの経験が役に立っているのかどうなのか?判明しないのは、エリートだったからだろう。
下積み経験が薄い不幸である。いまは国民が不幸になる番になった。

「はんこ」の話では、走りすぎたから、今度は公務員の残業削減に励むそうである。
まさか、電灯を消して「早く帰れ」とか、「ノー残業デー」とか、「プレミアム・フライデー」とかをやるんじゃなかろうか?

役人の仕事を減らすのは、とっても簡単なことに気づいていないらしい。
それは、今年度予算を返上させて、次年度から予算をつけなければよいだけなのだ。
「必要な業務ができなくなる」とかと脅して抵抗されても、動じてはいけない。

役人が自分からいう必要な仕事など、役所にはない。
いや、あたかも、必要そうな仕事を作りだして、それを「必要だ」といっているだけだからである。
つまり、役人が仕事の「自己管理」をしている大間違いがあるのだ。

民間と違って、役人に仕事の自己管理をさせてはいけない。
ここが国民にもわからないのは、わが国の実態が、三権分立していないから、役人をこうさせるのだ。

ほんらい行政府とは、立法府が決めたことを執行する役割「しか」もっていない。
だから、大臣が、国会議員から原則任命されるのである。
つまり、国会で決めたこと「しか」させないための、監視役が大臣の本分なのである。

むかし、「行政管理庁」という役所があった。
昭和23年設立だから、占領中にできた役所である。
どんな意図で設立したか?は、GHQの事情と、外地から引き上げた役人の働き場所の確保との両方から吟味しないといけない。

でも、GHQは、わが国の弱体化という使命があることを失念できないので、たぶん、後者の職場確保ということが優先だったのだろうと推測する。
それは、厳しく三権分立しているアメリカ人なら、行政組織が行政組織を管理することのナンセンスをしらないはずがないからだ。

もしこれをやるなら、裁判所の権限にさせるのが、「まっとう」である。
いま、アメリカ大統領選挙のトランプ陣営がやっていることが、どういうことかをかんがえると、その厳密さが浮き彫りになるばかりなのだ。

行政府の長である、大統領を独裁者にさせないための仕組みが、ふんだんに用意されている。
だから、トランプ氏を「独裁者」だということのナンセンスは、アメリカ合衆国の仕組みをしらないか、ただのプロパガンダになるのである。

そんなわけで、わが国を占領して、憲法まで変えさせられたけど、日本国憲法はアメリカ合衆国憲法とは似ても似つかぬものとなっている。
明治憲法の改正というやり方なのに、明治憲法を殺して、結局は日本国を殺した。

河野氏は、アメリカに留学して、一体何を学んできたのか?
もしや、『ザ・フェデラリスト』も『アメリカのデモクラシー』読んでいないのでは?読んだとしても、理解できたのか?
はた目からは、疑問だけがのこるのである。

 

すると、あまった予算をどうするか?という問題が発生する。
しかし、ぜんぜん問題ではない。
政府の収入が余っているのなら、減税すればよいのである。
すると、ほんとうに予算が足りなくなる。

これを、「財政危機」という。

ならば、まっ先に人員削減をして見せればよい。
きっと、「公務員の身分は変えられない」と抵抗するから、「変えられる」法律をつくればよい。
こうした法律を立法できない、国会の不始末が、国民の不幸なのだ。

だから国民にとって、政府の財政危機は、この意味で歓迎すべきことである。

河野氏がやるべきことは、国会議員として、国会の不始末をどうするか?なのである。
しかし、この困難さは、おそらく、「不可能」にみえるだろう。
ひとりではできっこないし、何人の国会議員の賛同がえられるか?も知れない。

優秀な河野氏は、だから国会の不始末に言及しない。
それでもって、無意味を承知で役人いじめをするだろう。
ところが、役所組織が整備されたうえでの役人の恐ろしさは、行政権におけるあらゆる手段で抵抗することにある。

この抵抗には、攻撃もふくまれる。
この攻撃には、脅迫もふくまれる。

行政組織が、立法府の議員を追いつめるのだ。

行政組織には、警察がある。
しかし、ここでいう警察とは、警察庁とか、都道府県の警察だけではない。
検察は、警察より強力な捜査権をもっている。
国税は、税の徴収にかかわる警察権をもっている。

そんなわけで、アメリカで起きているトランプ政権の「沼の水抜き掃除」が、たいへん参考になるのである。

トランプ政権は、この歴史的大掃除に成功するのか?
それとも、あえなく失敗するのか?

彼は、8年前の、大統領選への立候補を見送ったときから、「大掃除」を意識していたことが、その発言やつぶやきの記録から、いまあらためて明らかになってきている。
しかも、30年前のテレビインタビューですら、いまと変わらぬ主張をしているのだ。

それでの、「用意周到」なのである。

優秀な河野氏が、これに気がついていないわけがない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください