新しい「中世」は本当だった

歴史の時代分けにある、「中世」というのは、いわゆる、「封建時代」のことをいうけど、ヨーロッパと日本でのニュアンスのちがいは否めない。

ヨーロッパでの「中世」は、ローマ教会(カソリック)が精神的支配をしていた時代で、教皇が王権の上に君臨していたという特徴がある。
それで、「暗黒の中世」というのは、後世の宗教改革(プロテスタント)の方からの見かたになっている。

基本的にこの時代の主たる産業は、ヨーロッパでも農業だった。
けれども、教会による支配と領主による世俗的支配とが重なって、農民は移動の自由がなく土地に縛りつけられていた。
これを、「農奴(serf)」という。

わが国では、「荘園公領制」という区分がつかわれているので、平安中期から太閤検地までをいうことになっていて、それからは「近世」という。
特定の研究者は、わが国でも農民を「農奴」と位置づけるひとたちがいるけれど、あんがいと移動の自由があって、村ごと別の領主に駆け込むこともあった。

田中明彦著『新しい中世』(1996年、日経新聞出版)は、この時期の「騎士」や「侍」に焦点をあてて、騎士や侍が「主君を選ぶ」ということに注視している。
徳川幕藩体制のように、主君が絶対的な上位であったのとはちがうことに注意したい。

21世紀は、個人が主君(企業)と契約を結ぶ(選ぶ)時代になるとの予想から、「新しい中世」という表現をしている。

ヨーロッパ中世のもう一つの象徴的特徴は、「錬金術」の流行がある。
「聖書」に記述がないとされる研究が、圧倒的な弾圧を受けるなか、「金を製造する」という分野は、知的興味の「隠れ蓑」になっていた。
もちろん、「錬金術師」といえば、「いかさま師」のように聞こえるが、いまでいう「研究者」と「マッド・サイエンティスト」の中間に位置していた。

「隠れ蓑」になれたのは、聖職者たちの「貪欲」による。

ひとり、ふたりなら「汚職」となるが、教会組織全体(すくなくとも幹部全員)に行き渡れば、それを「腐敗」といって「汚職」とはいわない。
スペインとポルトガルが新しく発見する「領土」を、教皇に貢がせるための取り決めが、「トルデシリャス条約(1494年)」と「サラゴサ条約(1529年)」であった。

この「条約」によって、わが国にはスペインではなくポルトガル人がやってきたのである。
ちなみに、「南蛮人」とは、この両国人を指すが、日本ではポルトガル人のことであり、「キリシタン(切支丹)」もポルトガル語が由来のカソリック教徒をいう。

話をもどすと、錬金術師がやったさまざまな「実験」から、「化学」が醸成されていく。
また同様に、たとえば、「磁力」のように、「魔術」とされてきた現象の「法則」が発見されて、「物理」の醸成もはじまって、レンズの発明から「天体観測」へとすすむ。

ここから、「ルネサンス」がはじまる。
むかしは、「古典復帰運動」とかいっていたけど、いまはいわない。
この用語には、「現代(=中世)の否定」という重要な要素が隠れてしまうからである。

そんなわけで、錬金術師による実験のなかから、「サイエンス」が醸成されて、それがガリレオに代表されるように、教会がなんといおうとも「それでも地球は回っている」とつぶやいたのは「事件」だったのだ。
とはいえ、ガリレオの裁判から400年、1983年にヨハネ・パウロ二世が「謝罪」し、1992年にようやく教会は正式にガリレオの「名誉回復」をしたのだった。

この「ニュース」を当時、冗談のように笑うひとがいた。
地球が太陽の周りを回っていることが「当たり前」だという常識からすれば、「なにを今さら」ということだろう。
笑わずとも、「ほんわかするニュース」と感じたひとも多かろう。

しかし、そこまでの「時間」が教会には必要だったのである。
この「時間」とは、「忘却のための時間」のことである。
つまり、ローマ教会はいまだに「中世」にいる。
教会の発表で次の言葉が印象的だ。

「間違っていたなら正す」

「間違い」に気づくのに、400年かかったのである。
おそるべき「権威主義」である。
教会の権威に傷がつかない、という判断があってのことだと推察できる。

さてそれで、どんどん「緊急事態宣言」が延長されて、いつまでだかわからなくなった。
それに、飲食店(飲み屋)で、酒類の提供までできなくした。

「憲法」との問題で争っているのは、全国広しといえども、グローバルダイニング社のたったの1社だけ。
当該企業が、現代の「ガリレオ」になっている。
当時の教会に楯突くものは誰もいないかのようだ。

そんなわけで、社会が「錬金術師」、いや「いかさま師(マッド・サイエンティスト)」の側に立ってしまって、「行政」という権威にただかしずいている。

「行政」が、「教会」になって、「知事」が「教皇」になって、首相といえども「コントロール」を失った。
実質的「無政府状態」に陥ったのである。

まさに「中世」に回帰してしまった。

さては、「コロナ禍」とはなんだったのか?
人類は、400年後にその実態を「正式」にしらされることになるのだろうか?
それとも、永遠に不明のままか?

不明ならば、「新しい中世」で、歴史が終わった、という意味になる。

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