宿泊事業者には、「事業免許」がひつようで、わが国にはその根拠法がふたつある。
圧倒的多数で、事実上これしかない状態になっているのは、旅館業法による許可である。申請窓口は、地元保健所。
圧倒的小数で、事実上もはや新規許可がおりないのは、風営法による許可である。窓口は、地元警察署。
風営法による許可を得ていたのは、むかしの「連れ込み旅館」であった。
老朽化による建て替えをすれば、旅館業法での許可申請しかできなくなっているので、「連れ込み旅館」のようであっても、法的にそうでない施設がふえていて、全部が旅館業法によるようになるのは「時間の問題」になっている。ようは、寄せられている。
むかし、教職員組合の全国研修会予約を受け付けた大手ホテルが、政治団体からの街宣車などがやってくることを理由に、一方的に予約契約を破棄して、事実上研修会の開催ができなかったことがある。
これが裁判になって、ホテルが負けた。
研修会場となる宴会場の予約契約解除よりも、参加者の宿泊予約が、ホテル側の一方的都合で破棄されたことが問題になったのである。
なぜなら、ホテル側が一方的都合で予約を「拒否」できる理由が、旅館業法に定められていて、これに「該当しなかった」からである。
第五条 営業者は、左の各号の一に該当する場合を除いては、宿泊を拒んではならない。
一 宿泊しようとする者が伝染性の疾病にかかつていると明らかに認められるとき。
二 宿泊しようとする者が賭博、その他の違法行為又は風紀を乱す行為をするおそれがあると認められるとき。
三 宿泊施設に余裕がないときその他都道府県が条例で定める事由があるとき。
ということで、昨今の新型コロナウイルスに関して、「感染者」を旅館業法のうえで営業しているホテルなどに収容しようとして、国家行政サイドが、「客室の確保」をしているのは、どうかんがえればよいのか?
第六条 営業者は、宿泊者名簿を備え、これに宿泊者の氏名、住所、職業その他の事項を記載し、当該職員の要求があつたときは、これを提出しなければならない。
2 宿泊者は、営業者から請求があつたときは、前項に規定する事項を告げなければならない。
第十一条 左の各号の一に該当する者は、これを五千円以下の罰金に処する。
一 第五条又は第六条第一項の規定に違反した者
なお、命和元年6月15日より施行の改正によって、罰金の上限は「50万円」に引き上げられている。
ついでにいうと、政府の「e-Gov」によると、「最新」に更新されていない。
そんなわけで、罰則が強化されているものの、「軽症者」を「受け入れろ」というのは、自己矛盾もはなはだしい。
また、「宿泊者名簿」の義務とは、チェックイン時に本人に記入をさせる「レジストレーション・カード」のことで、もともとが「感染源」を探るためのものである。
つまり、どうして旅館業法の所管が「保健所」なのか?という理由が、まさに「伝染病」をおそれたからである。
たしかに、医療機関をパンクさせてはならないという社会の要請を無視するわけにはいかない。
けれども、宿泊施設は、そもそも「病院ではない」から、問題は従業員への二次感染を防止するための手段がなくてはいけないし、大型クルーズ船であったように、宿泊者どうしだって安全性を確保しなければならない。
これをさせずに、ただ「受け入れろ」というのは、宿泊業にかかわるひとたちに対する「差別」にならないか?
今回の「パンデミック」でわかったことは、政府や地方自治体が、そろって感染症対策についての事前マニュアルがなかったことを示したことである。
つまり、厚生労働省の旧厚生省が、なにもしていなかったから、中央集権体制のわが国では、地方自治体もなにもしない、ということになっている。
江戸時代の幕藩体制に劣るのだ。
もっとも多数の「感染者」(ほんとうは「患者数」が重要なのだが)がでている東京都をかんがえると、江戸時代なら北と南の両町奉行は切腹ものだし、藩にあっては、「不届き」としてお取り潰しの憂き目にあうだろう。
都知事や各自治体の責任者は、その責任の「軽さ」に感謝すべきである。
しかし、宿泊施設従業員への配慮のなさは、まったく別で、おそらく配慮しなかったのではなくて、「意識もしなかった」のだとおもわれる。
法律を主管する、主務官庁として、まったくなっちゃないどころではない。
すなわち、「誰のため」「何のため」ということすらなく、「場あたり」の「対処」しかないことを示したのだ。
わが国のトップ学歴の「官僚は優秀である」ということと、「法治国家」ということも、じつは「イリュージョン」だったとなれば、まさに、「このあと」をかんがえると、「なんらかの変革」の時期がやってくるのはまちがいない。
それが、いっとき、われわれの暮らしやすさがうしなわれようともだ。
生きていくのに「覚悟」がいることになった。