わが国が、社会主義計画経済体制から、いつ、自由主義経済体制へと体制転換するのか?をかんがえたとき、当然ながら参考になるのは、いちはやくこれを果敢に実行した中国である。
鄧小平が実権を握ったとき、上記の、「御用学者たち」が活躍したのであるから、やっぱり政治が先なのである。
中国の先見性から遅れて、ソ連圏の歴史的破滅となった、「体制変換」で、ソフトランディングに成功したのは、ポーランドだった。
社会主義国で「敵の研究」のために、自由主義経済を極秘で研究していたのが、レシェク バルツェロヴィチ(Leszek Balcerowicz)氏(民主ポーランド財務大臣、ECB総裁を経てワルシャワ経済大学教授)だった。
邦訳された著書、『社会主義、資本主義、体制転換』は、日本語版序文に、現代「日本に役立つ」として、わが国の社会主義体制を示唆している。
すると、本来であれば自民党がこの役割をすればいい、とかんがえるひとがたくさんいることはわかっているのだが、いまさらそんな期待を自民党に抱いていていいのか?と自問したい。
なにせ、その自民党政権が、狂ったように、「立法爆発」させて、とうとう家族破壊まで開始した。
法律がたくさんできるということは、規制がたくさんできるということだ。
そして、規制がたくさんできるということは、公金チューチューのための予算がたんまりつくこともセットになっている。
なんとか財団とか、なんとか協会が設立されて、またまた役人の天下り先が増えることも意味する。
わが国における「国会」が、法律工場であると同時に、国家予算の審議機関であることの意味は、まさにこうした仕組みになって、国民の自由(財産の処分もふくむ)を侵害するための機構に陥ってしまったのだ。
規制で自由が奪われて、徴税で財産権(可処分所得)も減らされる多数に対し、それをうま味とする少数の者たちだけが肥る社会だ。
鄧小平のおそるべき智恵は、支配と富の分散の絶妙をやってのけたことにある。
この意味で、自民党の親中派とは、たしかに「いまよりはまし」の体制転換派ともいえる。
とはいえ、日本のばあいは、とにもかくにも、「民主主義」でないといけない。
その民主主義が「機能する=動く」には、なにがひつようなのか?をかんがえると、ベースにあるのは、国民が政治を監視する、という態度を仕組み化することにある。
これを、戦後教育世代(=「団塊の世代」ともいう)以降の日本人は、「選挙」だと信じ込まされてきたのである。
誰に?
GHQにだ。
昭和40年代(1965年~75年)まで、つまり1947年~49年生まれの「団塊の世代」が選挙権を持つまで、わが国のあらゆる選挙の投票率は、だいたい8割を超えていた。
この団塊世代という、巨大な人口の「塊(かたまり)」の動向が、当時は「若者文化」とか「ヤング」といわれて、その層の厚さゆえに、さまざまな消費シーンで威力を発揮したのだが、おなじように選挙にも威力を発揮したのである。
それが、「棄権」だった。
選挙(=政治)なんかに興味はない。
投票所に行くくらいなら、パスして遊びに行く。
旧制の学校教育を受けていた親世代は、投票してから出かければいい、といってもきかなかったのである。
しかも、敗戦時おとなだった親世代の生活には、GHQが禁止した「隣組:五人組」の制度があったのだ。
これは、本来は、近所どおしの「互助組織」であった。
それを、近隣の監視システムにしたのが、戦時体制という全体主義だった。
それでもって、戦後ものこったのが、町内会における「班長制度」やら、ゴミ集積所の掃除当番とか、「防犯連絡所」という持ち回り看板だったのである。
「遠くの親戚より近くの他人」、が、そのままの生活があった。
なので、ずっと近所が近い生活だったし、娯楽も限られていたから、みたくなくとも行動がみえたものだ。
それに、どこかへ旅行へ出たら、かならず近所にも土産を配って、どこにいってきたのかも自然と報告しあっていたのである。
そうやってできた、「横並び」の心理が、家電の三種の神器にもなって、急速に普及したのである。
しかしながら、戦後教育世代(=「団塊の世代」)は、すっかり「自分だけ主義」を、欧米の「個人主義」と勘違いして、一票の価値を軽くみるように育ったから、自分ひとりぐらい棄権しても大勢に影響ないとかんがえるのがふつうになったのである。
けれども、民主主義における「監視」とは、ふだんから地元政治家の言動を監視することなので、これを制度化しないですすめたGHQの「日本民主化」とは、破壊的な悪意があったといわざるを得ない。
つまり、しっていてやらなかった「わざと」なのだ。
それでもって、アメリカではふつうの、一般人の政治活動への参加が、日本では胡散臭いもの、とされて、日本人は政治参加といえば選挙投票だけに限定されたし、政党も政党組織の組織化をやらず、政治家本人の後援会をもって組織と呼ぶことにしたのだ。
この方法が続く限り、わが国で民主主義の方法による「体制転換」は起こり得ない。
「システム」がないからである。
すると、ずっと溜まったエネルギーはどうやって抜けるのか?といえば、よくある三等国での「政変」しかないという悲惨となる。
ここに、中国やらの外国が、「騒乱に乗じて」と、舌なめずりして待っているとすれば、もはや絶体絶命の危機が準備されている状態となっているのである。
自民党が近代政党ではないために起きる、予想される悲劇である。
茂木幹事長が発表した、2022年末の自民党員数は、112万人というけれど、党になんの影響も、主たる活動もなんにもしない「党員」とはなんなのか?
アメリカの共和党RINO(Republican In Name Only)どころじゃない、完全名ばかり党員の112万人なのだ。
どんなにシャンシャン大会をやっていても、中国共産党が立派にみえる。
自民党員の無能が、わが国を亡国に追い込んでいる。