日本語能力証明書の「偽造」

「資格」というのは信用をもってなりたつので、信用が毀損されることは「資格認定する側」からすれば死活問題である。

しかし、昨今、日本ではたらくことを希望する外国人には、日本語能力試験の認定書が「偽造」であっても欲しいという、つよい需要があるというから、これはこれで結構なことである。

もちろん「偽造」が結構なことではなく、「認定書」へのつよい需要のことをさす。
それで、偽造した書類をつくって商売にしているのが、どうやら中国らしいから、これもこれで結構なことである。

もちろん「偽造」が結構なことではなく、需要があるところに目ざとく供給して商売にするということである。
これぞ「ビジネス」の鉄則であるからだ。

報道によると、偽造証明書を購入して逮捕・起訴されたひとの公判で、フェイスブックで偽造業者をみつけた、ということがわかった。
このときの言語が何語だったのか不明だが、もし日本語だったらたいした情報収集力であるし、中国の業者側もどうやって記述したのか?

自動翻訳だったのだろうか?
つかまったひとたちの東南アジア各国語での「販売」だとしても、それはそれで「手間」がかかっているはずだが、代金は1万円だったというから、はたしてこの金額で海外発送までして儲かるものか?

もちろん、この「代金1万円」をどうやって支払ったのか?という問題もある。
銀行からの送金なら、1万円の送金にそぐわない高額の手数料が請求されるから、おそらく別の方法だろう。

偽造側も日本円で支払われたものを、どうやって中国で受け取るのか?
まさかクレジットカードということもなかろう。

残念ながら、記事からはわからない。
わが国を代表する「経済紙」にしてこのていたらくである。
「経済」に特化できないなら、社名から「経済」を削除するか、いさぎよく看板をおろすべきだろう。

自国公用語の言語の能力が在留資格の取得に重要な意味をもつのは、世界的には共通事項だ。
英語が極端に苦手な日本では、とくに日本語がつうじないとはなしにならない。

それで、日本人の英語力を高めることよりも、日本にきてはたらきたい外国人の日本語力を高めるほうが手っ取り早いという具合になっている。

この日本人にとっての都合のよさは、残念ながら外国人にとっても重要で、雇用主の日本人と意思の疎通ができないと、たいへん残念なことがおきると予想できるからである。

ところが、こまったことに、日本語が世界的に難易度が高い言語のひとつとされている。
それは、日本語のルーツがいまだに不明なように、どの言語体系にも属さない「独自」さと「複雑」さから指摘されていることだ。

外国人に日本語をおしえて45年になる、日本語教育の先生にきいたはなしで驚いたのは、メソッドとしてはじめに「日本語文法」を半年間でおしえきる、ということだった。

それで、はじめて日本語をならう外国人に「理解できるのか?」と質問したら、「才能です」という回答だった。
先生は、たいへん優しいひとで、難解だが半年でマスターできないなら、別の道をえらばせたほうが本人のためだとおっしゃった。

ずるずると、若い本人の貴重な人生の時間を浪費させることは、教育者としてできない、と。
何年も、何回も、似たようなパターンを経験されて導き出した、きっぱりとした決心だ。

もちろん、何年も何回も、似たようなパターンで生徒がつまずく箇所も熟知しているから、年々と教授法も進化させているのだと先生はいう。
こんなに、外国人にわかりやすく工夫できるのは、先生が外国語の達人でもあるからだ。

イヤミでないのは、生徒のことをリスペクトしているからである。
「日本語だけ」が能力ではない。
才能を見切ったら、別のチャンスを見つけさせることも教師の役目だという。

そんなわけで、先生のもとで卒業できるのは入学者のわずか20%。
しかし、その20%のひとたちが、これぞという日本語力で人生を切り開いている。
これぞ、教師と生徒の並々ならぬ双方の努力の成果なのだ。

だから、先生は、日本における教育の「甘さ」を、厳しく指摘している。
安易な教師に安易な生徒ということではない。
先生からいわせれば、安易な教師でよしとする安易な社会だということだ。

製造物には製造物責任のための「PL保険」があるが、学校には製造物責任がないことをいいことに、安易をもってよしとする。

はたして、日本にきてはたらきたいという外国人に、丁寧かつ見切りをつけさせるような、経過責任のあるぶ厚い日本語教育をしているのだろうか?と問えば、寡聞にして聞いたことがない。

日本における英語教育とおなじに、生徒ができないのは教え方の無様を無視して「本人のせい」という、結果責任だけをおしつければ、うっかり「偽造」の発注もするだろう。

人手不足に悩む経営者も、外国の他人の子どもを酷使するのではなくて、その子の人生を預かるという気概なくして、継続的に応募もしてくれなくなるのだ。

せっかく日本にやってきて、「逮捕」され「起訴」されたら、国外退去にならずとも、日本人だって履歴書の提出がはばかれる。

外国人であろうが若者の夢をうばい、犯罪者を製造する国になってしまうことの反省だってあっていい。

これではまったく、日本における『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンだが、ぜんぜん救いがないから、もっと深刻で悲惨なのである。

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