カナダに移住した渡辺惣樹氏といえば、第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー(任期1929~33)の渾身の回顧録を邦訳した、大著『裏切られた自由』(草思社、2017年)でしられるが、当時は職業歴史家でも大学教授でもなく、ビジネスマンの「趣味」仕事だったことが新鮮だった。
フーバーそのひとは、その任期のはじめに大恐慌に遭遇し、当時の新古典派経済学に従ったらコントロールできなくなったとして、「無能のひと」レッテルが一般的になったのも、プロパガンダだった。
けっして親日家ではないが、一般人としての成功は尋常な人物ではない「偉人」なのだ。
その人物の「公正さ」が、人類史に残る、「工業規格」を創設した功績でわかる。
この大著の解説本として、さらに、『誰が第二次世界大戦を起こしたのか フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く』(草思社、2017年)があって、日本との関係をコンパクトに、かつ、あくまでフーバー前大統領目線で書かれているから、いわゆる「戦後史観」とは一線を画すばかりか、いまにつながるアメリカ共和党目線(=トランプ派:プロテスタント福音派)という意外がある。
視線というのは重要で、よく、「複眼的」に観よ、とむかしの上司からうるさくいわれたものである。
これは、旅館の女将がいう、「お客様の立場にたって」ということとおなじで、自分からの「見えるものだけ」を追いかけると、たいがい間違えることの教訓にもなっている。
このことをしる好例に、アート・バックウォルド著、『だれがコロンブスを発見したか』(文藝春秋、1980年)がある。
なお、バックウォルド氏は、1982年のピューリッツァー賞受賞者だ。
バックウォルド氏の余談として、1988年にパラマウント映画が製作した、エディ・マーフィ主演の映画『星の王子 ニューヨークへ行く』が、彼の脚本を盗作したとして訴訟を起こし、勝訴している。
我々は、ついぞうっかり、新大陸を発見したのはコロンブスだと思いこんでいる。
しかし、その大陸の陸地から、コロンブス一行を発見したひとたちがいたことに注意をはらわない方が、よほどのうっかりなのである。
しかも、このひとたちにとっては、それが人類史における、「1492年10月12日」だということさえも、意味がないことだった。
とはいえ、わたしは、いまアメリカで盛んらしい、極左民主党がいう、「批判的人種理論(Critical Race Theory:CRT)」には与しない。
これは、あんがいとGHQが仕掛けて成功したものを、大宅壮一が皮肉を込めてうまく表現した、「一億総懺悔」とよく似ていて、日本での成功に味をしめた民主党はとうとう、自国での「破壊活動」に邁進しているようにみえるからである。
そんなわけで、渡辺惣樹氏の『日本開国-アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由』(草思社、2009年)を読んだ。
「黒船来航」は、我々日本人が、あたかもコロンブスを発見した側になって「常識」としているものを、本書はしっかりと日本・アメリカ双方から、しかも奥深く解説している「複眼」になっている。
細かなエピソードが、どんどん連結していくさまは、むかしテレビで観た、『フリーウェイ・クラッシュ!(THE GREAT AMERICAN TRAFFIC JAM)』を思い出させてくれた。
たしか、1980年頃の作品だとおもう。
ドラマは、高速道路での100台もの「玉突き事故」になるのだけれど、それぞれのクルマにはそれぞれの人生を乗せていて、とあるきっかけで、全員が巻きこまれる物語は、社会現象そのものだった。
このそれぞれの人生を、それぞれ表現してから、クライマックスの「事故」に至る見せ方に、納得したものだ。
「黒船来航」も、日米双方だけでなく、長崎の出島の利権をできるだけ長く維持したいオランダや、世界を完全征服したい英国の弱点となる、太平洋の覇権を、新興国アメリカが出しぬくといったダイナミックな話に、わが国はコップの中の争いをやっていた。
カナダに住まう渡辺氏が、いまの日本を観察したら、当時とおなじパターンにみえるのだろう。
さて、この時代の英国は、大西洋とインド洋を支配して、アヘン戦争で東シナ海までやって来ている。
これには、ナポレオンのフランスがオランダを征服した(1810年)ので、亡命オランダ政府はその植民地を英国に管理委託し、ナポレオン没落後に独立を回復(ウィーン議定書:1815年)すると、英国は「管理手数料」として、シンガポールやセイロン(現スリランカ)などを得ていたことも、その後の英国艦隊による、「日本開国」(薩英戦争と馬関戦争)への大きな伏線になっているのだ。
また一方、長崎の出島は、世界で唯一、オランダ国旗が降ろされない特別な場所となっていた。
幕府はオランダが独立を失ったことを知らなかった、ということになっているけど、ちょっと怪しい。
知らんぷりしていたのではないか?日本人もあんがいと狡猾なのだ。
ちなみに、オランダ政府は2020年1月1日より、公式国号としての「オランダ:Holland」を使用せず、すべて、「the Netherlands」として各国に通達したが、日本語表記において「オランダ王国」を正式とした異例を許したのは、「出島」の特別功績なのだった。
アメリカは「西部開拓」で太平洋に目が向いて、英国が先にちょっかいを出したハワイ王国を攻略し、「太平洋ハイウェイ構想」で、上海に目が向いて、その中継地に日本があった。
大陸横断鉄道と、その後の電信が、太平洋をはさんだニューヨーク=上海の連絡を、インド洋経由の、ロンドン=上海よりも「圧倒的に高速」だったからである。
この意味するところは、アメリカ産業界のロビー活動も含め、強力に推進したのがやっぱり民主党なのである。
ペリーも、民主党支持を表明する海軍軍人だった。
英国は香港を、アメリカは日本を、中国(当時は清国)進出の、橋頭堡にしたかった。
それで、日清・日露は、日本を彼らが利用した、彼らにとってはいつもの、「代理戦争」であったのに、第一次大戦で「出る杭」となった日本が、第二次大戦で「叩かれた」のである。
これを、日本人はいまだに、「国内問題」として「単眼」で観ているから、英米やらからコケにされるのである。
アメリカのこの視点は、いまだに変わっていない。
納得の歴史(ヒストリー)は、人間たちが織りなす、それぞれの思惑で作られるのである。