2020年4月8日は、歴史的な「日」になった。
それを決めた7日夜、首相記者会見において、ほんとうのニュースになる発言があったので、忘れないように書いておく。
その首相の発言とは、
治療効果が期待される「アビガン」を、本人の希望や病院の倫理委員会の了承があれば使用できるようにする、とのかんがえを示したことだ。
本ブログでも書いたこれまでの経緯をおさらいすれば、発生源の国の政府が、「アビガンが効く」と発表したのは、3月18日のことであった。
また、同月25日には、アビガン開発者のひとり、白木公康氏(千里金蘭大学副学長,富山大学名誉教授(医学部))が、Web版『医事新報』に「アビガンをつかうべきだ」と緊急寄稿した記事がでている。
しかし、これを「無視して」、26日、都知事が「感染爆発の重大局面にある」といったりしていたし、首相も28日になって、「アビガン」の「治験」開始を指示するという他人事状態だった。
もちろん、首相の意向を受けて、製薬会社は4月1日に、「治験開始」を発表し、かつ製造ラインを立ち上げている。
こうしたときの「首相の意向」は許される。
むしろ、水面下という事務レベルで、どのくらいの「調整」が関係者たちと行われていたのかがまったくわからないのが問題だ。
関係者たちには、医療関係者や製薬会社も含まれるのは当然だ。
もっといえば、「業界人たち」との「調整」である。
そうした、協議や調整の結果、もしや昨夜の「発言」になったのか?ともうたがいたくなる。
つまり、ぜんぜん「政治家」としての意向でも、「首相」としての意向でもない、事務屋がつくった「状況」が「発言させた」ともとれるからである。
ならば、首相など、だれでもいい。
ああ、なるほど、わが国はとっくにそうなっていた。
新型コロナウイルス禍というのが、大騒ぎになっている原因は、「治療法がない」という一点に尽きる。
そのために、感染したら最後、もうこの世にいれなくなる、という恐怖が、社会を根底から揺らしているのである。
つまり、大地震が、物理現象ではなく心理現象となって発生しているのだ。
震源地は、「治療法の喪失」であって、まるで「全電源喪失」を彷彿とさせる。
「あのとき」、政府はパニックをあおって、「計画停電」という「義挙」を実行した。
あとになってみれば、心配された「電力供給と需要ギャップ」に問題はぜんぜんなく、まったくの「ムダな迷惑」を押しつけられたのであった。
ただし、緊急時に最優先される重要な「エリア」があぶり出されて、夜にはそれがはっきりみえた。
官庁街だけでなく、変電所周辺の区域は、計画停電の「範囲外」となることがわかったのだった。
今回の「緊急事態宣言」も、まるで「計画停電」の愚挙のようにみえて仕方がない。
政府は、おのれの失政をごまかすために、国民に負担を強いることでこれをおこなう、というパターンそのものだ。
今回の「失政」とは、「アビガン」という薬の存在に「いつ気がついたのか?」という問題のこたえにある。
薬学の専門家や医師がしっていても、法学の専門家である高級官僚がしらなかったのではないか?という疑問から発する。
すると、この国の統治システムが、他の自由主義国とちがうことの「欠陥」があらわになるのである。
すなわち、わが国の政党が近代政党ではないために、政党内部に「シンク・タンク」を持っていない。ゆえに、政党に情報が集まらず、役所の窓口、あるいは担当者に情報が集まるのだ。
よって、政党人たる政治家には、役人からしか情報が入手できない。
こうして、「アビガン」という薬の存在が、わからなかったのではないか?
ましてや、とっくに200万人分もの「備蓄」までされていたとは。
行政をつかさどる「役人」は、かんがえてはいけない存在なのだ。
だから、民主主義を標榜する国なら、「国家公務員」に優秀なひとはなりたがらない。
決められた、行政事務を、ただひたすらおこなう、ことしか仕事がないからである。
誰が決めるのか?
それは「議会」である。
だから、議会にさまざまな提案や新製品が持ちこまれる。
これをさばくのが、議員たち本人だから、忙しいのである。
これを、わが国では、あろうことかお役所に効率を求めるのだ。
できっこないことをやらされるので、お役人たちは開き直るのだ。
それでも役所がシンク・タンクを兼ねるから、開き直って仕切れば、無意味なものでも意味をもつ。
どういう経緯と人選なのかは報道もされないからしらないし、これらがネットにもないなかで、ようやく「名簿」だけはある「諮問委員会」が、「妥当」だといったから「非常事態宣言」がでる国である。
わが国の「非常事態宣言」は、そんな程度のおちゃらけで、これからが、緊急対策予算という名目の「お祭り騒ぎ」がはじまるのである。
復興には復興増税もされたが、さてこんどは、どんな手をあみ出すものか?