千代田区長が、東京の中心で「変」を叫んだはずなのに、あっさり「敗北宣言」となる「お詫び」を発表した。
地方議会における「変」は、昨年5月、札幌市議会での「慣例」を破った臨時議長が「土下座」したことがあった。
「池に落ちた負け犬は、さらに棒で叩く」という大陸系のことわざに、日本人なら違和感があるはずなのに、この通り結局「議会除名」ということで一件落着したことがある。
状況は札幌の例より悪いから、こんどは東京で大陸系のことわざが効いて、区長がどうやって失職するのかに興味がうつることになる。
いわば、他人の不幸を要求する、悪魔的な快感がほしい、という期待感である。
この意味で、札幌も東京も、みごとな「国際都市」である。
もちろん、ことの発端が、区長の区内マンション購入にあたっての「抽選外」という特別が行われた背景に、容積率の割り増しに貢献したという疑惑があるから、区長には最初から筋が悪い話なのである。
それで、100条委員会が議会にできて、「偽証」も問題になった。
議会がこれを「刑事告発議決」したので、追いつめられた区長は、議会を解散させたのだった。
首長による議会解散は、不信任決議をされたときに限られる。
でも区長は、刑事告発議決=不信任議決と解釈したのだ。
地方を仕切る、元内務省・元自治省・現総務省は、刑事告発議決≠不信任議決として、区長の解散宣言を無効と解釈し、区選挙管理委員会、それに総務大臣も追認した。
そこで、東京地裁に判断を仰いだが、地裁も無効としたので「お詫び」となった。
どうして高裁に持ち込まなかったのか?
なんなら最高裁までいったっていい。
いやいや、そんな事をすれば、千代田区の行政が滞る、という意見はあるだろう。
ならば、なにが滞るのか?
おそらく、千代田区の行政は盤石なのである。
懸念されるのは、コロナ対策補助金の区民への一律12万円支給という無意味であろう。(横浜市民が余計なお世話だけれど)
区長は春先に、区としての支給はしないと表明していたのに、この件かなにかしらないが、急に「やる」といいだしただけである。
そんなわけで、「区長の暴挙」一色なのである。
あまのじゃくを自称する筆者としては、あえて異議を唱えたい。
札幌のときもそうだったけど、変な「慣習」がまかり通っていないか?という疑問がある。
昔からの美点を「伝統」というけれど、汚点は「因習」というのである。
「慣習」には、「慣性」という意味もあって、物理でいう「慣性の法則」が、人間社会にもあるということでもある。
「惰性」といってもよい。
ただ昔から、という理由だけで、ダラダラとそれを続ける。
今回の件は、刑事告発議決=不信任議決といえるかいえないか?に注目したいのである。
議会が首長を刑事告発するということは、どういうことか?
首長が刑事被告人になるということである。
もちろん、「推定無罪」の原則があるはずだから、有罪が確定するまでは市民のひとりである。
しかし、わが国にはとんでもない「因習」があって、「逮捕歴」だけでも子孫に迷惑が及ぶことがある。
それに、わが国の刑事裁判における有罪率は、99%なのだ。
つまり、検察が起訴したらほとんど有罪になる。
すると、起訴された段階で「推定無罪」の原則だってあやしくなるのだ。
そんな検察の人事に、政治が介入してはいけないと、タレントを含めた有名人が運動したのは、人治を押して民主主義を信用しないと主張したも同然だった。
議会が調べて、首長を刑事告発を決めたなら、検察はどうするのか?
検察が調べて、やっぱり首長を起訴するなら、ほぼほぼ首長の有罪も決まる。そうなったら、辞職しかないから、首長にとっては「不信任議決」とおなじ意味になる。
一方、検察が調べて、議会とちがう不起訴とするなら、議会の責任は重大だ。
すると、「詫び」ではすまない、第二波がやってくる。
「刑事告発議決」があるからである。
はたして、検察は起訴するのか?
それにしても、まどろっこしいのは、刑事告発するならするで、議会は強く辞職を促すことをしないのか?
区民の側は、リコールをいい出さないのか?
疲弊しているのである。
誰かがやるだろう。
他人まかせと慣性の法則で、どうでもいいのだ。
その、どうでもいい地盤の上だから、こういう区長が区長でいられるのである。
東京のまん中がこれだから、どこもかしこも推して知るべし。