国家の政府を、わが国では「日本政府」とよんでいる。
都道府県や市町村のことを、ぜんぶ「地方自治体」という習慣があるけれど、どれもみんな「地方政府」である。
地方自治法という法律がいいかげんで、都道府県と市町村という「地方政府」の役割がはっきりしていない。
この矛盾をついてきたのが、「大阪都構想」だ。
大阪府と大阪市の「二重行政」をやめさせよう、というはなしと、「都」になると、行政への負担が増していまより「非効率」になるというはなしが混じっている。
まるで、ガソリンスタンドをセルフにしたら火災が起きる、というはなしに似ているのがミソである。
ほんらいなら、「二重行政」をさせることになっている、「地方自治法」を改正すればよいのだが、「なりゆき政府」の日本政府と国会はなにもしないしなにもできない。
その「二重」さに「利権」があるからである。
ならばと、選挙をつうじて「都構想」を強行しようということは、わが国で最後にのこった「民主主義」の力である。
共産主義的中央集権国家に成り下がった東京の発想を、ぶったぎる大阪人の心意気ともいえるから、妙に「痛快」なのである。
わたしが子どものころまで、大蔵大臣がかわると、真っ先に大阪にいって、関西経済人と顔見せの挨拶をしていたのが、もう、見向きもしなくなった。
大阪や関西経済の衰退がそうさせる、というはなしができているが、順番が逆である。
日本政府の経済政策が、わざと関西経済を衰退させたのである。
残念なことに、その「政策」に、ときの関西経済人が「乗って」しまった。
まるで、「大阪冬の陣」の後における、大阪城外堀を埋めさせた徳川方の謀略にまんまとかかった豊臣方のようにだ。
「大阪都構想」と「大阪都経済特区」をセットにして、かつての「堺」のような「自由経済圏」をつくれば、あっという間に東京を追い抜くかもしれない。
その意味で、大阪都構想「だけ」なのが惜しい。
都道府県と市の「二重行政」が、ややこしいのが、市が「政令指定都市」であるばあいだ。
まるで「都道府県」のような「権限」があるようで、もちろん、「都道府県」ではない。この中途半端さがハンパない。
北関東のひとたちが、妙におじける「神奈川県」は、「南関東」ともいわれているが、神奈川県人は「南関東」ではピンとこない。
そもそも、じぶんが「神奈川県人」だという意識すらないのが「横浜市民」だ。
江戸幕府による五街道の整備で、東海道の「神奈川宿」ができた。
京浜急行の「神奈川駅」あたりが、神奈川県の由来であって、いまは横浜市神奈川区になっている。
神奈川という川がないけど、神奈川県。
広重の有名な「東海道五十三次」の絵でいう「神奈川宿」は、海沿いの絶壁横の急な坂になっている。みごとな海岸浸食で、この絵の「海」がいまの横浜駅である。
政令指定都市になったら、県から離脱するほどの覚悟があっていいものを、甘えなのか甘やかしなのか、いっしょにいるからわからなくなる。
神奈川県庁が、横浜、川崎、相模原とは別の市町村に移転すると、県の発展も見込めるかもしれない。
たんなる東京のベッドタウンになりさがった横浜市が、とうとう「指定ゴミ袋」制をはじめるとぶち上げた。
ゴミ利権の象徴をやるというのは、カジノにつぐ暴挙ではないのか?
林市長というひとは、だんだん顔が「能面」のようになってきた。
感情と顔の筋肉のうごきが分離しているのだから、気の毒なことである。
このひとは、じぶんの意志でなにかをしているのではなく、いろんなひとの意志で動いているだけだからだろう、と勝手に推測してしまうのは、自分の意志でなにかをする能力があるとはおもえないからである。
そうかんがえると、ダイエーで取締役になったのも、「女性枠」という意味不明にあたったのではないか?
なぜだかしらないが、女性の幹部登用に、「目標数」が設定されるということになっている。
こういう逆差別に、フェミニストが抗議しない不思議もある。
レジ袋が有料化されることと、ゴミ袋が指定商品になることで、いよいよレジ袋をつかう意味を喪失させて、ゴミ袋を買わせるように仕向ける。
ヤクザもうらやむ無謀である。
化学組成的にどこが「ちがう」ものか?
無料で配付するから環境にいけなくて、有料でしかも「市指定」だから環境にいいというのは、ただの宗教ではないか?
ゴミを棄てるためにひつようなゴミ袋は、さいしょから「ゴミ」なのだ。
カジノで得た収入で、まさかの「全戸無料配布」なんてことをはじめるなら、これぞ「アメとムチ」になる。
枚数制限までして、ゴミを減らそうとするなら、もうどうにもならない「不自由」な生活を強いられるだろう。
野菜を買うとプラゴミがふえるのだから、消費者には選択できない。
つまり、指定ゴミ袋とは、環境のためとか市民のためを装った、「業者のため」にほかならない。
そして、市は、指定業者から「ピンハネ」するのであるから、これは市民税の増税にひとしい。
市民を痛めつける市長とはなにものか?
科学にもとづかない、環境政策は、小学生の理科の知識でも不信をかうから、ますますヘンテコな子どもをつくる。
まことにSFのようで、おそろしい社会をつくる努力をしている。
これを「壊れた」といわないのが、もう「壊れている」ことなのだ。
だれかハイエクの『隷従への道』(タイトルとして『隷属への道』もある)をわかりやすい要約にしてくれないかとおもったら、YouTubeに「5分間」の日本語ナレーション版があった。
「香港」が、他人事ではなくなってきている。