「突然」といえば、「突然」だった横浜市長のカジノ立候補表明は、「反対」の波紋をよんでいる。
その反対のひとたちは、市長が「白紙」だとして二期目の選挙をしたから、「突然」にくわえて「裏切られた」がかさなっているのである。
市長のことばによる表明理由は、横浜市衰退の危機感、ということが一番で二番がないから、ここからふたつのことがわかる。
ひとつは、人口減少、である。
前にも書いたが、横浜市は「世界最大の港湾都市」だったころ、あぐらをかいて、開港以来の優良企業本社があることを当然として法人住民税を上げたらこぞって東京に本社移転され、ただの東京のベッドタウンと化した。
東京の「一極集中」は、東京の磁力が強かっただけでなく、東京にむかわせる「努力」をした、横浜市のような自治体もあってできたのだ。
これは、あんがいいまの日韓関係と似ていて、神奈川県警の警視庁に対するライバル意識が強烈なのに対し、警視庁からとくだん相手にされていないことにも象徴される。
むかしの「ハマっ子」は、伊勢佐木町と元町商店街をもって、東京銀座に負けやしないと信じ、多摩川をこえて買い物にいく習慣がなかったが、いまでは鶴見川をこえて川崎に買い物にいくようになった。
かんたんにいえば、全市が巨大な「多摩ニュータウン化」したのである。
それで、伝統的な輸出産業であった絹製品(とくに「横浜スカーフ」)から衰退がはじまり、世界の産業構造の変化から工業の衰退もいちじるしい。要は、これといった産業がない、という危機感だ。
もうひとつは、カジノが産業になる、とかんがえていることだ。
サービス業で一カ所に「一兆円」も投資する、という前例がこの国にはないし、そんな巨大なプロジェクトは民間でもめったにない。
つまり、公共事業の「ようにみえる」という「錯覚」が、横浜経済人にあるのだろう。
なぜかしらないが「ギャンブル依存症」が、カジノ反対の最大かつ唯一の根拠になっているのは、推進したいひとたちのいう「危機感」という根拠とちがう次元のはなしになるから「かみ合わない」のだ。
誤解をおそれずにいえば、わたしは「ギャンブル依存症」には興味がない。
単純に「自己責任」であるからだ。
ただし、不思議な傾向があって、人間は自分が負けたギャンブルで取り戻したくなるという習性があることは「事前」にしっていたい。
これが嵩じて「依存症」という「疾患」になるからだ。
競馬で負けたひとが、その負けを競輪やパチンコという別の賭け事で取り返そうとはしないのだ。
多重債務者がおおいというパチンコもおなじで、パチンコで負けたひとは、パチンコで勝とうとするものなのだ。
これは、その「単純さ」に秘密がある。
世の中には、複雑な仕組みのギャンブルは存在しない。
「あたり」か「はずれ」という単純さの繰返しが、精神的なマヒを誘発するのである。
十八才が成人あつかいになったのだから、義務教育の中学の最後か、高校で「生きるため」の科目として、ギャンブルについての授業があっていい。
さて、そうこうしているうちに、昨日、こんどは横浜市庁舎の再開発が決まったというニュースが「突然」配信された。
JR桜木町駅ちかくに建設中の新庁舎ができれば、となりの関内駅前にある現庁舎が不要になる。
現庁舎は、わが国を代表する建築家、村野藤吾の「作品」だから保存がきまっている。完成は1959(昭和34)年である。
1960年の横浜市の人口は137万人だった。現在の横浜市は380万人の人口で当時から約三倍、日本一人口のおおい「市」なのである。
終戦後から一貫して増加しているので、現庁舎が完成した当時、どんな「予測」に基づいて庁舎の面積要件がきまっていたのか?
もっとも、この建物は本庁舎なので、行政事務のおおくは「区役所」に割り振れるから、想定した「容積」は十分だったはずである。
その「区」は、5区からはじまっていまは18区になった。
巨大な本庁舎が必要だということは、人口増加よりも行政の「肥大化」が問われることになる。
いったん「肥大化」した行政を「縮小化」できないことでの、「衰退の危機」ということなら、現行行政を維持する立場の市長の理屈としてはただしいし、維持を支持する商工会の意向でもあろう。
すると、現行行政を維持しないという立場になれば、べつの結論になるが、いまの商工会の支持は得られない。
そんなわけで、カジノなのだ。
横浜市民としては、国の法律とのかねあいとこれまでの条例から、いったいどの程度の行政規模が適当なのか?という研究をしてもらいたいものだ。
市役所の衰退と市の衰退は別だし、すくなくても市の衰退と市役所の衰退は同期をとってもらいたい。
そうでなければ、市役所栄えて市は衰退する、ということになる。
そこに、カジノという変数が加わるのではないか?
人口減少が確実なわが国では、どちらさまの自治体でも、カジノをのぞいた「基礎研究」をしないと、余計な法律と余計な条例で、役所だけが栄えるという本末転倒が発生する。
これこそが、商工会としてもっとも危惧すべき危機ではないのか。
衰退するから「行政依存」なのだという発想が、衰退を加速させるのだ。
「危機」をいうなら、民間企業出身のいまの横浜市長には、このくらいの仕事をしてほしいものだ。