内科医の仲田洋美氏が立ち上がった。
「馬」と「鹿」を連発するから、最初は「毒舌の女王」だったけれど、もはや「正論の女王」といっていい。
彼女をしらない方は、ぜひユーチューブの『女王降臨ひろみちゃんねる』で検索して、初回から視聴してほしい。
新型コロナウイルスの医学的見地からの情報なら、このひとの解説をじっくり観ることが、「常識」なのではあるまいか?
地上波に登場している、「専門家」の主張を、論理的かつ専門的かつわかりやすく「粉砕」しているからである。
これは、「福島」のときの武田邦彦教授とおなじような登場のしかたである。
歴史は繰り返す。
相手が医師であっても容赦ないのは、「私見」ではなくて「事実」からの発言だからである。
ところが、マスコミ報道にでてくる「常連」になった「専門家」への指摘など「まだまだ」なのは、医学界の「闇」にまで深く切り込むからである。
第一に、日本国憲法から論がはじまる。
あるべき医師のすがたを、その第25条にもとめているのだ。条文は以下のとおり。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
これを実現するための一角をなすのが「医師」である。
だから、医師会や医学会は、つねに憲法の精神に立ち戻って、自らの姿勢を正さなければならない、と主張している。
それは、ひろみ先生が医師としてスタートしたばかりのころの、二度までもの苦い経験(不届きな教授の所業を批判して、医局から閉め出されたこと)が、いったん医療の世界から遠ざけられて、法律の世界に身を投じたことが、たいへん影響しているのだともおもう。
そして、法律の世界とは基本、もっぱら起きたことに対する対処であることに気づき、これが「後ろ向き」に感じ、自分には向かないとして、再び医師の世界に戻ったというから、芯がとおっている。
「どうしても商法・会社法が合わなかった」といって、六法のうち五法を勉強したが、司法試験は断念したという。
ちなみに、六法は、憲法・刑法・民法・商法・刑事訴訟法・民事訴訟法のことをさす。
人間という動物は、ストレスの対処のために、「逃げ方」をかんがえて実行し、それで最初のストレスを忘れることをする。
自分を良い方向に向かわせる典型が、猛勉強であったり激しいスポーツ練習だったりする。
社会人だって、職場への不満や怒りが、エネルギーとなって「勉強してやる」と発憤することはある。
後からすると、そんな酷い職場やそんな職場を放置していた上司たちに、ひそかに感謝もするから、人生とはわからない。
「ブラック企業」は、いけないが、これをはね除けるエネルギーが湧いてこないのもいかがなものか?
学校で、ストレスとのつき合い方を教えてくれない。
教師も、それをコントロールする、教育委員会の役人も、きっとストレスがない環境に育っているから、わからないにちがいない。
わが国の教育界も、旅館やホテルなどとおなじで、「心理学」を深く学んでこれを「応用」し、「顧客」である生徒に対処しないのは、「しらない」では済まされない「怠慢」なのである。
この意味でも、教育「行政」という意味不明なものをつかさどる「文部科学省」という役所は、とっくに不要だし邪魔なのだ。
しかし、先生は上述した医局から閉め出されたとき、文科省の担当官が助けてくれて、専門医として復活を遂げたときには、泣いて喜んでくれたというから、あんがい文科省には優しい目をもっている。
さて、先生は、今回のパニックできまった「初診時のオンライン診療解禁」は、厚労省が認める前に、医師会が認めたことを批判している。
なぜなら、どんな病気なのかを診断する「初診」こそが重要で、これが医師の「腕」であるから、オンラインという方法でそれを満足させることができっこないからだとの主張なのだ。
たとえば、聴診器もあててくれなかった、という患者の声にも、先生はひるまない。
症状によっては会話やふつうの呼吸音だけで、聴診器をあてるまでもない「診断」はできるし、できない医者がいたらそれこそ問題だ。
だから、なにがなんでも聴診器をあてないことが問題とはならない。
むしろ、プロとして、「初診」の重要性が主張できない医師会の重鎮たちを批難するのは、かれらは大学教授とか大病院の院長とかという「重い肩書き」があるぶん、実際の診療現場から遠いのだ、と。
まさに、『逆さまのピラミッド』を読むべき上層のひとたちがたくさんいるのだ。
この本がアメリカででたのは80年代の終わりで、わが国では90年に日本語版がでた。
この本によって、アメリカで「サービス革命」が起きたといわれたが、日本では「起きなかった」。
おそらく当事者たちに「読書習慣」がそもそもないからではないかとうたがっている。
いま、ひろみ先生は、医師会に対して、医師がSNSで発信するときは、ホンモノの医師であることを表明する「倫理規定」をつくるように要請する準備をしていると明言している。
たいがいの組織は、自ら定めた「倫理規定」に反すると、「懲罰」という段階も用意されているから、なかなか「強力」な要請なのである。
混乱しているがゆえに、これまで以上に「倫理」が必要な社会になっている。