法が法治を破壊する

「内部崩壊」というのは、赤色巨星がとうとう自分の重力によって、内側の中心部に向かって崩壊し、「超新星爆発」を起こすときにも言う。

星は球体だから、あらゆる方向から内部に向かうので、いったんはじまるといきつく先までもうどうにも止まらない。
それでもって、元の質量がそれなりなら、かつての自身より「超小型」の塊になるけど、巨大な質量なら「ブラックホール」になる。

内部崩壊の勢いがやまないので、周辺の星も含む物質を吸い込んで、原子レベルまでバラバラにしてしまう。
吸い込んだなら、どこかに吐き出さないといけないのだけれど、こんどは「異次元」とか「別の宇宙」とかという、わからない世界の話になっていく。

大ヒットした『千と千尋の神隠し』の「主題歌」とされている、『いつも何度でも』には、投稿してから採用のエピソードがあって、必ずしも「この作品」のために作られた曲ではなかったけれども、作詞家と作曲者の手を離れて、映画作品のなかに取り入られてみたら「しっくり」きた、という例になった。

 

主人公の千尋が経験する「不思議な世界」とは、死後の世界なのか?
そこで、自分の両親が卑しい「豚」になっている、という表現をずいぶん前に批判したことがある。

これぞ、スターリンが推進した、親子の断絶と分断だったし、子に親を密告させて、孤児になったその子を、「革命の英雄」として、国家が育てた。
これは、同類だからこそ「犬猿の仲」だった、ヒトラーもやっていて、こちらは、「アーリア人」という架空の人種(目が青くて金髪)の子供を国家が育てて「新貴族」とした。

『いつも何度でも』は、世界で支持される「アニメ映画」の影響から、フランスの教会で少年少女たちが、「日本語」で歌っている動画が11年も前にアップされているから、この子たちもとっくに成人しているだろう。

日本人にはすぐさま仏教の「輪廻転生」をイメージさせるだろうけど、キリスト教にはない概念だから、「してやったり」なのである。
けれども、フランスは「革命」で、カソリック教会を大弾圧した実績があるので、この歌を教会で演奏するのも革命の延長だったかもしれない。

その革命の標語は、「自由、平等、博愛」、というおよそ矛盾した美辞麗句だった。
これに「かぶれた」我が国のインテリ人士たちは、他人から強制されない「自由」を、何をしてもいい「自由」と宣伝し、機会の「平等」を、結果の「平等」に「改竄」した。

これは、「脳」に対する情報の「毒」だから、本来ならば「解毒」させるための情報が必要なのだけど、なんだかかっこいい、という理由で放置した先人たちの「怠惰」が、今日の「内部崩壊」のエネルギーを供給することになったのである。

そんなわけで、「新しい日常」という「ゼロになるからだ」を生きながらにして「強制」されているのに、それが、「道徳的」だと思えてしまうほど、人々の脳が汚染されても気づかないのである。

国民がこの体たらくだから、政府には都合がいい。
もちろん、国民をこの体たらくにさせたのも政府と、これにつるんだマスコミなので、もし後から気がつくことができたら、「してやられた」ということになる。

しかし、そうだとしても「あとの祭り」であって、決して元には戻らない。

なぜなら、一度信じ込まされたら、人間という生き物は、それとは別の根拠ある情報を得ても、「反発する」という性質をもっているからである。
これは、「自己防衛本能」で、「自己否定を否定する」ことからの化学反応なのだ。

そして、これまでだったら「自国」のことを優先して考えればよかったけれど、グローバル化が本当に「完成」の域に入ってきたので、「世界同時」という、あたかも一国ではあがなえないように見えるようになった。
しかし、これもまた「幻想」にすぎない。

何のために『裸の王様』の逸話があったのか?

南アフリカで「発見」されたという、得体の知れない「変異株」で、我が国も率先して「鎖国」を決めた。
その南アフリカの医師会長は、「弱毒性」で心配いらない、と明言している。

ただし、このひとも、病原体としての新型コロナウィルスは確認されていない、というもっとも重要な事実を語ってはいない。

コロナウィルスというのは、地球上に何種類あるのかさえもわからないほどで、数万とも数百万とも、もっとともいうほどに、「その辺にある」ものだ。
だから、南アフリカだろうとどこだろうと、「その辺」に存在するから、いちいち驚くに値しない。

なのでこの医師会長は、各国が「鎖国」するのを、南アフリカに対する「ヘイト」だと指摘した。

まことに、先進国がこぞって「内部崩壊」を促進させている。
それが、「法」なのだから、この世の終わり、なのである。

いつも何度でも、起きるのは、「治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり」と詠んだ、『青年日本の歌』(1930年:作詞は海軍中尉三上卓)の世界になってきたということだ。

しかして、三上は「五・一五事件」に関与し、この歌詞も、『荒城の月』の作詞で知られる土井晩翠と、東京裁判で東条英機の頭を叩いた大川周明の著作から剽窃したという。

法が法治を破壊すれば、もう混沌とするしかない。
それが、「超新星爆発」となって、新しく生まれる「秩序」とは、どんなものなのか?

もはや、誰にもわからない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください