港町「横浜遊郭」というカジノ

18日、横浜税関で「長谷川總哲コレクション 税関百五十周年記念錦絵展 特別講演会」があったので出かけてきた。
ちなみに、コレクション所有者で講演者の、長谷川總哲先生は、わたしの恩師である。

60年も横浜に住んでいて、「横浜税関」の館内に入るのも初めてであった。
建物は、今様の「保存建築」で、見た目は旧来の建築を保存しているが、内実は近代(高層)建築になっているという、例のやつである。

東京駅丸の内口は、大がかりな再現がされたのはよかったけれど、たとえば、おなじ丸の内にある、「日本工業倶楽部会館」とか、その先お堀に面した、「東京銀行協会ビルヂング」とか、とにかく古いビルを保存するといって、なんだかなぁ、の無様を「保存」と呼んでいる。

そのまた、恥ずかしい典型が、「歌舞伎座」で、ナショナル・シアターに匹敵する建物が、あんなことになったのは、建築基準法やら税法、はては都市計画やらに、「保存」という概念がないからだ。
これはもう、役人のセンスの問題ではなくて、国会や地方議会が寝ていることに起因する。

街並みごと「復元する」技術は、ポーランドが世界一ではないのかと思うのは、古都クラクフ以外、ほぼ全国の都市が完全破壊されたのを、ありえな正確さで復元した実績をみればわかる。
ワルシャワのそれは、門扉の「錆び」までも復元しているのである。

そんなわけで、税関の旧館3階には、かつてマッカーサーも執務したという、「税関長室」や「大会議室」がそのまま保存されていて、見学できた。
「占領軍」というけれど、「征服者」がいた部屋を有り難がる気分はよくわからないけれど、角部屋の意味は、港を一望できるメリットがあるのはよくわかった。

横浜には、いわゆる「三塔」と呼ばれる「塔」があって、トランプの絵札に模して、キングが神奈川県庁、クイーンが横浜税関、ジャックが横浜市開港記念会館(現在「保存改修工事」中)がある。

そのクイーンの塔の撮影スポットだと三階の窓に案内があった。

浮世絵の技法をもって、写真に相当させたのが、「錦絵」である。
なので、風景だけでなく、珍しい外国人の仕草の一瞬を捉えるようなものもあるのは、「販売戦略」でもあった。

ときに、「横浜」というのは、ほとんどが陸地がない場所で、いま「市中心部」という場所はほとんどが埋め立て地である。
なので、その埋め立ての変遷をしっていないと、どこの絵なのかがわからない。

たとえば、歌川広重の有名な、『東海道五十三次』における、「神奈川宿」は、断崖の急な坂道に家並みが描かれているけど、この崖の下に広がる海は、いまの横浜駅のあたりになる。
開港場と新橋を結んだ鉄道は、『千と千尋の神隠し』にあった、水上鉄道のようなありさまで、海の中を蒸気機関車が走っていたのだ。

じっさいに、幕府とアメリカが結んだ、『日米和親条約』(1854年)からはじまる、わが国の「開国」で、1858年に結んだ『日米修好通商条約』によって「神奈川」の開港が決定した。
この「神奈川」が、いつの間にかに「横浜(村)」になったので、相手国からクレームがはいったのである。

この港は、「神奈川じゃない」と。
ちなみに、いま京浜急行の、「神奈川駅」から青木橋の跨線橋を渡って山側にある、「本覚寺」が最初のアメリカ領事館だった。

JRと京浜急行が走る跨線橋の下は、切り取られた地でアメリカ領事館からは、さぞや港が遠くに見えたことだろう。
それで幕府は、神奈川奉行所を移転させて、「神奈川」には「横浜も含む」ということにした。

横浜税関の位置は、開港以来1回も変わっていない。
ここから海に突き出た、赤レンガ倉庫は、もとは税関の保税倉庫だった。
要は、横浜税関こそ、「港の付け根」に位置していたのである。

それでオランダ領事から、「遊郭」の要請があった。
船乗りにとって、「陸に上がる(上陸)こと」の意味は、いろいろある。

なので、いまの「横浜スタジアム」がある、「横浜公園」を埋めたてた地域を囲って、「港崎遊郭」を建設し、外国人用と日本人用とに内部でも区画したという。
その威容を誇る錦絵が展示されていた。

これはあたかも、「カジノ」なのだ。

かつて東横線高島町駅があったあたりから、京浜急行戸部駅、それに桜木町駅の三角地帯に、火事で横浜遊郭が移転した。
元の地は、横浜公園になって、あらたに「高島遊郭」となって、最大の「岩亀楼」の名残が、「岩亀稲荷」として残っている。

ここも火災で遊郭がいまの「大通公園」にある、伊勢佐木警察署あたりに移転した。
それで、岩亀楼の遊女たちの療養所としての機能がそのまま病院になっている。
移転したのは、「永真遊廓街」で、いまはラブホテル街だ。

いちおう、「カジノ反対」を公約したひとが市長になったので、話はなくなったかのようだけど、港町である限り、ついて回る問題ともいえるのだ。

それにしても、外国政府からの「公式要請」だったことに、時代を感じざるをえない。

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