淡水の琵琶湖があるからという理由で,環境を守ろう!として,以下の指針が発表されている.
http://www.pref.shiga.lg.jp/d/kankyo/files/shishin_181119.pdf
(上記は削除されている ⇒ いまはこちら)
これは、科学なのか?
行政の暴走か?
それとも,ファシズムなのか?
「やりすぎ」という声も検討会の委員の意見であったというが,県の役人はこれを無視したのだろう.
ちゃんとHPに掲載している.
「やりすぎ」とは「細かすぎる」ということだと理解できる.
しかし,これらの指針とは,「家庭内」のことばかりである.
どうして,行政という「権力」が,家庭内に入り込めるのか?
「環境保護」にことかいた,個人の自由への明確な侵害であるから,憲法十三条に違反する.
わたしの住む神奈川県では,当時「全国初となる」禁煙条例が話題になって,結局,県議会はこれを可決してしまった.
議会での議論で,県民の「自由」ではなく,「健康」を優先したのはナチスとおなじだ.
神奈川県民の自由が奪われた瞬間だった.
発案し推進した時の県知事は,県民の「健康保護」を建前にしていたが,「全国初となる」がほしかっただけで,別にたばこのことなど二の次だったのだろう.
知事の座に固執することなく,再度国会を目指してしまった.
修正はされたものの,禁煙条例の最初の案は「家庭内」も対象だった.
自分の家のなかでも喫煙すれば,罰則の対象になるというのは,ヒトラーのゲシュタポや,スターリンのKGBを彷彿とさせる.
ある日,チャイムがなって玄関に出ると「あなた,喫煙しましたね」といって,官憲から罰則切符を渡されるシーンを想像すればよいだろう.
それで,第二次案では「削除」が議論された.
その議論は,健康ではなくやはり「自由」だったのだ.
しかし,それでも禁煙条例は成立した.
こうしたことが,拡大解釈されると,どんどん自由がうしなわれて,いきつく先が全体主義社会になることは,それこそ人類史がおしえてくれる.
たばこの煙がきらいなひとがいるから,それを気遣うのは「マナー」であるし「エチケット」でもある.
だから,たばこの煙がきらいだからといって,これを「強制的に禁止」する社会は,事例だけが増殖して,いま禁煙の強制に賛成しても,いつかは自分の趣味嗜好が禁止されるものだ.
そのとき,喫煙者からあなたはあのとき禁煙の強制に賛成した,といわれても,それとこれとはちがう,と主張するだろう.
しかし,いったん,自由を奪うことができた社会は,容赦がないのだ.
こうして,そのときどきの多数派が,そのときどきの少数派から自由を奪えば,気がつけば全員のなにがしかの自由がなくなっている.
「理由」は,いくらでもつくれるのだ.
神奈川県の「禁煙」のつぎが,滋賀県の「環境」になっただけだ.
ちなみに,オリンピックといえばなんでもできるから,神奈川県のライバル東京都がまねっこして,より厳しい「禁煙条例」をつくった.そして,都知事は胸を張って自慢する.
こうして,自由の侵害は,水平移動的に増殖あるいは感染して,やがて全国規模になる.
それにしても,滋賀県の指針の内容は微に入り細に入っている.行政権力が自由を奪うリストとしてみることができる.
これを,幼児から高校生までの「こどもエコクラブ」で徹底すれば,ヒトラーユーゲント(ナチス党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織)になって親を密告するようになるだろう.
「こどもクラブ」は,すでに全国組織になっている.
「先生!うちのトイレットペーパーは,シングルではなくダブルです!」
「それはいけませんね,逮捕されちゃいますよ.売ったお店には,不買運動を計画しなさい」
「先生!うちのお父さんは帰りがおそくて,お風呂を追い炊きしてはいっています!」
「なんですって?残業までして,お風呂を追い炊きするなんて,二重の罰則になりますよ!」
戦前・戦中の近隣監視組織であった五人組をわらうことがあったが,すでにわらえないような恐ろしいことが,現実になっている.
くわえて,滋賀県は「事業者への指針」も発表している.
「環境リスク」がある滋賀県で,新規事業はやらないほうがいいかもしれない.
既存事業者はどうみているのだろうか?
アメリカなら,別の州に事業者の移転がはじまるだろう.
そういえば日本企業は,「政治リスク」の韓国から撤退をはじめた.
ならば,近隣県は,「滋賀リスク」を歓迎するかもしれない.
それにしても,こころして,暮らさなければならない時代になってきている.
自由とは,センシティブなもので,いちど失うと,取り返しがつかないものであることを肝に銘じたい.