これは、知的教育ゲームなのか?それとも、単なる悪魔的ゲームを通じた破壊信仰を育成するのか?
『トロピコ6』という名のゲームである。
「6」がついているから、「1」があったはずで、その1作目は、2001年にリリースされている。
現行の「6」は、2019年に日本語版が発売されている。
傑作『シムシティ(SimCity)』(1989年)が、広大なエリアをつかった都市シミュレーションゲームだったけど、このゲームは範囲が狭く、扱う住民人口も500人余りとすくない分、密度が濃いのを特徴として、政治的な要素をふんだんに採り入れている特徴がある。
舞台は、あたかもカリブ海で、シミュレートする時代環境が、1950年代をベースにした半世紀ほどをイメージして作られている。
つまり、ズバリ、キューバを強く意識している。
プレイヤーは、自身を独裁者として、この島国の発展をさせるのだけれども、いったん軍事独裁の方向を選ぶと、ついには戒厳令までも布告できるのである。
そして、経済破綻するか選挙に落選するか、あるいは暴動やクーデターなどで、はじめから設定されている大統領府が破壊されるまで、ゲームはつづくように設定されている。
なので、上記の条件があてはまらないのなら、延々と続くゲームとなっている。
それなら、どこまで国民の要望を無視して、自身の私服を肥やすことができるのか?を「やってみる」ことも可能なのである。
このゲームの、「アーキテクチャ:制作者」は、いかなる魂胆でゲームとしての設計をして、いかなる魂胆でゲームオーバーさせようとしたのか?はたまた、理想的な状況とはなにか?
住民の派閥として、4つのタイプが設定されていることが、妙に政治的リアルなのである。
・民主主義者
・資本家
・軍国主義者
・共産主義者
おそらく、だけれども、民主主義を志向すると、財政破綻に追いやられてゲームオーバーになるかもしれない。
国民の教育に失敗すると、「国民総乞食化」して、財政出動だけを要求するようになるからである。
しかし、このゲームに、「国民の道徳教育」は、オプションにない。
資本家に寄り添えば、激しいデモの内から、クーデターとなるやもしれぬ。
「軍国主義者」となっているけど、いわゆる「右派(国粋)軍事政権」のことで、対するものは、共産主義者、「左派(グローバリズム)軍事政権」となっていて、どちらも「圧政」を志向する。
よくある現実のパターンは、資本家と右派軍事政権が一体になるのが、過去の南米の事情だったけど、いまは、資本家と共産主義・全体主義が一体となっているのが、現代の世界的な現実なので、このゲームの設定自体があんがいと「古い」のは、上に書いた50年代のイメージがあるからだ。
すると、政治学(まぁエセ学問ではあるけれど)の先端的知見に基づいた、国家運営シミュレーションゲームを設計するとどうなるのか?
あるいは、本作の「7」とか「8」に、どんな進化が起きるのか?は、アーキテクチャの胸一寸次第である。
既存であっても、もはや「定番」ともいえる、たとえば、『三国志』とか、『信長の野望』とかは、歴史的事実のシナリオを変更する面白さから、その人気のうえで、とっくにシリーズ化されている。
たとえば、「明治維新」とか、「日清戦争」、「日露戦争」、あるいは、、、とか。
もっといえば、昨日8日に「解除」になった、パンデミックの規制、を題材にした、経済破壊ゲームとかも、出てくるかもしれない。
すばらしい経済状況を、様々なオプション設定で破壊して、破綻までの速さを競うとか?、様々な経済破壊イベントに、立ち向かって、なんとか成長率を確保するとか?
後者の場合、経済破壊者をどこまで逮捕できるのか?が大きな手段になるのだろうけど、それにはプレーヤーによる司法の健全化のための政策を必要とするから、国会での多数派を形成しないといけない、とか。
どんなに「法」を整備しても、国民を含めて、その法を守るという意識がなければ、絵にかいた餅になるのは、古今東西の歴史の転換点における混乱が物語っている。
いわゆる、「無法」の状態となって、過去の日本では仏教思想の、「末法」と結びついた。
それが平安末期の源平合戦の、「諸行無常」となったのだったし、室町末期からの戦国時代には、日常化してしまった。
なお、平家を哀れむ『平家物語』が鎌倉時代に流行るのは、源平合戦の本質が、二元論では語れないからである。
よくよく文字面をながめたら、「源氏」に対抗したのは「平氏」ではなくて、「平家」なのだ。
それで、それぞれの「味方」は誰か?を追いかけると、源氏に味方した武将たちと、平家に味方した武将たちが、クロスオーバーの「たすき掛け状態」になっていることがわかる。
つまり、源氏側におおくの「平氏」が味方して、平家側にはおおくの「源氏」が味方している。
源頼朝の妻、北条政子の実家、北条家は、平氏であった。
鎌倉幕府の不安定は、源氏が三代で滅亡したとみるよりも、平氏の北条に最初から乗っ取られていたことの方が、よほど興味深いのである。
すると、源平合戦とは、よってたかって「清盛の一家」を滅亡させた、平氏の中での争いに、源氏本流の血筋が担がれて利用されたことを意味する。
だから、鎌倉時代に、平家=清盛の一家を哀れむ物語を、幕府は禁止しなかった。
朝廷も、平家に加担した源氏も、清盛が一代で築いた「巨大利権」に群がった、哀れ、な人間ドラマだからである。
こんな複雑な話を、シミュレーションゲームにできないのは、そんな複雑な話を、プレーヤーがしらないからで、たとえアーキテクチャがしっていても、「売れない」から作らない、のであろう。
通り一遍の、「劇画」のような単純理解が、「売れる」ことの条件にあれば、資本家は民主主義を棄てて、左・右どちらかの独裁者と結託したほうがいい、ということの現実をしるのだった。