パンを盗んだ罪で、とんでもないことになるのは、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンだ。
ヴィクトル・ユゴーのあまりにも有名な小説にして、何度も映画やテレビ・ドラマ、それにミュージカルになっている。
フランスでは、『聖書』の次に読まれているという「国民文学」だけど、その物語と筆致の「長さ」が、日本人読者には「読破に忍耐力」を要求される「大作」にもなっている。
およそ、ヨーロッパ文学の「冗長さ」は、ストーリー展開はもとより、作者の「説明文」の長さによる。
そのまた引用が、ひろく「古典」に言及されるので、それを知らない読者には「苦痛」を強いられることになるのである。
すると、すでに現代からみたら古典になっている作品の難易度は、必然的に高くなる。
「当時」の時代背景も、現代とはちがうからで、これも「読みとらないと」全体把握ができない、という事態に陥る。
そんなわけで、「お手軽」な、映画やテレビの連続ドラマ、ミュージカル上演に何回もなるのは、作家の説明文を省いているのが、「わかりやすい」からとなる。
このブログで、『レ・ミゼラブル』を何度も取り上げているのは、「フランス革命前夜」という巨大な時代背景があって、さらに、この「革命」のグダグダが、ナポレオンやら王政復古やらだけでない、現代のフランス、ひいてはヨーロッパ(EU)のグダグダにつながっているからである。
すると、作家による冗長な説明を理解することが、じつは「深読み」のもっとも簡単でお手軽な手段に様変わりするのである。
5分冊になっている、「ちくま文庫版」の訳者がこれを別途解説しているのが、西永良成『「レ・ミゼラブル」の世界』 (岩波新書)である。
貧しい生活の中で、姉の子供が飢えて泣くのを救おうと、パンを盗んだことを発端に物語は始まるけれど、「国家権力」の象徴として、「ジャヴェール警部」に生涯をかけて追跡捜査されるという「理不尽」が、王政ゆえの悪行・慣行として描かれる。
蛇足ながら、「革命」に親和的なヴィクトル・ユゴー自身、革命後には「亡命」を余儀なくされて、本作の完成は亡命先でなされたという、グダグダもあるのである。
マクロン政権のグダグダも、こうした歴史の延長線上にしっかりあるので、「外交的ボイコットをしない」とした決定も、次が「パリ・オリンピック」だから、という意味不明のグダグダにもなっている。
もちろん、わが国のグダグダ度合いはもっと深刻だから、あんまり他人のことはいえない。
高校の同級生が、校内の売店で「パンを盗んだ」ことで、無期停学になった想い出がある。
これが、「メロンパン」だったために、なんだかマリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいい」という話の方がもっぱらの話題になって、いちおう「レ・ミゼラブル男」という異名をとった。
「ジャン・バルジャン」にしなかったのは、盗んだものが「メロンパン」という間抜けさだったためで、だれも「悲惨な貧困」とは思わずに「同情しなかった」ばかりか、ただの「笑い話」だったからである。
「無期」とはいっても「2週間」程度で「復学」し、本人は自主退学もせずに無事卒業、進学したし、クラス会にも参加している。
この意味で、まことに的確な判断を「皆で」(同級生たちも学校当局も)したものだ。
同級生たちは、「一生の笑い話のタネ」をもらって、学校側は「教育的指導」ということで済ませ、本人の人生に影響はないようにしているからである。
ネットの「妙」に、突然表示される項目があって、それがどういう「アルゴリズム」になっているのか知らないけれど、「へー」と思う「当り」が出ることがある。
昨年といっても1ヶ月前、三重県警の警察官(42歳の巡査部長)が、管轄内の神社で「賽銭泥棒」をしたとして、逮捕・停職3カ月の懲戒処分を受けたところで、同日依願退職したという。
警察は、容赦なく「書類送検」したけれど、「余罪」もあったらしい。
盗んだ額は、「200円」。
余罪は2回のおなじ神社での賽銭泥棒で、1,800円。
あわせて、「2,000円」だ。
しかして、その理由とは、結婚以来10年、「妻に全部の給料」を渡していたが、自分の「お小遣い」をいっさいくれないために、「タバコとコーヒーを買いたかった」と、驚愕の供述をしたという。
すると、給与の指定振込口座が、「妻名義」だったということか?
いまどきの警察で、現金封筒で渡すということはない。
2000円で職を失うことをどう考えるのか?という「命題」が、この「事件」にはある。
はたしてこのひとの「再就職」はどうなるのか?
「私文書」にあたる、「履歴書」の「賞罰欄」に、「停職と書類送検」を書かないといけない。
当然だが、警察組織としては「あってはならないこと」にあたるのだろうけど、「上司」として部下を観察すれば、妻に対して、「少しはお小遣いをあげてください」と指導できなかったのか?
これは、「民事不介入」という問題ではなく、「組織のマネジメント」の問題だ。
10年間も手持ち現金がないことに気づかない「上司」(管理職)こそ、部下を犯罪者に仕向けた「犯人」だといえる。
それに、捕まるべきは本人ではなくて、「妻」ではないのか?
お小遣いがゼロ円では、自力でなんとか工面するということにならないから、他人のものに手を出す「教唆」にならないかと疑うのである。
とにかく何が何でも責任をとらない、という組織は、フランス革命前夜となにがちがうのか?
三重県警に就職したら、ろくな人生にならないと教えてくれる「事件」なのであった。