理想的「新任取締役」研修

企業には、新入社員からはじまって、さまざまな「階層別研修」がある。

むかしは、リアルな「企業説明会」が、募集時にあったから、就職希望の高校生や大学生は、就職活動が「解禁」されたら、まずはいろんな企業の説明会にいって、その会社のひとからの「話を聴いた」ものだった。

何気ないけど、企業側がこうした「会」を開催して、「話を聴かせた」のは、選ばれるのは企業の方だ、という感覚があったからである。
つまり、選ぶ側の生徒や学生に、自社を選んで貰うための説明だったということだ。

このことをちゃんと意識している「まとも」な企業は、新入社員研修でも「ブレない」で、練られたカリキュラムをこなしていく。
しかし、そうでない企業で、担当者任せの場合には、毎年やっている担当者が飽きるから、説明会との関連性を無視した内容を押しつける。

むかしは、「変だな」、「おかしいな?」とおもっても、我慢することができたので、特段の問題にならず、かえって社歴が進むと、担当者の気分でできることに居心地がよかったりした。

いまは、我慢することが美徳ではなく、「個性重視」とか「本人の意思」が重要だという教師からの「ポリコレ」もあって、入社翌日に退社するひとがいたりする。
けれども、あんがいと、上述した「矛盾」について敏感な可能性がある。

すると、企業は、逃した魚がえらくでかかったことにも気がつかない可能性もある。
気づいたら、担当者レベルでは自己否定になるし、経営トップレベルでは、自社の看板に傷が付いたとかんがえれば、より一層、その可能性が高まる。

すると、経営トップレベルで、「なぜだろう?」という問いが、できるかできないか?にかかっているのだけれども、そもそも採用を担当者任せにしていて平気なら、こんな疑問をいだく可能性も低いだろう。

にもかかわらず、こういう経営トップこそ、「人材のざいは財産の『財』」、と平気でいえる口をもっている。
従業員の人生を預かっている、という気が、まったくないので気軽にいえるのである。

しかも、ついこの前まで、自身が従業員だったのに。
すなわち、「勝ち組」という「安全地帯」からの発言にすぎない。

安全地帯というのは、むかし都電や市電という、路面電車走っていたときの、停留所が路面より縁石一個分高くなった場所のことをいった。
戦後、アメリカ人の従軍写真家が、東京の通勤ラッシュで密集した安全地帯に脱落者がいない光景をレンズにおさめた「傑作」がある。

平社員からみたら、課長・部長は雲の上だから、その上を意識することは年に数回もないだろう。
課長・部長も平社員だったころはおなじはずだから、その上、は「恐れ多い」ので、あんがいとアンタッチャブルなのである。

だから、ずいぶん前に書いた「取締役が取り締まるのは誰か?」がわからないのである。
このことが、自分は勝ち組で安全地帯にいるとかんがえるひとの精神構造だ。

さて、英語ができるひとが英語圏のことを理解しているとは限らない。
たとえば、会社の「役職」を、英語で表記するときの単語をしっていても、それがどんな意味なのかをしらないことがおおいのだ。

日本の会社の役員(取締役)には、平取締役とか、常務取締役、その上に専務取締役がいたりする。
あたかも、取締役に階層があるようになっているのは、社長からの目線でつくったのである。

けれども、会社法上に定めはないから、常務や専務というのは、各社の「任意」である。
つまり、法にあるのは、「取締役」と「代表取締役」だけなのである。

これは、律令にないから令外の官だった「中納言」のようなもので、江戸幕府の職制にない「副将軍」のようなものでもある。

こんなことを、長いサラリーマン生活のなかで、いつ習うのか?となると、正規に教わる機会は、意外にも「役員昇格のとき」だけしかない。
それなりの実績を「畑」でだしたひとが選ばれて、社内昇格するのが日本企業の「日本的なところ」なので、このときに教わらないと、もしかして一生しらないままになる。

その典型が、「山一証券」の社長が破綻を告げた記者会見で表面化した。

なにもアメリカのやり方が正しいとはいわないけれど、彼らは最初から「経営者(候補)」として新卒採用されている。
にもかかわらず、「変なトップ」が相次いだので、IT関連のドラマ仕立てCMで、「これはだれの責任?」というトップに、みんなで「あなたです」とこたえるシーンが流された。

日米ともに、悲喜こもごも、なのである。

そんなわけで、理想的な新任取締役研修はどんなものか?をかんがえておくのは、既存取締役の義務でもあるし、これをかんがえるのは、平社員の人生をも左右する重大事なのである。

すると、募集から新入社員研修、それから続く各種教育に、トップに関与しないで済むとはならない。
むしろ、いまトップの役目の最重要な「長期戦略」とは、これ以外にないことがわかる。

わからないひとが多数派だということが、日本経済の不幸なのである。

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