理由なき反抗と聞いて、映画『理由なき反抗』(ジェームズ・ディーン主演、1955年)を頭に浮かべたら、そのひとの年齢もみえてくる。
もちろん、青春映画の傑作として有名な作品で、アメリカ政府が1988年につくった、「国立フィルム登録簿(National Film Registry)」に、ちゃんと登録されている。
ちなみに、わが国には、国立映画アーカイブ(National Film Archive of Japan)があって、「主権回復」した昭和27年(1952年)に設置されている。
国立近代美術館の映画事業(フィルム・ライブラリー)に始まって、平成30年(2018年)に、独立行政法人国立美術館となっているから、なんとアメリカよりも古い。
なお、早逝したから実年齢が不詳になるジェームズ・ディーンは、1931年(昭和6年)の生まれで、これに近いのが、石原裕次郎(1934年)にあたる。
印象が強い作品への出演が、俳優人生にとって、幸なのか不幸なのか?という問題がつきまとう。
いわゆる、「一発屋」に終わってしまうことを指す。
成功体験が不幸をもたらすから、人間万事塞翁が馬なのである。
ために、観衆は映像世界の登場人物と、演じる俳優のキャラクターを「おなじ」と錯覚して、その作品世界が現実だと思いこむことがある。
これも一種の、刷りこみなのだ。
勧善懲悪の映画が量産されていたとき、例えば時代劇で、いつもの悪いやつが登場すれば、観客はその姿を観ただけで「あゝ」とすぐさま理解して、それが、期待へと変わる。
もちろん、作り手はこの現象を承知して、期待を裏切らない。
この「安心感」が、作品を支えていた。
あたかも、ビバルディの音楽が、「大量なる一つの作品」と評されるのにそっくりな、『水戸黄門』のように。
なんであれ、ワンパターンの構成が視聴者にとっての安心だから、毎週月曜夜8時には、観ないでおけない習慣となったのである。
その「変化球」が、『スター千一夜』とか、超長寿番組、『徹子の部屋』だ。
俳優の「素顔」という、本来みせてはならない、秘密のベールを剥ぐかのようなワクワクを提供している。
いまでは、「METライブビューイング」で、世界中の劇場に配信される、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でのオペラ上演作品に各国の字幕をつけて上映しているものだけど、幕間のステージの向こう側での大道具さんたちの作業風景だけでなく、出演歌手やスタッフに前作の主演歌手がインタビューする企画が新鮮なのとおなじなのだ。
けれども、本当にそれが「素顔」なのか?と問えば、観客にはわからない。
ゆえに、秘密のベールは何枚にも重なっているものだとかんがえるの妥当なのである。
ただし、何気ない所作には、ついうっかり「育ち」が出てしまうので、見る目を持つひとが観ると、まさに一目瞭然となる。
すると、見る目を持つようになるには、どうしたらいいのか?となる。
結論は、自分の「育ち」に帰結する。
ただ経済的余裕がある家に生まれ育った、という意味ではなく、本人を取り巻く家族や周辺、たとえば友人たちも含めたひとびとから得る、経験も、育ちに影響するのはいうまでもない。
良家とは、奥が深いのだ。
ここに、出会いの妙があって、これを、むかしは「縁」と呼んで、「縁は異なもの味なもの」だと表現したのである。
つまり、自分ではコントロール不能の、「偶然」を大事にした。
それが、「袖すり合うも多生の縁」として、「多少」ではなく、「多生」と書くのは、「輪廻転生」のことである。
「次」も、畜生ではなく、どうやって人間として生まれ変わるのか?を手引きするのが、チベット仏教の有名な、日本では葬式のお経にあたる『死者の書』だ。
ここで重要なのは、コントロール不能をコントロールして、あくまでも人間に生まれ変わることをアドバイスすることの論理と信仰があることで、まるで、量子力学での最先端がここにある。
すなわち、「不滅」の概念の具体化だ。
デジタル社会とは、全てをアーカイブして、「不滅」にすることを意味している。
空気中の酸素によるフィルムなどの劣化を、メモリに書き込む作業は、一方で、その記録を取り出す規格が変わったら元の木阿弥になるリスクもある。
しかし、はかないものを永遠なものに変換する、ということは、一方で、「変化」や「違い」を認めない、という意味にもなると、養老孟司先生は指摘している。
ここに、人間だけの性がある。
人間以外の動物は、全部を自分とは別の、「異質」と認識しているからだ、と。
いわば、それが、生きのびるための本能なのだ。
しかし、人間は発達しすぎて、その本能を捨てる努力をして、理性を優先させ、さらに、「育ち」も気にとめなくなったのは、「フラット化;平等」が過剰になったからである。
そんなわけで、エリートのなんぞをすっかり失念した、「大衆」の中から経営者を選ばないといけない、日本型の採用・雇用制度は、エリート教育を受けた明治人たちがいなくなって、ついに、従業員への理由なき反抗をはじめた。
しかし、その本質にある理由とは、自己保身という、およそエリートにあってはならない低俗なのである。
だから、ときたま優れた経営者がいる会社は、もはや突然変異にひとしい。
これを若い、青春時代の学生が見極めることの困難が、「就活」になっていて、親さえもアドバイスできない不幸がある。
若者が、理由のある反抗をする時代になった。