自営業だが,飲食業ではない家内制食品工業としての豆腐屋がなくなってきている.
こんにゃく製造業もしかり.
ひろい横浜には,その中心部だけに親しまれた「花こんにゃく」という超ローカルな食べ物がある.中心部限定だから,横浜市民でもしらないひとはおおいだろう.
これは,ふつうのこんにゃくとちがって,デンプンが添加されているので,白濁しており,食感はぐにゃぐにゃしたものではなくて,もぐもぐしていて簡単に歯がはいる.
長い型の断面のかたちが,あけぼののように半円形でギザギザがあったから,「花」のようで,それで「花こんにゃく」と呼んでいた.
ずいぶんしてから,製造方法由来の「かまぼここんにゃく」という別称があることをしったが,わたしにとってはいまでも「花こんにゃく」に変わりがない.
どうやって食べるのか?といえば,圧倒的に「おでん」の種としてである.ふつうのこんにゃくと花こんにゃくの混在こそが,横浜中心部ローカルのソウルフードなのであった.
だから,商店街の練り物製造販売のお店で,あるいは豆腐屋さんには白滝のとなりに花こんにゃくはふつうにあったのだ.
おとなになって,世間がひろくなってくると,この花こんにゃくが,横浜ローカルであることに気がついた.
いつか製造元を訪ねたいとおもっていたが,やっときたチャンスに訪問したら,一週間後に廃業するという.専用の機械が更新を要して,その費用に耐えられない,と説明をうけた.
このお店の初代が,大正時代に「発明」したというはなしを聞いた.
どうしたら味がしっかり染み込むのか?子どもでも食べやすい食感はどんなものか?
上述のとおり,デンプンをくわえるのだが,その分量比は苦労して得たという.そもそも,どうしてデンプンを選んだのかは孫娘をして不明だった.また,型にヘラで詰めるとき,空気を抜くのが難しく,加熱方法も最後は勘だよりというから,そのぼんやりとした見た目とは裏腹に,大層な手間と技がかかる食べ物だった.
誕生して100年あまり.さてはこれで絶滅かと覚悟したが,しばらくして市内に数軒が製造を継続していることがわかった.貴重な「型」も廃棄ではなく譲渡されたのではないかとおもう.
しかし,いつものおでんの種の煉物屋さんからは消えて,商店街の豆腐屋の廃業もあるから,もはや入手困難な逸品になっている.
それで,散歩のついでに豆腐屋をのぞくと,たまに花こんにゃくを発見する.もう,桶に無造作にいれてあるのではなく,パックになっているから,ちゃんと商品陳列を確認しないといけない.
もちろん,見つければ必ず購入するから,この時点で今晩は「おでん」に決定となる.
そして,あと何年食べられるものなのか?と自問しながら,もぐもぐやるのである.
豆腐はスーパーで買う物,となってしまった感があるが,神奈川県央の,県外のひとにはあまり有名でない,温泉地の宿に泊まったときに,堂々と近隣のうまいものとして,朝夕とも献立に製造販売している店名を表記していた.
断って献立を頂戴して,これらのお店巡りという予定外の観光をしたことがある.
お茶農家だけ遠距離のため避けたものの,都合4時間を要した意外性があった.
その中に,驚愕の豆腐を製造販売するちいさなお店があった.
一週間後にリピートしていろいろ聞いたら,とにかく「豆」がちがう,という.
神奈川県内産の特別な品種で,北海道産丸大豆の二倍以上するお値段らしく,県内にはあと二軒(白楽と逗子)の豆腐屋がこの豆で製造しているとも聞いた.
一丁300円超えする豆腐をどう感じるかはそれぞれちがうだろうが,スーパーの一丁40円とは話がちがうのは当然である.
毎日,一回だけの仕込みだから,製造数は限定である.ところが,150円の豆腐より先に売り切れる.それはそうだろう,横浜から片道1時間以上かけて買いに行く豆腐が,150円ではおさまらない.
地元の知り合いに土産として差し上げたら,「どこの豆腐だ?」と驚かれて,こちらが驚く痛快がある.
直木賞をとった「あかね空」は,豆腐屋のはなしだった.
作者の山本一力氏は,工業高校の電子科卒業である.
家族経営のお店はどちらさまも,家族の崩壊とともに絶滅危惧種になっている.
こんにゃくや豆腐といえばたわいもないもの,とおもいがちであるが,原始人にはつくれないからあんがい文明的な食べ物である.
三年物のこんにゃく芋は,収穫後冬場にストーブをたいて保存し春に植えかえす,を二回くり返す手間ができる農家が激減しているし,県内産の特別な品種の大豆も,だれが育てているのかを想像すれば,製品ではなく原材料が入手困難になっている.
ガラスとコンクリートの街が文明だとおもっていたら,ちゃんとしたこんにゃくも豆腐も食べられない日がくるかもしれない.
足下の文明がこわれはじめていないか?
有名でない温泉宿は,たいへんなことを教えてくれた.