「自業自得」のことを最近では「ブーメラン」というようになった。
けれども、ブーメランだとやや「タイムラグ」があるから、同時進行のなかで、まっ先に自分に影響が及ぶなら、やっぱりただの「自業自得」だ。
「マスコミ」あるいは、「メディア」の中心に、新聞があった。
ラジオやテレビがなかった時代から、ある、からである。
それだけでなく、音声を聞けるのとちがって、新聞は情報の受け手が「字」を読めないといけない。
つまり、その社会において、「識字率」が高くないと、じつは成立しない商売でもある。
だから、いまだに新聞を発行する会社は、自社をメディアの中心、あるいは「頂点」だと自負しているはずである。
困ったことに、わが国は、江戸時代から教育熱心で、ふつうのひとが字を読めた。
これは、あんがい農村でもいえて、少なくとも自分の名前は書けもした。
「読む」と「書く」は、意味がちがうことに注意したい。
読めるから、自動的に書けるにならないのだ。
もちろん、武士が読み書きする文書や、「漢籍」をスラスラと一般人が読めずとも、仮名交じりならなんとかなった。
これが、世界的に驚愕される「貸本屋」が成立した原因である。
それで、書く方は、「代書屋」という稼業があったのである。
これがいまでは、「行政書士」、「司法書士」と看板をかえただけだから、現代のわれわれも「自由自在」に書けることになっていない。
うっかりすると損失を被るのは、江戸時代だっておなじだったのだ。
それでもとりあえず、仮名を習えば、なんとかなった。
秀吉の直筆は、ほとんど仮名で書いてある。
産業構造が大変化した明治期になって、小学校制度ができたけど、よかったことは国家予算が足りないから、地方では地元の負担になったことだ。
それで、地元の篤志家たちが資金を提供して校舎を建てた。
場合によっては、教師も雇ったから、私塾にちかい。
貧困になやむ長野県が「教育県」といわれたのは、篤志家がたくさんいて、地元の将来を子どもに期待したからである。
それで、いま「文化財」になっている、いまではあり得ない立派な校舎が残っている。
外国はもっと大変で、ヨーロッパ語族は「文字の名前」と「発音」が一致しないため、話せても別に訓練しないと読み書きができない。
アラブに至っては、文語と口語のちがいがいまも残るので、新聞や雑誌を「読める」だけでも教養人である。
日本にあてはめれば、大和言葉で新聞や雑誌が記述されていると思えばよい。
戦後の占領期、日本人の路上の靴磨が客待ちの時間に新聞を読んでいるのを見て、米兵たちが驚愕したというエピソードは真実である。
「文字を読める教養人」が、なぜに路上で靴磨きをしているのか?理解に苦しんだというのは、彼らの故郷の常識にあわなかったからである。
そんなことをかんがえると、イギリスにある新聞が、「高級紙」と「大衆紙」とに分類できることの意味もわかる。
元は「小さなサイズ」を意味した「タブロイド」が、ゴシップ記事を一面にだす新聞の紙面の大きさ規格であったため、「タブロイド判」といえば「大衆紙」という意味に条件付けられて、これがアメリカにも日本にも伝来したのだ。
最近では、タブロイド判だからといっても、ゴシップを扱わない「携行しやすい」新聞もある。
本来は、「社会の木鐸」を旨としたのがジャーナリズムのあるべき姿ではあるけれど、安易な啓蒙主義で政府批判をもって「社会の木鐸」を任じていたら、これがもっと安易に自己目的化した。
それで、何が何でも「政府が悪い」をやることに、イデオロギーが加わった。
採用されたのが、自由主義でも資本主義でもなくて、これらに反対の側にある社会主義となった。
マルクスのいう、資本主義から社会主義に歴史の必然として「移行する」のが正しいとしたのなら、本来の社会主義者は徹底的に資本主義を押し進めればよいものを、なぜか資本主義を攻撃して、既存社会を破壊することを目的にする「革命ごっこ」に自己陶酔した。
マルクスは資本主義の内部矛盾にこそ、社会主義への歴史の必然を見たのにだ。
なにを焦っているのか、このようなひとたちが、とうとう自分たちの都合でニュースを報道するようになった。
都合によるから、ニュースではなく一方の立場からの宣伝になったのだ。
そして、望み通り、資本主義社会の崩壊がはじまったら、なんと、購読者たちの財力が衰えて、まずは「夕刊」を契約しなくなり、ついには購読をやめるに至った。
都合よく社会を見る目しかなくなったから、四半世紀も経ってのいまさら、インターネットの普及が原因だと噴飯物の勘違いをしている。
ここにきて急速に解約が進んでいるのは、経済力だけでなく、「購入に値しない」という、商品としての価値を失ったからだ。
アメリカでは、CNNが経営危機に陥った。
大統領選挙における一方的な放送が、視聴者の反発を買って、選挙前の44%にまで視聴率がなくなった。
身売りの話が出始めたけど、もしやCNNをトランプ氏がM&Aするかもしれない。
ならば、こんどは真逆の放送局となるのか?
トランプ氏の信仰と正直は、「まっとうな」放送局にするだけで、ビジネスとしての復活をさせるだろう。
しかして、このことが、業界の脅威になるかもしれない。