昨日は,本当の行政と政治の関係をかいたから,その延長にある民間の社内について書いておこうとおもう.これは,以前このブログで書いた,ガルブレイスの話の別角度からの解説にもなろう.
明治維新の不思議に,明治政府の編成がある.
江戸幕府をたおした,薩長政権であった明治新政府が,すばやくその組織体制を整えることができたのはなぜなのだろう?
「欧米への視察」ということだけの経験で,はたして政府組織を構築できるものか.
もちろん,外国人顧問団の存在もあっただろうが,「政府機構全体」のことである.
政府もさることながら,民間も,どうやって「会社組織」を構築したのか?
しかも,おおいに資本主義を基礎にした,「会社」のことである.
これは,政府に依存しながら,民間が真似た,といっていいのではないか.
初期の産業振興とは,政府主導の典型的開発独裁体制であった.
これに,「学制」がペアになって支えたとおもう.
政府だけに人材をおくるのではなく,民間にも人材が必要である.
それで,帝大と私学という棲み分けになったのだろう.
どちらも,当時の学校制度からすれば,「エリート」の育成機関にほかならない.
これらは,江戸時代からある身分制度とも連携したとかんがえるのがふつうだ.
「工商」の身分なら,そのまま家業を継ぐ.
「士農」もおなじだが,豪農なら子息を大学に進学させることができたろう.
それが後に,軍のエリートにもなって,歴史をうごかすことになる.
だから,当時の「サラリーマン」はエリート層だっただろう.
工員や職人は,転職があたりまえだった.
当時から,腕のある職人を御すのはたいへんだったというはなしはおおくある.
今では,大学卒業者のことを「大卒」というが,むかしの「学制」だと「学士」である.
いまだって「学士」なのだが,恥ずかしくて自ら名乗れなくなった.大学をでると,学位をえるという感覚はほとんどないだろう.
むかしの「学士」には,やっぱり「学」があったから,いまとはちがう「エリート」である.
つまり,民間でも高級事務職には,「学士」がなった.
これは,いまでいう「MBA」に匹敵しただろう.
だから,若くして相当の権限をもって経営に参画していたはずである.
軍でいえば,「主計将校」か「作戦参謀」ということになるだろう.
尋常小学校卒業者,中学から師範学校,高等学校に分岐して,大学に進学するという各コースは,人数の構成がピラミッド状になっていたことでもわかる.
そもそも,旧学制では,中学に進学することじたいが珍しかったから,ほとんどは義務教育の小学校卒業者で社会が構成されていた.
これが,戦後になって大きくかわる.
「公職追放」というイベントで,戦争中の経営者が追放されてしまって,「敗戦利得者」が代わって経営を引き継いだ.
政府で,公職追放になったのは,解体された軍人と政治家だったから,高級官僚は生きのこる.これが,政府と民間の関係を決定づけたのではないか?
しかし,民間でも戦後体制は,旧制大学出のひとたちの時代がつづく.
明治のおわりから,大正時代に生まれたひとたちだ.
昭和生まれの新制大学卒業者がサラリーマンで現役だったころ,会社の幹部はまだ旧制大学出に占められていたはずである.
だから,高度成長時代とは,じつは旧制大学出のひとたちの時代だった.
それで,ノー天気な状態でもなんとかなったから,「無責任男」がやってくる.
裏から観れば,重圧な蓋にとざされた閉塞状態の社内にあって,新制大学卒業者たちの悲哀の物語ではないのかともおもう.
救いは,経済成長で,会社がおおきくなれば,ポストも用意されたからだ.
そうこうしているうちに,時間という残酷な現象が世代交代をうながす.
旧制大学出のひとたちの時代がしずかにおわった.
それで,「無責任」を旨としたひとたちに順番がまわってきた.
もちろん,以上のストーリーは大きな物語であって,個別にどうかということではない.
しかし,この話には「無責任」でもなんとかなるという「行政」の本質がかくれている.
旧制大学出のひとたちからの下命を,上手にこなせばよいのだ.
かんがえるのは旧制大学出のひとたちの頭脳であった.
こうして,役所には「行政」をはるかに超える業務範囲がのこり,民間には「行政」だけがのこった.
社会の基礎をつくるのは,教育である.
「大卒」という「高学歴」にすれば,生産性が高まる,と旧制大学出のひとたちはかんがえなかった.
彼らはむしろ,「適性」と「専門」を重視した.
経営に関していえば,「MBA」批判はあるものの,とにかく「経営の専門家」が重要なのだ.
経営学者が重要なのではない.
そういう意味で,「エリート」すなわち「専門のリーダー」教育が欠如している.
決められた枠からはみ出さない,正しき行政マンを出世させて,リーダーにするしかない,という状況をいかに変えるのか?
政治の状況と同様に,厳しい課題がこの国にはある.