放送法改正の議論があったりなかったり,「地上波」という国民の財産を例によってもてあそぶ議論がかまびすしい.
「ラジオ」ができたときは,ラジオ受信機を持つことがステータスであったろうが,物理原理の「エントロピー」のように,かならず広がって「コモディティ化」するから,いまどきラジオが買えないひとはいない.
しかし,ラジオをいつでも買えるからといって,持っているかといえば,あんがいラジオを持っていないひともいるだろう.
あたりまえすぎると,とくに欲しくないし,そこから鳴ってくる音(これが欲しくてふつうはラジオを買う)に価値をみいださなければ,「不要」という結論になる.
まったくおなじことがテレビ受像機(NHK的には「テレビジョン」といったが,さいきんの劣化したNHKは「テレビ」という)にもおきた.
日本経済の不況を救おうと,かならず姑息なことをかんがえる政府は,家電の「リサイクル」を公式に「有料化」したうえ,買い換える理由をデジタル化でむりやり作り,さらに「エコポイント」で補助金をばらまいて,麻生政権から民主党政権も引き継いだ.
それで,なかば強制的な買い換えが一巡すると,おそるべきテレビ不況がやってきた.
こうして,政府の介入が経済に不都合をもたらすのだが,強欲な国民はもっとよこせと要求する.
ところが,財源がないから無い袖は振れないということで,メーカーは自主的にテレビを4Kから8Kへと「技術的進化」はさせたものの,番組(コンテンツ)の劣化がはげしいから,だれも観ないということになった.
「東芝劇場」や「ナショナル劇場」のように,メーカーが人気番組をつくってそれを観たいひとたちがテレビを買う,ということをしなくなったのは,つまらない番組ばかりをつくるNHKのせいだ,とはいえなくなったから困りものだ.
高額所得者がとくにテレビを観なくなったので,テレビの作り手がさぐったマーケット(視聴者)調査の結果から,かつて「ゴールデン」と呼ばれた時間帯にも,パチンコなどのギャンブルと消費者金融のCMが進出した.
これらの業界のCMは,かつては深夜帯だけにかぎられていたが,背に腹はかえられぬ.
それで,高額所得者がさらにテレビに嫌気をさすという負のスパイラルがうまれた.
地上波がアナログだろうがデジタルだろうがそんなていたらくだから,高額所得者はどうしているのかといえば,ネットの動画を好きなように検索して観ているか,定額払いを自ら申し込んでいるのだが,プライム会員なら無料という本当は有料のアマゾンTVが人気なようだ.これは,年会費を支払うと書籍の送料が無料になる,というサービスからスタートしたから,元々の会員からすれば,事実上無料にみえる.
つまり,視聴者は価値をみとめれば,「有料」でもいいとおもっているから,強制的に徴収されるNHK受信料の問題とは,「価値がない」とおもっているひとが払わない・払いたくない,という原点にいきつくのである.だから,NHKは,価値がある番組をつくって放送すれば,受信料の問題で悩むことはない.
そのむかしは,リーダーズダイジェストがアメリカ文化を紹介するメディアとして有力だった.
いまは,地上波ではやらない,アマゾンTVでアメリカの人気番組が事実上無料で視聴できるから,価値がある.
たとえば,リアルな社会派ドラマで人気をはくした「ホームランド」は,絶体に日本人の発想ではつくれないだろう.
そんななかで,地味だが興味深いのは科学実験番組「雑学サイエンス」である.
材料の意外性と科学という組合せで,一般人が素直に驚き感心する姿は,なかなか日本的でない.むしろ,日本の番組なら一本の実験だけで特番枠ぜんぶをつかいそうな大規模な実験を,ものの数分で終わらせ,つぎのテーマに移行することに驚く.
なんと贅沢な.
それにしても,この番組の進行役は英国人である.
アメリカで英国人が,ちょっと上から目線の言い回しで,「ほらね」とやる.
それで,ちょっと田舎くさいアメリカ人が感心するのだから,大英帝国も健在である.
実験前の予想選択肢に,「該当なし」があるのもよい.
英米人の発想が,大胆さと,日本なら過小演出になる淡泊さで表現されている.
そして、なにより,人間らしい人間が観客である.
こうしたひとたちが,日本を観光している,とおもうと,なるほどとおもうことがある.