このところ、戦後の世界秩序が崩壊をはじめた。
その代表的な組織が、国際連合(国連)だ。
この組織は、第二次世界大戦の「戦勝国」の連合だけれど、「列強」がそのまま残って、5ヵ国だけの「安保理常任理事国」という特権を持っている。
この5ヵ国のうち、3ヵ国がいわゆる「自由陣営」で、2ヵ国が「共産圏」だったけど、ソ連がロシアになって1ヵ国だけが共産国で、ロシアは「専制国家」という位置づけになっている。
念のため、3ヵ国とは、アメリカ、イギリス、フランスを指す。
ついでに、戦争相手国のドイツと日本は、国連憲章の「敵国条項」によっていまだに「敵国」のままの扱いになっている。
それでも、各種拠出金だけは請求されて、日独共にそれなりの高負担を課せられている。
それで、日独とも「平和国家」になったのだから、「敵国条項の撤廃・廃止」を求めていて、概ね「了承」されてはいるけど、いつまでたっても「決議」されないのは、常任理事国のうちの1国が「反対」を表明しているからで、流れることがわかっているから「決議」しないで放置されているのである。
これは、「由々しき」ことなのだ。
その反対をいう国に、わが国は兆円単位の援助をしてきたし、ドイツもすさまじき協力体制を構築してきた。
しかしながら、見返りはないのである。
むしろ、儲けさせてやっている、という理由から、感謝して当然という態度なのだ。
これを、「恩知らず」といって非難する保守系のひとたちがいるのが、なんだか恥ずかしいのである。
相手は、共産主義者だ。
「恩もなにもない」のが当然ではないか。
得るものは得ても、与えるものはなにもない。
これぞ、共産主義者の共産主義者たるゆえんであるのに、さらに血が上る保守人士たちは、「道徳」もないのか?と騒ぐのである。
共産主義者に「道徳」を持ちだすことのトンチンカンほど、哀れなものはない。
その「道徳」を破壊するからコソの「革命」ではないか。
つまり、「非難」しているつもりが、「褒めている」ことになっている。
だから、この「非難」とは、仲間うちだけの傷のなめ合いにすぎない。
「ソ連にくし」から、本当は「同じ穴のムジナ」なのに、まんまと北京にしてやられて、「ソ連」が遠く及ばないほどに巨大な経済体に育てあげてしまった。
それでもって、ぜんぜん言う事を聞かない「やくざ者」になったのである。
「やくざはやくざとしか関係を持たない」という「原理原則」があるから、世界に「邪悪さ」があふれ出て、コントロールを失ってきた。
甘い汁を吸っているつもりが、「吸わされて」いることに気がついて、それが「ゆすり・たかり」の口実にされてきたけど、振り払うことができないで、どこまでもまとわりついてくるのである。
このままでは、国民や消費者からの「信用を失う」と、「信用を失いはじめて」ようやく気がついたから、なんとかしようとやったのが、バイデン氏が呼びかけて実施した「民主主義サミット」だった。
たくさんの国と地域(たとえば台湾)が参加して、それぞれの「代表」が演説をしたけれど、国連常任理事国の「例の2ヵ国」は招待もしなかった。
「民主主義ではないから」という、あからさまな「理由」は、腐っても「アメリカ:バイデン政権」という自己主張でもある。
日本の外務省とは違って、中国外務省は事細かな仕事をしていて、「些事」と思われるようなことにでも、しっかり「図々しいコメント」を差し挟む。
こればかりは、わが外務省の役人も「爪の垢を煎じて飲む」ほどに真似てよさそうなものだけど、遊んで暮らすことに慣れすぎたから、なにがコメントすべき事柄かも区別がつかないにちがいない。
「言葉を失う」とは、国民の言い分である。
そんなわけで、この「サミット」を詳細に報じない、わが国マスコミの「逆神」ぶりからしても、じつは重要なサミットであったのだ。
それは、今後も行う、としたから、一発だけで終了ということではない。
つまり、「機構」になることを意味するのだ。
すなわち、「第二国連のタネ」ということになる。
これは、敵国条項に苦しまされてきた日本人にもドイツ人にも「朗報」なのだ。
今世紀になって、すでに、かねてからの「国民政府」は、とっくに「国民」と切り離されて、「役人政府」になってしまった。
だから、日本もドイツの役人も、敵国条項があるおかげで、まともな外交をしなくとも国民には言い訳ができるという「便利さ」すら与えてしまったのだ。
つまり、こんなに便利な「サボりの理由」はなかった。
そんなわけで、外務省やらの政府は、「第二国連」を決して歓迎しないという態度をとり続けるはずで、それがまた、国民政府を否定する政府と言うことの証明にもなるのである。
日本国民とドイツ国民こそが、民主主義国家だけで構成される、第二国連を渇望しているのである。