組織をデザインできない

「日本的経営」のすばらしさが強調されたのは、70年代のおわりから80年代のなかごろまでのほぼ10年間であった。
時代背景には、二回のオイルショック(1973年、1979年)がある。

どちらも、実体経済に大影響したのは、「翌年」のことで、トイレットペーパーや洗剤が世の中の買いだめの対象になる「パニック」となった。
さいきん、このときに貯め込まれた物資が「発掘」されるニュースが相次いでいる。

しかし、これ以前にはやっぱり二回の「ニクソン・ショック」という事件があった。
1971年7月、突然の米中国交回復と翌8月の金(ゴールド)と米ドルの交換停止をあわせていう。

また、社会問題として「公害」が、深刻度を増していた時期でもある。
「徹底した産業優先」が、見直しの対象になって、「徹底した」が取れた。

「世界の工場」になっていたわが国は、「ものづくり」を通じて、いかに生きのこるか?が大テーマになった。
つまり、「産業優先」の継続である。

このときの教訓は、持てるものと持たざるものの勝負で、持たざるものが勝利することができる、というものだった。
巨大なアメリカが、その持てる国内資源を「安く国民に提供する」という政策で乗り切ろうとした結果、ガソリンをがぶ飲みする「アメ車」が政府によって保護された。

持たざるわが国は、完全燃焼させることによる排気ガスをクリーン化する「挑戦」に成功し、これが低燃費という恩恵も同時にもたらした。
ホンダのシビックの成功は、世の中の語り草になったものだ。
この陰に、マツダのロータリーエンジンは淘汰されたけど。

この「成功体験」が、今日までつづいているのである。

しかし、時代をもうちょっとさかのぼると、アメリカによって教えてもらった恩恵がある。
これを、すっかり忘れさせたのも、この「成功体験」だった。

つまり、日本人はあんがい「恩を仇でかえす」ことを平気でやる民族だ。
なるほど、故事ことわざになっていることの理由がわかる。

1955年(昭和30年)に発足したのは、なにも国内政治における「55年体制」ばかりではなく、財界(経団連、日経連、日本商工会議所)が積極的支援した、日本生産性本部(現社会経済生産性本部)だった。

発足したばかりの半年後の同年9月、わが国を代表するトップ・マネジメントの面々を視察団としてアメリカに派遣している。
わが国の「外貨持ちだし規制」が解除されたのは、1964年(昭和39年)4月1日のことである。

しかし、「自由化」といっても、外国に渡航するのは年に1回だけで、持ち出せる外貨は500ドルまでだった。
しかも、1ドルは360円だったから、ほとんど買い物らしい買いものはできなかったはずである。

だから、財界のトップ・マネジメントが「視察団」をもって渡航したのは、いまでは想像もできない「快挙」だったのである。
約5週間にわたる日程で、彼らはなにをみて、どんなかんがえを持ったのだろう?

帰国後、『繁栄経済と経営』という報告書をまとめている。
詳しくは下記の本にある。

この中に、「経営技術者としての役割」という項がある。
先の報告書で、アメリカの経営の特徴を6点挙げている。
1 計画性
2 市場開拓
3 労使の協力
4 人間性の尊重
5 科学性
6 社会的責任

じっくり吟味する価値が、いまだにあせてはいない。
そして、日本の企業組織の欠点として、「決定的に重要なのは組織デザインであるにもかかわらず、そうした基本がわが国の企業には欠けていた」、と指摘している。

これはきわめて重要な「発見」であったが、現在の日本企業の経営において、はたして認識すらされていないのではないか?とおもわれるのは、まことに残念なことである。

すなわち、組織デザインとは、その組織が組織としてあるはずの「目的」や「目標」を「達成する」ということにおける、合理的な組織をつくるうえで、欠かせない概念をいう。
ようは、目的合理性に基づく組織の作り方、ということである。

学校内での体育祭や文化祭を催行するためにつくられる、「実行委員会」をかんがえれば、どんな組織が無駄なく活動できるのか?をかんがえてこそ、その行事を成功に導くのである。

すると、日本的経営の三種の神器、
・終身雇用
・年功序列
・企業内労働組合

が問題なのではなく、そもそも「組織デザイン」をかんがえたこともない、ということの破壊力の方が、よほど重要であることがわかる。
つまり、企業組織の「土台」がなっちゃいないから、この上の構造物が傾くのである。

欧米人は個人主義で、日本人は集団主義だというけれど、個人主義だからこそ、組織デザインを重視した経営をしなければ、維持することもできない。
一方で、日本人の集団主義とは、じつは他人に依存することだから、無駄を無駄ともおもわない。

これが、生産性を低下させる原因だとかんがえれば、「組織を科学する」ことをもって開始しないとどんどん貧乏になる。

残業代の削減で生産性が向上するはずがなく、こんな無駄がまかり通るのも、政府依存という集団主義のおかげなのである。

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