日本の教育の不思議に,世界標準の欠如がある.
かつて,日本の教育は「世界一」を標榜したことがあった.その背景には,「経済力」といううしろだてがあった.たとえば80年代に,中曽根総理が,アメリカの教育をさげすんだ発言をして,アメリカ人が憤慨したことがある.それで,アメリカの教育界は奮起したというから,なにが幸いするかわからない.
一方で,経済力にかげりがでても,いちど慢心した気分はなかなかかわらず,あいかわらず世界一(のはずだ)だと自慢するのは,かなりずれているといえるだろう.
そのなかで,ちょっとだけ改善されたのが「統計教育」である.
わが国において,統計が中学校や高校のカリキュラムからはずれていたのは30年間にのぼる.これは,OECD加盟国で「唯一」というありさまだったのだ.それが,平成23年度から小学校で,平成24年度から中学校で「必修」になった.これで,OECD加盟国の足並みがそろったことになる.
ところが,その「レベル」が問題だ.
統計教育をしていなかった当時,日本の理系大学の二年生が学んだ内容を,シンガポールでは義務教育の中学校ですませていたのだ.もちろん,いまでもシンガポールでは変更していない.
それで,日本でも中学校レベル設定にしようとしたのだが,「難しすぎる」として,高校に延長した.なんと,日本の高校三年生が,シンガポールの中学生レベルを学んでいるのだ.しかも,いわゆる日本の「一流」大学の入試には「出ない」ことになっているから,高校生でも真剣に学んでいるとはいえない.
「難しすぎる」というのは,教師にとって,ということだから注意がいる.
30年間という空白が,教師という職業人にも「わからない」という状況をつくったのだ.それで,大きな書店の「数学書」コーナーには,「わかりやすい」「やさしい」「初めての」「まんがでわかる」といった「統計解説書」が積まれている.これらは,数学教師向けの本だ.
ところで,「電卓」を小学校や中学校の授業でつかうことをイメージしたことはあるだろうか?
世界の電卓市場は,日本製が独占している,というのも幻想になった.
とくに「教育電卓」という分野において,日本製は存在しないから外国製の独壇場である.その外国はどこかといえば,アメリカなのだ.もちろん,この製品分野も,製造国としては中国やマレーシアなのだが,設計などの知的財産はアメリカがおさえているパターンだ.
その知的財産に,教育メソッドまでがふくまれる.つまり,教育電卓の「メーカー」が所有している.アメリカのメーカーは,電卓をつかった教育メソッドを売っているのだ.そのメソッドを授業で実行するなら,一番適したのは自社の電卓ですよ,という具合だ.これが,小学校から大学まで一貫したメソッドになっている.
そうなると,生徒の吸収レベルを確認するための「テスト」において,電卓持ち込みでなければならなくなる.それで,世界標準では,数学や物理,化学の試験には,電卓持ち込みが「ふつう」のことなのだ.
たとえば,米国テキサスインスツルメンツ(TI)社の教育用電卓「TI84」という機種の機種名の由来は,アメリカの高校生の84%が所有している,という意味だ.残りの16%は,学校からの貸与によるから,授業では100%の生徒がこれをつかっている.
日本でも,一部の高等専門学校で,入学時に購入を義務化しているが,普及しているとはいいがたい.「学会」などの専門家集団が,手計算を奨励していて,教育用電卓の導入に否定的なようだが,その実態は,「能力不足がバレるから」といううわさがもっぱらである.
そもそも,義務教育で統計教育をOECD加盟国すべてがおこなっているのはナゼか?といえば,「データ」分析のための必須知識だからである.パソコンが普及した世間を生きていくためのに,仕事上でも生活上でも,統計センスがないと損をする可能性が高くなる.消費者行動を,企業は統計的に分析するのは当然だからだ.いまはやりの「ビッグデータ」とは,統計処理のことである.
そこで,世界は,「統計の仕組み」を学習させることが目的になっている.日本では,「統計の計算方法」が重視されているので,「重心」がちがう.計算はどうせコンピュータがやる.だから「仕組み」をつうじた「統計のかんがえ方」が重要なのだ,という世界標準には説得力がある.くわえて,ひとり一台のパソコンを用意するには大量の予算が必要だ.だから,電卓を用いるのだ.ところが,日本の学校には,とっくにひとり一台のパソコンがある.これで「統計の仕組み」はスルーして,「プログラミング」が小学校から必修になった.統計は,いまだ手計算であるから,そのゆがみは,唖然とさせるものがある.
統計を一部のひとびとの「専門分野」にしてしまうと,格差はひろがる.支配の論理にもなるからだ.だから,予防のためにも国民に統計を教育するのは,良心的な政府である.
「顧客第一主義」をかかげる企業で,「統計」を利用した経営がどこまでおこなわれているのか?というと,人的サービス業界では,中小のかなりの企業が活用しているとはいえない.
たとえば,旅館で,「お客様アンケート」を統計処理している例をみたことがほとんどない.
もちろん,アンケートの質問作成にあたっても,「統計的知識」を導入して設計している例は少ないだろう.すると,なんのために「アンケート」をとっているのか?という理由そのものが不明となってしまうから,「こんなことを書いてきたお客がいた」程度になって,ほとんど活用されないのが実態だろう.だから,客側も面倒なのでなにも書かないから,経営にヒントをあたえることもない.
しかし,これはお客様のせいではない.活用する意志がない,サービス提供側の問題なのだ.
「データ社会」に暮らしているのに,そのデータの活用方法もしらず,興味もない,というのは,もしかしたら文明人として,かなり危険なことなのではなかろうか?