自慢できない「マクガバン・レポート」

1977年に、アメリカ連邦上院議員(民主党、サウスダコタ州)のジョージ・マクガバン「栄養と人間欲求における合衆国上院特別委員会」委員長が提出した、「マクガバン・レポート(「米国の食事目標」)」というものがある。

マクガバン氏は、民主党ではあるが、2期(4年)務めた連邦下院議員から上院に初挑戦したときに、現職共和党議員に敗退落選した結果、ジョン・F・ケネディ大統領から政府の「食糧平和プログラム」担当官に任命されたので、「ケネディ派」である。

ケネディ大統領亡き後、弟のロバート・ケネディが大統領候補になったときも、彼を支持している。

それで、「マクガバン・レポート」の内容が、衝撃的であったために、なんと公表前から物議を醸して、公表後は賛否両論が巻き起こったのだった。
後に、本人は、「(食品)業界からの圧力で政治生命が絶たれた」と表明している。

いまの民主党の姿が見え隠れしながら、ロバート・ケネディ・Jrへの党内圧力の原点がみえてくる。

さて、1977年といえば、どんな時代だったのか?
世界は冷戦真っ盛りではあったが、イラン革命(1978年)前夜でもある。

すでに、米英はスタグフレーションに苦しんでいて、この世の春を享受していたのは、日本だけだったのである。
まして、イラン革命による「第二次石油危機」では、ホンダ・シビックの大成功で、後の日米自動車摩擦に発展する。

そんなさなかに出た、このレポートでは、もっとも推奨される食生活とは、なんと、「元禄時代以前の日本人の食生活」だったのである。

この当時、高校生だったわたしに、「マクガバン・レポート」が大々的に報道されて、巷間の話題になった記憶がない。

もし、関係するなら、「梅干し博士」といわれた、國學院大学の歴史教授、樋口清之氏が記憶に残っている。
「梅干し健康法」とかも、樋口先生の影響がどこまでだったかはしらないが、それなりのブームになったものだ。

それでも、梅干しと米飯の相性のよさは、先生が主張するところでもあった。
歴史の先生が、NHKの番組で栄養を語っていたのである。

当時でも、NHK批判はいろいろあったけど、民放の酷さ(娯楽中心)が誰にでもわかったので、相対的にNHKにはまだ信頼があった。
いまではウソのようだが、当時のわたしはテレビはNHKしか観ないと決めていたのである。

それにしても、GHQが実施した、「3S政策」は、当時の日本人こそ敏感であったのではないかとおもうし、アメリカの余剰農産物を日本に買わせて消費させるためのキャンペーンを超えたプロパガンダは、日本のマスコミの中で至上命令ではなかったか?と疑うと、そのせめぎ合いのなかの、「梅干し博士」の主張は、一線を超えていなかったか?

いや、むしろ、「マクガバン・レポート」を無視する代わりに、ちょっとだけ緩めたのかもしれない。

なにしろ、GHQは、慶應大学の教授に、「コメを食うとバカになる」説を書かせて、パン食の推進を図っていたのである。
これには、まちがった戦争をはじめたことの原因に、日本人がコメを食してバカになったからだという「反省」に見せかけた差別意識まで含まれていた。

そしてなによりも、「まちがった戦争」という刷り込みこそが、戦勝国(=アメリカ民主党)のプロパガンダなのである。

いま、アメリカがウクライナにやらせているロシアとの戦争をみれば、明らかに「まちがった戦争」を仕掛けたのは、アメリカである。
この構図は、そのまま日清・日露戦争の日本にもあてはまる。

当時の欧米新聞に掲載された「ポンチ絵」は、英・米にそそのかされてロシアとにらみ合う日本の姿が描かれれていることに、時代の真実があった。

さて困ったことに、いま、日本人に元禄以前の食生活に回帰せよ、といわれたところで、何を食べれば良いのかの判断が難しくなっている。
料理のメニューや、レシピのことだとおもったら、それは早合点だ。

べつだん、「元禄」といわずとも、当時の日本は完全なる農業国だった。
なにしろ、国民の8割以上が農民か漁民だったのだ。
しかも、「化学工業」は存在していない。

つまり、誰がなんといおうが、全部がオーガニックであった。
例外がないから、「オーガニック」という概念すらない。

だから、現代と同じ食材だとしても、その中身は、まるで別物だとかんがえた方が正しい。

このことは、『日本食品標準成分表』をみても理解できる。
ちなみに、最新は、「八訂」(2020年)の「増補」(2023年)であり、1950年からはじまっている。

かんたんにいえば、初版と最新版を比較したら、おなじ食材の栄養価の変化がわかるのである。

わたしたちが口にしている食材が、70年ほどでどうなったか?をみたら、江戸時代の同じ名前の食材とは「別物」であることがわかる。

もちろん、これには、「品種改良」もあるし、外来種の移入、もある。
しかし、栽培方法の劇的な変化が、別物にしているのは想像に難くない。
また、海産物についても、その汚染度やらを考慮すると、やはり別物だろう。

この意味で、元禄時代以前の食生活とは、一般人にはほとんど宇宙食のようにほど遠い存在なのである。

つまり、口にすることが絶望なのである。

いま、「マクガバン・レポート」が意味するのは、世界で人びとに、この「絶望」を喧伝している、ということだ。
なるほど、日本人が自慢できる要素はどこにもない。

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