夏の定番だった「怪談」も、昨今では人気がないのか話題にも欠くようになった。
そんなときに、突然、横浜市がカジノ誘致に名乗り出たとニュースになった。
市役所のなかでなにがどう話し合われているのかしらないが、もともと市長は誘致に積極的だった。
しかし、市長選挙をはさんで、急にだんまりをきめこんで、「未定」というニュートラルに徹していたのは「港のドン」の態度が選挙前になって180度かわったからである。
横浜港という「かつて」は、世界一を誇った港湾が、運輸省という国家機関の介入で、急速に地位を低下させたのは、まるで我が国の経済力が「国家戦略依存」という勘違いで壊されたパターンとそっくり似ている。
なにが「勘違い」かといえば、需要予測という経営上もっとも重要な判断を民間にゆだねるのではなく、むしろこれを「奪って」、経営に責任のない御用学者と役人が適当に描いた(あるべき)絵図を基礎にすることである。
もはや取り返しがつかなくなった我が国の港湾の位置づけは、とっくに「ハブ」機能を釜山港に奪われたのだが、これは我が国のやりかたをまねっこしたのに、国の役人より財閥を優先させるという韓国の基本政策が、けっきょく民間にただしく委ねることができたという皮肉でもある。
我が国の役人の「優秀さ」こそが、我が国を転落させる原因となるわかりやすい一例である。
いまや横浜港だけでなく川崎港に東京港もあわせて、「京浜三港」が一括して国家管轄になっている。
東京都港湾局も横浜市港湾局も、国家によるしきりに反対しているが、「民間優先」という基本方針がみえないから、国と地方の公務員による縄張り争いにしかみえないのは、たいへん残念なことである。
国際物流という視点からすれば、もはや主流のコンテナ輸送にあって、幹線航路を世界最大級クラスの船が行き来しているが、東アジアにおいては先の釜山港が起点と終点になっている。
たとえば、東京湾は、港が隣接しているから、本来は横浜行きのコンテナでも、千葉行きの船に乗せられるのは、地球儀的視野では「アバウト横浜」だからである。
そんなわけで、千葉港から横浜や東京・川崎港まで、さらにまとめて曳舟で移動する。もちろん、それぞれの行き先を海上移動させているのは、陸上をトレーラーで運ぶより効率が良いからである。
いわゆる入れ子人形のような構造で、海運のルートがなっている。
しかし、いかにコンテナとはいえ、積み替えという手間がそれぞれにかかるから、このコストは誰かが負担していることになる。
それは、最終消費者に転嫁されるのはいうまでもない。
国内の物流コストだけでなく、海外の分も負担があるのだと、あらためて消費者は知っておくべきである。
かつて港湾における「荷役」は、コンテナがなかった時代、ばら積みが主流だったから、人力を必要とした。
これがいわゆる「港湾労働者」ということであって、肉体労働の典型だった。
コンテナはこれを革命的に変えてしまった。
横浜港のドンとは、港湾労働者を仕切ったひとである。
いまでは、各種クレーンのオペレーター会社になっている。
だから、港の隅々まで熟知しているのは、なにも地理だけではない。
横浜「市」が手掛けた巨大事業は、「みなとみらい」である。
三菱重工横浜造船所の跡地開発のことで、大規模な造船所は横浜から消えた。
これは、市役所の都市開発部隊が主導したが、港湾関係者からすれば「担当」がちがう。
「港湾局」だろう、という常識がある。
さらに、以前にも書いたが、横浜には貿易にかかわる多くの上場企業本社があったが、ながかった社会党市長時代に法人住民税を増税したので、ほとんどの企業が東京に本社移転してしまった。
産業がなくなった横浜だが、東京のベッドタウンとして人口は増加したことを文字って「おおいなる田舎」となって現在にいたる。
カジノの予定地は、山下ふ頭という、いわば横浜港の中心地だ。
ここは、戦後史の中での横浜港、という意味があるのである。
横浜商工会議所もカジノ誘致賛成なのは、港湾企業が岩盤規制で新規参入できない特殊性が前提にあるから、港湾関係の加盟企業数が増えることも減ることもない。
市役所同様、商工会も閉塞感があるだろう。
兆円単位の投資がされるカジノが、こうしたひとたちに魅力なのは、自分のおカネではないから余計に金ピカにみえるだろう。
しかし、役人なら仕方がないが経営者なら、「投資回収はどうするのだ?」がなくてはならない。
この議論が「ない」ことで、横浜経済人の底がしれる。
市長は有名民間企業で役員を歴任した「ビジネス・ウーマン」だったはずだが、当時の単なる数における「女性枠」でなれたのではないか?とうたがいたくなる。
それが、横浜のこの夏の「怪奇」なのである。
住民は、住民あっての行政に「回帰」してほしいと冷や汗をかきながら願うしかない。
くわばらくわばら。