風光明媚な場所をさがして歩き回るのが「観光」かというと,そうではない.
風光明媚な場所に行くための,道中の景色も観光になる.
だから,飛行機のようなタイムマシンではなく,しっかり窓外の景色がたのしめる乗り物で移動するときには,けっして読書はしない.
景色・風景のなかにある,さまざまなことをぼんやり眺めながら,ひとの暮らしを想像したりすれば,はっきりしなくてもムダな時間とはおもえないからである.
たとえば,国内でも地方の街道を走れば,点在する民家をみるにつけ,その家のなりわいがわからないことがある.
いったい,この周辺の人びとはなにをもって生活しているのか?
田畑がみあたらないのに,どうやって暮らしをたてているのかが,わからないのである.
サラリーマンなら通勤はどうするのか?それとも職人の家なのか?ならば工房はどこか?
こういう疑問が,宿での情報で解決することは希だから,不思議なのである.
これが,はじめての外国ならなおさらである.
東欧を旅したときに,バスで国境を越えたら屋根瓦のかたちが変化したのに気がついた.
それを,ガイドさんに質問したら,民族性の違いという説明があって,国の違い,ということをあらためて感じたことがある.
ひとが旅をするとき,そこが初めての場所であればあるほど,全身の神経が動員されている.
それを,ふつう「五感」というし,ときには「第六感」まで動員することもある.
あらためて,五感とは,視覚,聴覚,嗅覚,触覚,味覚をいう.
かつて住んでいたエジプトに関していえば,当時のカイロ空港には独特の「臭気」があった.
帰国後,ちょうど10年経って,友人ら9人を引き連れて「里帰りツアー」をしたとき,大改修されてはいたが,カイロ空港の「匂い」は変わっていなかった.
それで,「ああ帰ってきた」と独りおもったものだ.
それは、イスタンブール空港もおなじで,あの街には石炭の匂いがある.
35年もたって,トランジットではあったが空港の外気を吸ったとき,自分はイスタンブールにいると確信できた.
ジェットエンジンや整備のための自動車がはなつ排気ガスのなかに,石油ではない,石炭が燃えた匂いがするのだ.
スリランカのコロンボでは,旧市街になった下町にいくと,かつて英国がつくった街並みがいまも残っている.
ガイドによれば,「ここはスリランカでもっとも不潔な街」といいつつ,「インドならもっともきれいな街」といって笑った.
コロンボの新市街にはゴミ一つ落ちていないが,ここにはぬかるみのような排水不良や,生活ゴミもあって,さらに,香辛料の独特な香りが混じっている.
この匂い,どこかで嗅いだことがある.
それは,カイロの下町の匂いに似ていた.
英国が支配した街並みもそっくりだから,急に,スリランカのコロンボ旧市街が「懐かしく」なった.
しかし,活気ある人びとの姿は,エジプトのそれと似ているはずもない.
混沌のアラブに対して,どこか秩序的な混沌という不思議さがあるのは,人間のちがいだろう.
かつての英国人たちも,街並みはおなじようにつくったが,そこに住む人間のちがいに興味があったはずだ.
まぁ,見下していたのはおなじだろうけど.
すると,日本には匂いがない,という匂いがある.
ただ,先進国には共通のようにおもう.
空港がタラップではなくて蛇腹式になったので,飛行機の乗り降りに直接外気を吸わないから,空港ビルの匂いが最初にとびこんでくる.
それは,プラスチックの匂いだ.
あるいは,化学繊維でできた不燃性カーペットの匂いがする.
だからこそ,日本から先進国への飛行機移動は,タイムマシンのようになった.
出発口と到着口の,距離を感じる前に,おなじ匂いを感じるからだ.
すると,街の観光に,匂いという要素があんがい重要な印象をあたえるはずだ.
街づくりには,景観,という第一義はあるものの,そこにひとが住んでいるなら,匂いのアピールがあってはじめてインスタを超えることができる.
そうかんがえたら,わがまち横浜の大観光地,中華街,からも匂いが消えたことをおもいだした.
ハマッコはかつて「南京町」と呼ぶのがふつうで,「中華街」といったらよそ者の証拠だった.
「南京町」の時代の中華街は,煮炊きを道端でする店もいて,あきらかに別世界の匂いがしていた.
子どものころ,鼻をつまんで歩いたと記憶している.
それは,カイロやコロンボの下町に似た,いかがわしさにもあふれていた.
路地ではトリをしめていたりしたから,ときには目もつぶったものだ.
よくいえば,人間の生活のいとなみが,露骨すぎるまでにあったのだ.
もう二度と,あの光景は見ることがない.
「清潔さ」と交換したのだが,魅力も数段落ちてしまったのはわたしだけだろうか?