「言い分」や「言い訳」は、あとからなんとでも言えるけど、「だからなんなんだ」ということになると、何も意味をなさないものだ。
それは、「困った現状を変える」ことにならないからである。
日本人がおかれた「現状」は、実際に敗戦したときよりもはるかに「悪い」状態で、とうとう「亡国」の運命が先にみえてきた。
前回の「亡国」は、腐った民主党政権のアメリカであった。
けれども、なんだかんだと「民主主義」とか「自由主義」とかの「幻想」を擦り込まれて、「戦前よりよくなった」と思えたし、三位一体の「奇跡」によって、驚くほどの経済大国になれたのだった。
三位一体の奇跡とは、朝鮮戦争と,東西冷戦という世界構造,それに安い石油がくわわった,三段波状の奇跡的ラッキーをいう。
すなわち、これらの「外部環境」があって、日本人の労働が活かされたのだ。
この「順番」が重要で、日本人の労働があって、三位一体の奇跡があったわけではない。
だから、「高度成長」は、日本だけで達成できたのではなくて、三位一体の奇跡という外部環境を、ピッタリ利用できたこと「だけ」が日本人を豊にしたのである。
数学でいえば、この外部環境が「必要条件」で、日本人の努力や民族特性は、「十分条件」なのである。
しかし、多くの日本人は、日本人の特殊性を「必要条件」だと勘違いした。
それでもって、国土防衛もおなじ論理にして、こちらから攻めないかぎり安全は保障される、と都合よく「思いこんだ」のである。
この、「思いこんだ」ことも、じつは、「思いこまされた」のであるけれど、他人から強要されたと考えるのは、ワンステップ「脳」を余計に使わないといけない。
「楽ちん」こそが「価値」だという「堕落」で、「思いこむ」ことにしたのである。
むかしの子供は、将来になりたいことのトップが、男子は「陸軍大将」、女子は「お嫁さん」だった。
それが、「プロ野球選手」とか「サッカー選手」に変移しても、なりたいことの情報は持っている。
陸軍大将という時代、子供でも「軍事」についての知識はあった。
それが、「戦闘」の現場に限らないことも知っていた。
つまるところ、「情報戦」のことである。
堕落した思考は、とうとう「戦闘の現場」だけを戦争とイメージするので、「情報戦」をすっかり忘れるか、「卑怯」としてバカにした。
そんなわけで、「すっかり忘れる」ことになったのである。
ロシアがわが国への「報復」を言い出したのは、わが国が「先に仕掛けた」からである。
「ロシアは一方的だ」というNHKの決まり文句は、「鬼畜米英」というに等しい。
平和条約交渉の打ち切り通告も、あの舌鋒鋭い高橋洋一氏をして、「大したことはない」というのは、わが耳を疑う。
そもそも「平和条約がない状態」を、ふつう「戦争状態」というのだ。
つまり、平和条約交渉の打ち切り通告とは、「宣戦布告」ともいえる。
この戦後初の事態に対して、わが国政府は、妙に「悠然と構えている」驚くべき鈍感さがある。
最長の外務大臣だった岸田氏は、ただの「デクの棒」ではないか?
しかし、国内で政権を批判する空しさは、「敵」がいつ侵攻してくるのか?という状況で、吹き飛ばされるほどの「些事」だからなのだ。
米軍基地がない、北海道にいつ侵攻するのか?
そのとき、青森県の三沢基地はどうなる?
タイミングをはかって、中国軍が沖縄・九州を急襲するやもしれない。
想定できる「最高」は、核をもって脅迫することでの「無血分割」なのである。
しかして、中共の子分と化した「維新の会」は、とうとう「条例」による「都構想実現」を開始した。
わが国最大の横浜市で都構想を一切聞かないのに、どうして維新はそこまで拘泥するのか?
「東海省」という、「西日本」を指す行政区分が、できている。
その「首都」が、大阪だからだ。
あたらしい「国境」は、フォッサマグナの「富士川・糸魚川線」だとは、とっくに「公表」されている。
さては、東日本はアメリカの支配地かと思いきや、ロシアになる可能性がでてきた。
あるいは、関東をアメリカとして、残りをロシアにするやもしれぬ。
まるで、ポーランドを分割したように、「当事者」の発言権は一切ない。
さてそれで、「負け犬の遠吠え」である。
残念ながら、西日本の東海省に住むひとたちの「悲惨」は、チベット・内モンゴル・ウイグルのごとく、まずは、日本語禁止からはじまるにちがいなく、おもむろに「奴隷化」される。
1994年、オーストラリアを訪問した当時の李鵬首相は、20年後に日本という国はなくなる、と発言したけど、「やや遅れて」現実になりそうだ。
なお、中共と対峙する日本共産党の委員長が「自衛隊の必要性」を訴えたのも、身の危険を察知したからだろうか?
ロシアとなったら、日本共和国になって、「連邦」に組み込まれるか、あるいは、「自治州」の扱いとなるか?
公用語はロシア語になるけれど、日本語は維持される。
いまのロシア連邦内が、「そうなっている」からである。
はたして、プーチン氏のロシアに編入された日本人は、東海省の運命と比べてどうかとなる。
おそらく、「ナショナリスト」のプーチン氏の「教え」は、奴隷としての幸福を満たすものになるだろう。
そして、アメリカの関東に残った日本人は、自分たちの「安寧」にホッとするのだ。
ほんとうは、それこそが、奴隷としての幸福なのに。