政策立案に役人の言う事しか聞かないから、トンチンカンな政策しか出てこない。
これはなにも岸田政権だからではなくて、アベノミクスなるインチキも同じだから、自民党に中身がないということだけがわかるのである。
その中身のなさが、絶望的な「無知」とか、「無教養」によっているので、期待のしようもない。
まことに、国民にとっては、こんな政府を持つことの不幸としか言いようがない。
もちろん、それは「まともな代わりが皆無だ」という結論に尽きる。
ちょっと前のむかしなら、賃上げしない民間に業を煮やせば、「公務員給与」を上げたりして牽制したけど、いまどきそんなことをしたら、若いひとがみんな公務員になりたがって、民間企業に就職したがらなくなる「困った」がある。
むかしなら、若者がたくさんいたから、公務員からあぶれてもそれなりの人員数は採れたけど、いまは公務員が肥大化したので、民間に回る分がいなくなる懸念があるから、財界に叱られてしまうのである。
世にいう「限界集落」の町内会だって、人口がたんまりいる集落の町内会と「同じ数以上」の役員が必要なのは、大英帝国海軍の艦船がナチスに沈められても、海軍工廠の必要人員が増えたことと似たような話になるのである。
たとえば、夜回りの回数を増やさないと空き家ばかりで放火の危険性があるから、とか。
それに、「賃上げ」の話が、大元の「生産性」の話に転換したのはいいけれど、そのまま「残業削減」の政策になって終わってしまった。
しかしながら、これはこれで「よかった」のは、所詮、政府が民間に賃上げを要求するという本末転倒を「寸止め」できたからである。
ソ連時代に、共産党が企業に賃上げを命令するのと同じだから、自民党はソ連共産党と発想を同じくしている。
唯一の違いは、企業経営者をシベリヤ送りにしない「だけ」だ。
それで、命令をきかない経営者を追放したら、もっと無能な「党に従うだけ」の人物たちが経営者になったので、もっと業績が上がらない「悪循環」になった。
ラッキーなことは、「党の指導者」の高齢化が顕著になって、責任を「死んだから」という理由で押しつけることができた。
社会の前提が、「全能の党はいつでもなんでも正しい」だから、これを否定したら、「終わり」なのである。
わが国では、「党」を「官僚」に置換すれば、同じ理屈ができる。
そうやって何人も死亡して交代していたら、とうとう「若い」ゴルバチョフが選ばれた。
困り果てたゴルバチョフは、窮余の策で「改革」を言わざるを得なかった。
それが、「ペレストロイカ(再構築)」になったのである。
この再構築での、合い言葉が「グラスノスチ(情報公開)」になったのは、国家統計からなにからなにまで、たとえば、「在庫情報」も、全部が「党の指導下」で責任回避の「うそっぱち」だったからであった。
つまり、「本当はどうなっている?」という意味の社会運動なのだ。
企業は粉飾決算が当たり前だったけど、粉飾決算をしないといけない理由が、「党の命令」と同義になっていた。
企業を「指導する党幹部」の責任を回避するには、粉飾決算をするしかないという、単純な原理である。
結局のところ、「グラスノスチ」が、ソ連を死に追いやった。
「うそ」と「本当」の区別がつかない社会になったからである。
誰もが疑心暗鬼となって、社会そのものが維持できなくなったのである。
興味深いことに、盤石と信じられていた国家体制の「崩壊=死」とは、仏教的「転生=再生」という、最大のチャンスが訪れたことを意味した。
それで、「喜々として」アメリカはノーベル賞学者を含む経済専門家たちの大デリゲーションをモスクワに派遣して、「資本主義経済」への転生を助けるつもりだった。
ところが、アメリカ人も「うっかり」していて、「資本主義」とはどんな「思想」なのかを教えずに、「金融制度」や「会社制度」といった「応用」ばかりを教えたのである。
それで、ロシアはとうとう「マフィア経済」という最悪のシステムになってしまったのである。
早い話が、人間になりそこねた「人造人間」のような、ヨーロッパ的なら『フランケンシュタイン』のような経済体制を創ってしまった。
今様の「恐怖:ホラー」というよりも、どこか物悲しいこの物語は、メアリー・シェリーという女性作家が書いたからだろうか?
そんなわけで、「物悲しくもある」のが、女性的になった現代日本で、トヨタ労組が自民党を支持するという「異変」も、自民党とは何者か?を素直に考えれば、単なる社会主義政党で政権党なのだから、むしろ他の労組がなぜ自民党を支持すると表明しないかが不思議になったのである。
これは、見た目で同じ「ソ連型」ではあるけれど、オリジナルのソ連は党からの命令によってであったけど、日本の場合は「状況が命令する」という順番違いで、労組から率先して党が支持されるのだから、本質的には「日本型」の方が、より理想的な社会主義になっている。
一方で、腐っても鯛のアメリカでは、トランプ政権の置き土産である、「空前の減税」が功を奏して、史上空前の「法人税が増収」となった。
政府が企業活動のお邪魔をしないようにしたら、それが「増収」になるという事実を提示した。
10万円の給付で、全国民を乞食化させる日本政府とは、真逆なのだ。
なぜなら、それが将来の「増税」になること確実だからである。
賃金を増やした分税金が控除されるからといって、喜んで決める経営者なんていないのは、福祉国家という社会主義のために、企業の社会保障負担が増えてしまって「相殺」されるからである。
政府が自分で創った「仕組み」を、コントロールすることができなくなったのだ。
フランケンシュタインのように。
ただ、恐怖を感じるのは国民なのだという「ホラー」になったのである。