韓国をディスる余裕はない

「情報統制」によって、日本人の「鎖国感」が醸成されて世界情勢を見誤るように強いられている。
しかもあろうことか、国民の方がぜんぜん気づかないから、いよいよ「奴隷の幸せ」追及になってきている。

この意味で、本当に「テレビを観てはいけない」のだ。

昨日は、とある待合室でずっとかかっている「民放のワイドショー」をチラ見してしまった。
テーマは、「ベビーカーに乗りたがらない子供をどうすればいいのか?」だった。

パネラーになっている芸人やらの出演者の「答え」は、「おやつ(餌)で釣る」からはじまった。
これは、犬を「ダメ犬」にする調教法であって、それを人間にやれという「浅はかさ」は、いったい誰が台本を書いているのか?

視聴者の脳を破壊する、おそるべき番組が、国民資産の電波をつかって垂れ流されている。

そうかとおもえば、「韓国経済がヤバイ」という話題を、「ざまぁ」といって観ているのである。
この「卑しさ」は、まったく恥ずべきものだが、それは韓国人に対してだけでなく、自分自身に対することの方がひどい。

むかしは、「GNP」だったけど、これが、「GDP」に変わったのは、「N」が「ナショナル:国民」だったので、「D」の「ドメスティック:国内」にしないと、統計が取れなくなったからである。

つまり、「N」の場合は、日本国民が生産した付加価値の合計なので、外国で日本人が生産した付加価値を加えることが必要だし、国内でも外国人が生産した付加価値を加えてはいけないから、どうやってデータを分類するのか?ができなくなったのである。

それで、日本人だろうが外国人だろうが、日本国内で生産した付加価値を全部足す方が簡単になったのは、どの国も事情はおなじなので、世界共通の指標として、「GDP」がつかわれることになった。

高度成長期の終わりからバブル期までの、「絶頂の記憶」があるために、なんだかアジアを牽引するばかりか、世界経済を牽引するのが「日本経済だ」という自負が、いまの50歳代から上の年齢には焼き付いている。

同様に「人口は増えるもの」という刷りこみもこの年齢層にはあるので、西暦2000年(平成12年)から、「人口は減るもの」になったことが、22年も経っているのにいまだに「体感的に」理解できないのとおなじである。

そんなわけで、「GDP」について、中国に抜かれて第三位になっても、「ひとりあたりのGDPこそ」が、実力を示すといって、日本経済の「自慢」をして「安心したい」という欲求を満たしていたのである。

さらに、その「ひとりあたりのGDP」で、韓国に劣るようになったことが、ぜんぜん体感できないので、相変わらず「韓国なんて目じゃない」と思いこんでいるし、これをまた、テレビは絶対にいわないで、「ベビーカーに乗りたがらない子供の餌」を話題にして、時間を潰しているのである。

ちなみに、シンガポールは、アメリカを抜いて世界5位にあるし、香港やマカオすら日本(28位)のはるか上位に位置する。
なお、2021年では韓国はイタリアを挟んで日本より下になったけど、「為替」の問題がからむのである。

その「韓国ウォン」の下落が、このところハンパない。
この背景に、貿易赤字問題があって、「輸出主体」の韓国経済が「貿易赤字」というのが、かなり深刻化しているのである。
「25年ぶり」という月次での連続赤字が発表された。

その25年前、韓国はアジア通貨危機の中心的な国になって、「IMF管理:実質アメリカ」の経済になったのである。
これによって、国民は「塗炭の苦しみ」となったことも、日本人には「ざまぁ」の感があったのだ。

韓国国民が、IMFを恨むのはわかるけれども、「その前に実質破綻した」ということが、どういうわけか語られない。
ひとは、「原因」よりも「結果」に執着する。

それでいま、同時に起きているのは、「円安」なのだ。
韓国ウォンの下落を嗤えるのか?

特定産業や企業に媚びを売って、「経済新聞」と自称している広告会社は、輸出に有利な円安を歓迎する論調を貫いてきたが、さいきんは「不安を煽ること」が「癖になった」ので、今度は「円安だぁ!」といいはじめた。

「貿易立国」とは、円安が有利なのだ、という単純な思い込みをしているだけだから、学部学生の劣等生に近い。
企業会計の「本質」をついた、ドラッカーにいわせれば、「期間損益」という制度そのものがナンセンスなのに。

つまり、円高だろうが円安だろうが、価値を提供すること、しかない。

かつて、昭和天皇は「円高で苦労しております」と奏上した、大蔵大臣に、「輸入品が安くなるから国民生活にはよいではないか」と返したという。

さては、韓国の心配をする前に、自国の心配をした方がよほどよい。

子供に餌で釣るように仕込むのは、およそ「躾」ではなくて「芸の仕込み」なのだ。
赤の他人の子供でも、将来が不安だらけなのに、不憫でしかたない。

こんなことになったのは、戦後の昭和から平成生まれのせいなのだ、と恨まれるにちがいない。

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