奈良といえば鹿.
1965年,吉永小百合がうたう「奈良の春日野」は,その後80年代にフジテレビのバラエティー番組で再度注目をあつめたから,記憶にあるかたもおおいだろう.
野生の天然記念物である.
春日大社の神様は,関東の鹿島神宮と香取神宮からも勧進されていて,鹿島神宮の「鹿」が,天然記念物になって生きているといえる.
わたしが住む横浜には,二箇所の春日神社がある.
ひとつは横浜横須賀道路の日野インター入口付近の山上にある「春日神社」である.
こちらは,創建が1099年とふるく,いまでも付近の旧村々の総鎮守である.
もうひとつは,かつての遊園地「横浜ドリームランド」にある,「相州春日神社」だ.
こちらは,ドリームランド開園時の創建というから,あたらしいのだが,「奈良ドリームランド」が先に開業しているから,奈良とは縁がある.
じっさい,境内には春日大社からおくられた鹿がいて,「鹿せんべい」も用意されている.
鹿せんべいは米ぬかと小麦が原料とある.
10枚がひとまとまりで販売されているが,じつは,この「せんべい」のポイントは,十字にまとめている紙テープなのである.
これには「証紙」と印刷してある.
「証紙」だから,なんらかの公の団体が関係している.
それは,「一般財団法人 奈良の鹿愛護会」という.
つまり,この愛護会の証紙のない鹿せんべいは,にせ物,ということになっている.
愛護会の収入は,この証紙からになるから,せんべい自体は愛護会指定の製造元がつくっている.
あやまって鹿が証紙を食べてしまってもだいじょうぶなように,紙の品質とインクは用心されていて,紙はパルプ100%,インクは大豆由来という.
この収入は,鹿たちの健康管理につかわれているから,安心してドンドン与えたい.
鹿は草食で,一頭あたり一日5キロほどの量の草を食べるから,鹿せんべいごときものでは,食欲に影響がないという.
ところで,このブログでも何回か触れたが,日本のおおくの観光地は外国人にとって決定的に「説明不足」という共通点がある.
これは,日本語が「空気を読む」ことを前提としていることの延長で,とくに「説明」がなくても,なんとなくやり過ごすのが日本人の特性だから,これまで問題にならなかった.
しかし,欧米の言語をはじめおおくの外国語には,「空気を読む」という態度がない.だから,ことばの構造自体が,はっきり説明することになっているから,「論理的」である.それで,こうした国の観光地では,「ちゃんと説明する」ことが常識になっている.
日本では,「通訳案内士」も国家資格であるが,これで生活できるような状態ではない.外国語を話せる人がある意味「勝手に」通訳をして料金を得ても,めったに取り締まられることはない.しかし,外国では確実にトラブルになるだろう.有名な観光地や美術館・博物館には,専門のガイドがいて,かれらに依頼しないと,依頼した側も罰則の対象になる.
日本では,「ボランティア・ガイド」が存在して,これを行政も支援することがある.外国なら,「プロ・ガイド」たちから抗議の声が役所にいくだろう.
「業務妨害」だと.
つまり,せっかくの「通訳案内士」を行政も無視している.
そこで,奈良の鹿をみてみると,鹿せんべいの証紙が「日本語表記」だけである.
この「証紙」の意味についての説明がない.
さいきんは,鹿に芸をやらせようというのか,なかなかせんべいを与えず,それで鹿から攻撃されてケガをする外国人観光客がふえたという.それで,注意書きを看板にしたというが,この看板が「読める大きさ」か?
課題はいくらでもありそうだ.
最新のニュースでは,鹿が鹿せんべいを食べなくなった,というものだ.
日本の修学旅行が,奈良・京都からはなれて久しく,閑散とした奈良公園が,外国人観光客という救世主によってあふれている.
それで,想定外の鹿せんべいが与えられて,とうとう鹿が飽きたようだ.
すると,もう一つの懸念は,観光関連業がむかしからの「掠奪産業」にならないか?というものだ.
外国人観光客という「鹿」が,それそれとばかりにつまらないものを掴まされると,いまは一気にSNSで拡散する.
それで,外国人観光客の「忌避地」になると,目も当てられない衰退がやってくる.
どうぞ,正直な商売を.