10月10日は、晴れの特異日ではない

とはいえ、わたしというひとりの人間の記憶では、あまり「雨」が降った覚えがない。

まぁ、たかが還暦過ぎのおじさんの記憶だから、せいぜい50年とちょっとしかない記憶にちがいない。
乳幼児の時分には、カレンダーのイメージもなかった。

昭和の「東京オリンピック」でさえ記憶がないので、どうしてこの日が選定されたのか?については、後からのエピソードを聞いて記憶した。

それが、「晴れの特異日」だった。

しかし、「特異日」の定義は、その前後の日と比べてのことなので、その前後の日も晴れのことがおおいと、特異日としての特殊性が薄まってしまい、あえて「特異日」とはいわないというのだ。

さらに、先の東京オリンピックのエピソードでは、10月15日が当たったが、1964年のカレンダーでは木曜日になるため、「次点」だった10日が土曜日なのでこれに決まった、というのが正確らしい。

とはいえ、これは、1959年の『気象学ハンドブック』(技報堂)によるデータだ。

それで、わたしの記憶に近いのは、1971年から2000年までの30年間のデータをみても、雨が全く降らなかった日で10月9日が17回、10日が19回、11日が14回と、やっぱり10日が一番おおい。(以上、ウィキペディアによる)

この手の話が残念なのは、観測開始から現在までの、通しで書いていないことにある。

そこでちょっと調べたら、気象庁のHPに、以下の記事があった。
「世界気象機関(WMO)の技術規則により、30年間の観測値を用いて平年値を作成し、10年ごとに更新しています」。

でた。
世界気象機関とかいう、怪しい機構がある。

「これによると30年間として世界標準にはしていますが、日本国民の皆さんにはこちらも参考にしてくださいませ」、という発想がわが国政府にはないのか?といいたくなるのである。

なにせ、気象とは、地球と太陽系の関係とか、もっと大きな宇宙との関係とかが影響するものだとかんがえるからである。

そもそも、太陽「だけ」をとれば、約400年ぶりの活動縮小(黒点の減少)が、観測されているのだ。
11年周期のはずが、そうなっていない。

すると、地球全体では、「寒冷化」が心配されるのは、過去の歴史が示すところである。

では、この夏の猛暑はどうなのか?
こたえは、日本の九州から北海道にかけて、いわゆる「本土」が温暖化していて、沖縄は平年並みであった。

相対比較すれば、国内では、沖縄がもっとも「避暑」に適した地域となっていたのである。
これは、世界の天気でも明らかで、わたしが昔暮らしていた、エジプトはカイロの気温は、むかし通りの発表であった。

世界をみない日本人の日常生活と、テレビなどの気象情報番組だけを観ていたら、しっかり「地球温暖化」に洗脳されるが、冷静になればそんな証拠はどこにもないから、国連政府間パネルでも、とうとう「地球温暖化」の文字が消えた。

日本のマスコミは、これも報じない。

そんなわけで、いまの日本政府が信用できないので、余計なことを妄想するのである。
そのひとつが、GHQによる「国民の祝日」に関する介入であった。

もちろん、当時は、「国家神道」に関することが中心だったが、これを「自民党」が引き継いだのであった。

「飛石連休」をやめるために、という理由で、「その日、の意味」を抹消する文化破壊のアメの手法を用いたのである。

この素地になっていたのが、国民奴隷化の教育成果であった。
それで、わが国は、世界でも「祝日」が多いのだ。
なぜなら、法的に休日としないと、休めないように仕込んでいるからである。

タダでさえも休日が多いのに、飛石状態だと、そこを埋めて休みをとる輩がいる。
あるいは、「公休」を後でつなげて「連休」をつくる輩もいる。
それでは、経営コストが上がるではないか!という、従業員を休ませるのも嫌がるひとたちに媚びたのが、自民党だった。

あたかも、福田康夫氏が首相のときに社会保険番号漏れの問題が頓挫して吐いた、「政府がやってあげようとしているのに」どうして国民は有り難がらないのか?と発言したセンスこそが、「祝日を増やし、連休にしてあげる」と一致するのである。

いったい、福田赳夫は、家庭内でどんな教育を長男にしていたのか?

平安貴族の時代なら、まさに「大恥」をかくのは、息子本人よりも親の方だった。
こうした、「親」が増殖して、とんちんかんな国民がまた増殖したのである。

そんなレベルの2世、3世、4世が、議員になって、「職業化」した。

このひとたちは、政治的になにかをする、という意志がはじめからないことがほとんどだ。
なんだかしらないけど、議員に当選しちゃいました。
なので、次の選挙資金を稼ぐために議員活動をしているのだ。
これを、「職業化」という。

10月10日は、「体育の日」で、それが、「東京オリンピック」開会日の記念日だったのである。
それが、10月9日では何の意味もない。
名称はそれっぽいが、ただの、「休みの日」にしただけであった。

しかしながら、国民が、「ただの休みの日」だと認識するのは、また別の意味があって、とうとう、ほとんど全部の祝日が、「祝祭」の意味を失って、「ただの休みの日」となったから、「権利」としての要求にもなっている。

社会とは、こういうものなのである。

それで、朝起きたら、雨が上がって曇りであった。

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