アップル純正「M1チップ」搭載、という「MacBook Air」が届いた。
わたしの個人パソコン所有の歴史は、「マッキントッシュSE30」が最初だった。
ノーアポなのに、会社にこの真四角な「箱」を、専用のリュックで担ぎ込んだセールスマンが来て、熱心にその「すごさ」を語っていた。
もちろん、「ノート・パソコン」という代物もまだ世の中になかった時代である。
いかに「群雄割拠」の時代とはいえ、わが国には「国民機」としての「PC98」があって、その他を「IBM PC互換機」と呼んで、おおよそ「地殻」の「形成」はできていた。
初めて目にしたアップルコンピュータの「独自性」に、驚いたのだ。
会社の仕事を家に持ち込む、という考えがなかったので、先輩や同僚からの個人で購入するにも「PC98のイチオシ」を蹴って、このセールスマンに「発注」した。
店頭では売っていなかったのだ。
とある先輩から言われた「中古を譲ってあげる」という「PC98」の言い値は「120万円」で、スペック的には200万円相当の大盤振る舞いだったことは知っている。
でも、60万円の「墓石型パソコン」を買ったのだ。
もちろん、「薄給」における「120万円」が払えなかったのであるが、ビジネス・ソフトばかりで、しかも「MS/DOS」で自分でプログラムを書くという気がしなかったのである。
そこにいくと、この墓石は、えらくチャーミングな機能を発揮して、まさに「パーソナル」だったのである。
いまのパソコンのスペックとは、完全に「ケタがちがう」のだけれども、念のため書けば、9インチ白黒モニターに、CPUは16Mz、メモリは最大128MBで、HDは40MB(60MBのもあった)で、フロッピー・ドライブが「1.44MBの高密度型」であった。重量は約9Kg。
これが、当時の「世界最先端」だった。
いま、子どもに見せたら、「コンピュータとしてどうして動くのか?」がわからないほどの貧弱さだけれど、その遣い勝手は、会社での仕事における「野暮ったさ」とは別世界だった。
それで、二代目は、「Color ClassicⅡ」を躊躇なく購入した。スペックの「大幅」向上とともに、なんといってもモニターがカラーになった。
それでもって、電話線と結んで「パソコン通信」も「FAX」通信もできた。
インターネットが未だ世の中に一般化されていない時代である。
会社のPCも、ほぼ「単独マシン」だったから、わずかとはいえ、社内をフロッピー・ディスクが行き交うのが職場間連絡の手段でもあった。
もちろん、「主流」は、「紙の印刷物」である。
それから、「ラップトップ」なる、「膝上パソコン」が発売された。
会社の仕事を家に持ち帰ることができる、という「メリット」がいわれたけど、家に帰るまでにその「重さ」で腕がちぎれそうになった。
電車の座席に座って、これ見よがしになにかをしているのを見かけたけれど、重くて「熱い」のをよくも我慢できるものだと感心していた。
マックもトラックボール付きとかを出したし、その後はいまに通じるトラックパッドを開発した。
ウィンドウズPCのトラックパッドが使いにくくて、たいがいの人がマウスを使うのに、マック派はそのまま使う傾向があるのは、「特許」がアップル社にあるからである。
これらの「モバイル」マシンを会社に置いて、自宅では15インチディスプレイの「iMac」(フラット・パネル)を使っていた。
そして、このiMacを最後、「独立」を契機に、不承不承ウィンドウズに移行したのだった。
訪問先企業との「データ互換性」を優先せざるを得なかったからである。
しかし、移行当初は使いながら舌打ちをしたものだった。
マックでできる技が、ウィンドウズで通じずに、手間数が多いのである。
しかも、当時のマックに「右クリック」という概念すらなかった。マウスのボタンは1個だけだったからである。
この「ダサさ」を恨んではいたが、背に腹はかえられない。
そこで、20年ぶりにマックを手にしてみたら、どうやって使うのかと戸惑っている自分がいる。
げに恐ろしきは、「慣れ」である。
そこで、自分からしたら子ども世代にあたる学生だという若者が作った、初心者用の説明動画を参考にしている。
「そうそう」、ファイルの概念からしてちがうのだと、いまさらに納得している。
けれども、おじさんとして、ちょっと心配になったのは、こうして詳しく説明してくれる優秀な若者が、まさか、「独立せず」に「一般企業に就職」したら、確実にやってくるウィンドウズ・マシンとの格闘がある。
きっと、会社で舌打ちをすることだろう。
それでもって、何十年かしたら、マックの使い方を次の世代の若者に指導されるかもしれない。
いや、マックとiPadのOS統合があって、いまでこそある「仮想ウィンドウズ」が正規になれば、ウィンドウズしか動かないマシンより、マックOSとウィンドウズが動くマシンの方が、よほど豊富なソフトを使えるようになる。
これは、マシン性能がソフトを超越するという意味だ。
あと何年?
意外と早い時期になるかもしれない。