せっかくいただく10万円をなにに使おうか?
いまさらだけど、先月、iPadを購入した話をしようとおもう。
もう14年も前になる会社員時代、まだ個人のパソコンを会社に持ち込めた時代、わたしはもっぱら「Mac派」で、さすがに伝説の墓石型マッキントッシュは自宅に置いていたけど、「ノート」がでたらすぐに会社に持ち込んだ。
当時のパソコンは高価で、安くて60万円、スペックにこだわれば100万円はかるく超えた。
いまのパソコンとは、すべての面で比較にならない。
まだ、ワープロ専用機も健在だった。
「MS-DOS」というコマンド入力を要したときから、会社支給のパソコンがなじめないのは、ウィンドウズがでたときも同じだった。
比較にならないMacの使いやすさは、「Excel」にも象徴された。
もはやウィンドウズでも定番のアプリだが、マイクロソフト社は、Mac用に開発したのだった。
当時のDOSパソコンでの定番は、「ロータス123」だったのだ。
定番商品が消滅する、恐ろしい世界がある。
独立して、客先を訪ねてプレゼンするというときに、ウィンドウズ・パソコンでないとさまざまな障害にぶちあたる。
仕方なく、ウィンドウズのノートPCを購入して以来、りんごのマークと離ればなれになったのだ。
そういうわけで、久しぶりのりんごちゃんである。
ひと言でいえば、「やっぱり」というか「納得」というか、「らしい」というか。
ビジネス・マシンとはちがう、人間を理解しているのがりんごのマークだと再確認した。
これは、Androidもたどりついていない。
アイフォンの画面をやたら大きくしたが電話ができない、という状態だったものが、「iPadOS」を搭載して一変した。
画面を分割して、別々のアプリを立ち上げたり、同じアプリで二画面とすることもできるようになったのだ。
写真をめったに撮らない、という癖があって、旅先でもほとんどシャッターを切ることがない。
だから、ガラケーのときからカメラ機能をほとんど使わないので、カメラなしの携帯が欲しいほどであった。
iPadにもカメラがある。
そういえば、あんがい年配者がこれで旅先のショットを撮っているのを見る。
大きな画面で確認できるのがいいのはわかるけれど、なんだかなぁとおもっていた。
しかし、そうではなくて、書類を撮影すれば「スキャナー」の代わりになる。
スマートホンでもできるけど、ファイルの保存先と移動やらの操作が、年配者になったわたしにも面倒なのだ。
iPadで撮影すれば、そのままつかえるのは大画面のおかげである。
しかも、OCR機能もあるので、撮影した文書の文字だって検索できる。
さてそれで、iPadの定番アプリはなにか?
それが、「手書きノート」なのである。
中でも評判が良いのは『GoodNotes5』(980円)だ。
これには、別途、「アップルペンシル」という道具を用いる。
ようは電子ノートである。
紙とのちがいは、とてつもない数のノートを電子的に持ち運べるから、カバンがかさばらない。
それに、手書き文字まで「検索」できて、それがノートを横断して収納している全部のノートも検索対象になる。
もちろん、撮影した書類や写真も貼りつけられるし、手書きした文字を範囲指定すれば、コピーも移動もできる。
これまで、電子書籍は専用端末で読んでいた。
ふせん、マーカー、メモなど、専用端末にも機能があって、アマゾンなら、自分の管理ページでマーカーやメモの一覧をコピーして、電子ノートに貼りつければ、読書ノートが手軽にできる。
しかし、iPadだと、この機能に加えて、電子書籍の横にノートアプリを開けるので、読書しながらそのままノートがとれる。
さらに、書籍の気になるページをスクリーン・ショット機能で撮影し、これをOCR機能と結んでノートに貼りつければ、文字検索もマーカーもふせんもつけられる。
ちなみに、電子書籍のスクリーン・ショットは、個人の用にだけ許されることはしっておこう。
つまり、すこぶる便利かつ知的作業が楽にできる。
「紙の本」でも表紙を撮影すれば、電子ノートの表紙にもなってわかりやすい。
もっと前から使っていればよかった。
パソコンとの棲み分け、という観点からすれば、iPadをパソコンに近づける努力をするひともいるのだろうけれど、タブレットとしてかんがえるとどうなのか?
たしかに、もっとも高機能スペックの機種なら、新品購入で10万円台の半ばほどもする高額商品になる。
このお値段は、いまどきのPCならメーカーのフラッグシップモデル級なのだから、たしかに「なんでもできる」にしたい気持は理解できる。
でも、割り切りも必要ではないか。
アップルストアには、「認定整備済製品」という中古も扱っている。
「在庫限り」だから、いつでもある、という売り方をしていない。
新品とおなじメーカー保証付きで、15%ほど「割安」である。
ぜんぜん叩き売りをしていない。
この会社は、製品を売っている、という意識が最初から希薄なメーカーなのだ。
顧客の「利便性」と「ライフスタイル」を売っているのである。