美しき「建国の詔」

紀元(皇紀)でいう、2682年が今年にあたる。

昭和15年(1940年)には、「紀元二千六百年記念行事」が国主導であって、夏期東京オリンピック、冬期札幌オリンピック、日本万国博覧会(東京万博)の三大イベントの「同時開催」が真剣に「計画」されていた。

21世紀になっても、似たような、東京オリンピックと大阪万博をもう一度やるのに、そっくりで似ているから、発想が同じなのだと思えるのである。
ただし、冬のオリンピックが抜けているし、「同時開催」でもないのが、国威衰退の象徴か。

その東京万博の会場予定地が「月島」であったことから、隅田川に「勝鬨橋」がかけられたのである。
また、この年の「新嘗祭(いまは、「勤労感謝の日」という)」には、日本基督教団が、「皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」を青山学院で盛大に挙行していた。

耳にあるのは、NHKが公募した『紀元二千六百年』で、国民歌とされた、作詞、増田好生、作曲、森義八郎のものとは別にもう一曲、「公式」の『紀元二千六百年奉祝会の歌』作詞・作曲、東京音楽学校がある。

ときの首相は、近衛文麿であった。

当時の日本人の「常識」にあったものが、いまの日本人の「常識外」にあるという、見事なシンメトリーとなっているのが、「建国の詔(みことのり)」に関する「知識」である。

あとの二つのシンメトリーをつくっている知識は、『五箇条の御誓文』(1868年)と、『教育勅語』(明治23年:1890年)だ。

簡単にいえば、1868年生まれ(明治元年)のひとは、昭和15年に72歳だったということである。
当時の平均寿命は50歳弱だったので、それなりの「長寿」である。
1890年生まれなら、ちょうど平均寿命のお年頃だ。

ちなみに、明治中期(20年代)の平均寿命は、男女で42~3歳だった。
いまの「半分」しかない人生だったのだ。
これが、ひとびとの考え方や生活態度に影響しないはずもないので、もちろん単純比較はできない。

それに、「開国以来」の、外国からの影響、というファクターも大きかったはずである。
すなわち、暦にもそれが現れたことを何度も書いてきたとおり、古代より太陽太陰暦で過ごしてきた1000年以上の生活が、西洋の太陽暦への「変更」で激変したように。

この点、デジタルのカレンダーは便利で、「旧暦表示」も併用できるし、気の利いた紙のカレンダーにも、旧暦併記のものがあって、なるべく探して購入している。

国民への「義務教育」というのは、厳密にいえばちがっていて、「親(いまは、「保護者」という)」に対する、「子供」へ教育をほどこす「義務」をいう。
もちろん、日本国民に子供も含むからである。

なので、生まれてこのかた、なにもわからない「子供」には、自然権としての、「教育を受ける権利」がある、ということだ。

これが、ヘンテコなことになったから、かえって分かりやすくなったのが、アメリカ民主党が支配する「州」での義務教育で、当局による教育をするから親は自分の子供への教育に対しての意見をいう「権利がない」という、行政側の主張になって、おとなたちから大反発を生んでいる。

それがとうとう、「建国の歴史」を、「奴隷制」と「原住民虐殺」の「黒歴史」だと教えはじめた。
じつは、これらを推進したのが「歴代民主党政権」だったのに。

要は、親は自分の子供を学校にだけ行かせる、という「義務」さえ果たせば、あとは「教育のプロ」がやるからなにもしなくていい、という「過剰サービス」をいっている。
これは、「共産下」にある、子供は国家のものという思想の行使である。

こうして、ずっと民主党が支配してきた州の知事やらが、共和党に変わる、ということになってきたのだ。

しかし、わが国ではとっくにそういうことになっているのである。
特に「初等教育」の重要さは、一生の記憶に書き込むほどのことになるから、明治のひとたちは、子供がいようがいまいが「自腹」を出して、ピッカピカの「小学校」を建てたのである。

これが、「逆転」して、「税金」だけでいいとなったら、ぜんぶが「他人事」になって、とうとう「文科省」が仕切ることになった。
それでもって、文科省は民主国家を破壊して共産化を目論む教師たち専門家と談合して、「わが国独自の建国の歴史」を一切教えない、という「常識」ができたのである。

もちろん、これを野放図にしているのが、政権与党の政治家たちである。
つまり、「国民」が「破壊者たち」を選んでいるのである。

わが国がどんな成り立ちだったのかは、『日本書紀』に書いてある。
それが、「世界の常識」から、大きく「逸脱」しているものだから、欧米列強の「下等な文明」に気がついたひとたちが、「攘夷」しかないと思い詰めたのである。

では、どんな成り立ちなのか?
「ねずさん」こと、小名木善行氏が詳しく解説しているから、参照されたい。

「反論」は、それから、である。

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