EPWING規格の電子辞書

今日から新年度。

街にはフレッシュなひとたちが歩いているはずだ。
学校がはじまるにはもう少しだろうけど、さまざまな「1年生」が準備に忙しい時期である。

学生なら、新しい辞書を購入するシーズンでもある。
紙の辞書か?電子辞書か?
この「論争」は、根強くつづいている。

紙の辞書も、ずいぶん進化して、わかりやすさという点ではむかしの比ではない。
組版の技術的進歩があってこそだろう。
それは、同時に販売する「電子版」のために、変化しているという順番だともかんがえられる。

その電子版の方は、いわゆるパッケージ化された「機材」としての「電子辞書」と、媒体として「CD-ROM」や、そのまま辞書販売サイトから「ダウンロード」して入手するものとに分類できて、さらに、「共通規格」か「独自規格」かに分けられる。

パソコンや携帯、あるいは、タブレット端末が普及していなかった、ちょっと前だと、辞書を携帯する利便性としての「電子辞書」が主流で、各メーカーは、例によって「細かい仕様設定」をはじめた。
中学生用、高校生用、専門職用、一般生活用など、見た目のデザインにも差別化を施したものだ。

一方で、パソコン用のものは、電子辞書をアプリケーションとして扱うものと、日本語変換ソフトのなかで機能するものとがある。
前者は、パソコン内で辞書を引く、オーソドックスなイメージで、後者は変換候補を選ぶときの支援というイメージだ。

パソコンの処理能力が貧弱だったときに、日本語変換ソフトが多機能で重くなると、なんのための作業かとおもうくらいにモッサリしたことがあった。
しかし、いまのように高速化してきたら、変換時に辞書機能が自動的につかえる利便性は高い。

この意味で、意味がわかる国語辞典系も便利だけれど、類語辞典の充実がほしい。
とはいえ、またまた、モッサリになるかもしれない。
それで、電子辞書としての類語辞典は、別途辞書アプリをたちあげてチェックしている。

ここで、重要になるのが「規格」なのである。
わが国には、電子辞書の共通規格として、各出版社がつくりあげた「EPWING規格」がある。
知る人ぞ知る、というものだ。

おおくの「電子辞書ソフト」は、この規格によっている。
したがって、別々の出版社からでている、さまざまな「辞書」は、この規格にそった「ビューアー・ソフト」で「統合」することができる。

しっているひとには当然だけど、しらないひとはパソコンでの電子辞書より、端末としての電子辞書をイメージする原因にもなっている。

端末としての電子辞書には、データ更新をどうするのか?という問題がある。
もちろん、「メモリ・カード」を別途購入するなどの方法がとられている。
しかしながら、おおくは電卓のように、買ったときのまま使いつづけるひとが圧倒的多数だろう。

だから、収録辞書のなかにある辞書で、「版の改訂」があると、端末全体を新規購入するか、それとも?という問題がおきる。
この点、パソコン・ソフトとしての辞書ならば、新規扱いではなくてバージョンアップ対象のものが多数ある。

さて、「共通規格」のメリットは、OSなどに左右されない、ということがおおきい。
むしろ、ビューアー・ソフトの選択も自由なので、有料・無料のそれぞれをいくつ利用してもかまわない。

逆にいえば、辞書ソフトとは別に、有料のビューアー・ソフトをつかうなら、別途費用がかかることもあるのだ。
この場合、辞書の遣い勝手を決めるのは、辞書自体ではなくて、ビューアー・ソフトの出来による。

元の辞書データは、個人の利用ならさまざまな端末にインストールできるので、スマホやタブレットで携帯もできるけど、それぞれの端末でうごくビューアー・ソフトが必要である。

ちょっと面倒なようだけど、これまで、別々に辞書ソフトを購入していたのなら、ビューアー・ソフトで統合させると、異なる辞書間での「串刺し検索」も可能になるから、単独利用よりグッと利便性が増すのである。

たとえば、国語辞典といえば、その独特な解説で「ファン」をつかんでいる、『新明解国語辞典』は、おなじ見出しでも「版」による表記にちがいがあって、それがまたユニークだから、ぜんぶの「版」を串刺しして検索できると、どう変化させたのかの変遷がさぞや楽しいだろう。

この「恩恵」も、「規格化」というベースがあってのことだ。
そこで、一部、「規格外の独自性」を打ち出しているところもある。
これを、さらにビューアー・ソフトが「なんとかする」ので、その筋のマニアが開発にいそしんでいる恩恵もある。

われわれが現代の文明生活を享受できるのは、「規格化」あってこそなのだ。
古代ローマの馬車の「車輪幅の規格化」は、なんとなく世界史でおそわるけれど、遺跡で確認できるのは、ぴったり、1,435mmだ。

これは現在、「標準軌」と呼ばれる、鉄道線路の幅とおなじで、わが国では、新幹線の線路幅である。
ただし、鉄道の歴史はローマからのつながりを否定している。

とはいえ、「度量衡」の統一とは、規格化の基本中の基本だ。

近代の規格化の父とは、「工業生産の規格化」で驚くべき成果をだした、ハーバート・クラーク・フーバー氏だ。
彼は、いまだに大恐慌の経済対策で、「無能」の烙印を押されたままの、第31代アメリカ合衆国大統領である。

はたしてほんとうに、無能なる人物だったのか?
自分で調べるべきことである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください