「ウザン」ドレッシング

健康志向から、「サラダバー」があるレストランがずいぶんふえた。
野菜を食べると健康にいいというのが科学ではなく気分である証拠は、ドレッシングの選択にあらわれる。
ノンオイルならまだましだが、脂質たっぷりのドレッシングを大量にかければ、なにが健康的かがわからなくなる。

しかし、糖質と脂質という成分には、飢餓の時代がながかった人類にとって、「おいしい」という味覚の遺伝子が、ちゃんと機能するようにできている。
だから、野菜という低カロリー食品に、高カロリーの調味料をつかうのは、バランスがとれているのである。

そういうわけで、野菜を食べると健康にいい、ということにはすぐにはならない。
また、エグミというのは、からだによくない成分であることがおおい。
それで、苦く感じて注意を喚起するようにもなっているから、あんがい生野菜には温野菜にくらべて不健康な要素がある。

生野菜は基本的に食べない、というひとがいるのは、理にかなっている。
これに食べ合わせも考慮すると、食べ物というのは化学知識をようしないと理解できない。

中年をすぎて、尿管結石を何度かやったことがある。
その痛みたるや、表現できないほどのものだ。
主たる原因は、緑の野菜におおい「シュウ酸」が、血中のカルシウムと結合してできると医師から説明をうけた。

こうした野菜をとるときには、カルシウムもいっしょに食べると予防になるという。
たとえば、ほうれん草にはたっぷりのシュウ酸があるから、グラタンにして乳製品といっしょに食べれば、乳のカルシウムとすぐに結合して排出されるから、体内でわるさをしない。
伝統的な調理法には、そうとうの経験的知恵がつまっていることをしる。

「医食同源」とはよくいったものだ。
現代は、専門領域が深くなった分、範囲がせまくなった。
それで、「医」学、「薬」学、「栄養」学が、独立してしまった。
さらに、業界のためなのかそれぞれに国家資格ができたから、専門家は専門外のことをいえなくなった。

トータルで、医学の「医者」が、領域を超えても許されるようになっている。
しかし、むかしとちがって、患者の側の知識が向上した。
それで、家父長的である「ぞんざいな態度」を、医者がすることがなくなって、「インフォームドコンセント」や「セカンドオピニオン」があたりまえになった。

出版不況は深刻な状況になってひさしいが、一般人も一般書で知識を得ることが容易になったのは、なにもネットの普及だけが原因ではない。
たとえば、『マギー キッチンサイエンス』は、邦訳が2008年にでているが、アメリカでの出版は1984年である。

1984年といえば、レーガン大統領一期目で、米英ともにスタグフレーションに悩んでいた時代であって、わが国は『ジャパンアズナンバーワン』(1979年、エズラ・ヴォーゲル)の絶頂期だった。
この本は、そんな不況期の真っ最中のアメリカで大ベストセラーになったのだが、平成不況のわが国で大ベストセラーになってはいない。

いわゆる「グルメブーム」というのは,経済成長いちじるしいわが国あって、1975年スタートのテレビ番組『料理天国』が象徴的だったが、猫も杓子もになったのは、やはりバブル時代前後であろう。
そういう意味で,『キッチンサイエンス』は、「食」を食材と調理法という側面から科学(化学)的に解説したものとしての画期があった。

しかし、わが国の「軽さ」は、たんに豪華さをくわえた「美味追求」に終始し、それが転じて「B級」という分野に発展したから、ついに現在・ただいままで、「なぜ?」の領域にふみこんではいない。

残念だが、ここに日本がアメリカをとうとう凌駕したとおもったとたんに凋落がはじまり、アメリカが復活するメカニズムの一端をみるのである。

ちょうどこの本がアメリカで出版された頃、アメリカは国家プロジェクトとして、歴史上二度目の日本研究を終えていた。
一度目は戦時中、捕獲した「零戦」の解体研究だったが、このときは「日本経済の強さの理由」だった。

それで、かれらは「品質にこそ利益の源泉がある」という結論にいたったのである。
料理についても、食材と調理法を科学するというのは,品質の追求と同様ではないか?

これを追求した国と、怠った国が、気がつけばとても「凌駕した」とはいえない差になってしまったのは、当然の帰結である。

とあるレストランのサラダバーで、ドレッシングの種類説明のシールが一部はがれて丸まっていた。
これをみた、中年男性客がおなじグループのひとに、
「『ウザン』っていうドレッシングがいちばんうまいよ」とおしえていた。

「サ」が丸まっていたのだが、それをいわれたお仲間が、「へー、『ウザン』か、めずらしい」といって選んでいたが、「なんだ『サウザン』じゃないか」という声はきこえなかった。

「憶測」しかない韓国情勢

過去最悪という状態の日韓関係になってしまった。
わが家の歴史では、日清日露の戦争で、曾祖父の世代から数人の戦死者をだしている。
このふたつの戦争の意味は、第二次大戦より明確で、朝鮮半島に清とロシアを支配者として受け入れないためだった。

海をこえて移動する手段が、飛行機発明前の船しかない時代に、あの半島がわが国にちかすぎて、わが国の価値感とはことなる、清国とロシアが支配してしまったら、「元寇」以上の脅威となるからだ。

音速をこえるジェット機や、それよりはるかに高速なロケットがある現代で、地図はかわりようがないから、あの半島の情勢は、むかしよりもずっとわが国の安全にとって重要な影響をおよぼすようになっている。

だから、日本側の一貫した「甘やかし」は、うらがわに「恐怖」があるのである。
西郷隆盛の征韓論から、福沢諭吉の「脱亜入欧」も、この重要な半島に住まう、困ったひとたちへの対応を示したもので、伊藤博文が「併合」に反対した理由でもあった。
それで、どうにも偏屈なこの住民たちを、まちがえて支配するようなことがあってはならないと、国際協調派の伊藤はみずから朝鮮統監になった。

日本政府の朝鮮「支配」は、台湾と同様にその全期間をつうじて完全「出超」であった。
つまり、政府税収と予算支出のバランスが、植民地支配中、一貫して支出のほうがおおかったのだ。
よくもこんな政策を日本人の有権者が支持し、しかも維持されたものだ。

いわゆる欧米列強諸国がやった、植民地支配と「真逆」なのである。
日本本土の各県への分配よりも、朝鮮と台湾を優先したことは、特筆にあたいする。
いったいなにをかんがえていたのか?
もちろん、朝鮮や台湾に、中央政府の予算を分捕るための地元選出議員などいないから、あきらかに「国策」であった。

しかも、朝鮮を一等国民とし、台湾を二等国民とした。
この差を台湾人は嘆くが、それは、やはり安全保障上の重要地域、ということが根拠だったろう。
だから、民族の優劣ではなくて、地理上の優劣だった。

日本が敗戦したら、日本だった朝鮮をどうするか?になった。
「ポツダム宣言受諾」によって、無条件降伏したのは日本軍だったが、日本国政府が無条件降伏したようにみせる、まちがえた報道が意図的にされている。
政府と軍と別である、という国際常識が、いまだにない国民にされている。

原爆を二発もうけて、それでも日本政府がグダグダしていたのは、「条件」をどう要求するか?を評定していたのだ。それが「国体護持」だった。
だから、わが国政府は占領下でも存在していたが、総督府という政府をうしなった朝鮮は、米軍の軍政下におかれることになった。

日本の敗戦が、自動的に朝鮮の独立だという主張は、残念だが国際的に通用しない。
日本統治時代という区分でいえば、本土の日本人もおなじだが、当時の国際法を国民(日本人、津朝鮮人、台湾人、それに千島・樺太は、全員「日本人」だった)が理解していなかったということだ。
つまり、これを教えなかったのは、日本政府の責任だ。

いまでも、日本政府は、国民への普及義務が条文にある「ジュネーブ諸条約(4条約)」を、ちゃんと周知させていない。
リンクにあるように、防衛省のHPにあることをもって「周知」とは「笑止」である。
その条文は以下のとおり、防衛省HPに記載があるのだ。

『締約国は、この条約の原則を自国のすべての住民、特に、戦闘部隊、衛生要員及び宗教要員に知らせるため、平時であると戦時であるとを問わず、自国においてこの条約の本文をできる限り普及させること、特に、軍事教育及びできれば非軍事教育の課目中にこの条約の研究を含ませることを約束する。』

スターリンの策謀で、朝鮮戦争がおきて、半島は南北に分断された。
このときの休戦協定は、いまでも有効だが、なんと韓国政府は、協定の当事者ではない。
朝鮮戦争の当事国に韓国はふくまれていない、という重要な事実があるのだ。

この協定の日本語正式名称は、「朝鮮における軍事休戦に関する一方国際連合軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令員との間の協定」だ。
すなわち、国連軍というほぼ米軍と、北朝鮮・中国の三者による。
だから、「在韓米軍=国連軍」を「在日米軍」とおなじとおもってはいけない。

昨日、木村太郎氏が、FNNPRIMEの記事で、重要な「憶測記事」を書いている。
ふつう、ジャーナリストが「憶測記事」を書くのは御法度である。
しかし,もはや、ベールの北朝鮮とおなじレベルの国になってしまったから、「憶測」しか書けない。

北と一緒になることを最優先課題としたのだ、とすれば、韓国政府の論理のつじつまが合致する。
日米を離反させようと仕組んで、損をする東アジアの国はない。
北は当然、中国も、ロシアも、日米離反はむしろ歓迎すべきことだ。

韓国が北に飲み込まれる、ということが現実味をおびてきた。
これは、元寇以上の危機を意味する。
米中経済戦争が、ラッキーをもたらしたが、ロシアがしっかり動き出した。
状況は、「日清日露前夜」にもどっている。
まさに、地図が変わろうとしている。

戦後最大の、わが国の正念場がやってきている。

「フレーバー」にこだわる

いまは、ずいぶんと「フレーバー」商品があふれている。
これも「豊かさ」の表現のひとつなのだろうとおもう。

以前から、よい香りの商品といえば、線香や香水、香の物といった「香」の文字があるものや、日本茶や紅茶、それにたばこがある。
お酒も香りは重要だが、リキュールには特にさまざまな味と香りがあって、好き嫌いがわかれる。

嗜好品と香りは、密接なものだ。というより、香りの嗜好が嗜好品をきめるのである。
だから、自分好みが他人にもよいとはかぎらない。
それで、あれこれとさまざまな種類の香りがあって、それをまた「調合」して、あたらしい香りをつくりだすことになったのだろう。

こうして、「香り」が「フレーバー」という表現になった。
嗅覚は味覚とむすびつくから、フレーバーは「味」の表現にもなる。

原点にもどって、フレーバーと味が別物であると実感できるのは、バニラ・エッセンスをなめればよい。
なんとも甘美な香りのバニラ・エッセンスは、おどろくほど「苦い」からだ。

2003年にパトリック・ジュースキントの小説『香水-ある人殺しの物語』(文春文庫)がある。
これを原作にした2006年の映画『パヒューム』は、有名監督たちが作品化をあらそったことでも話題になった。

 

舞台は18世紀のパリとなっている。
あのフランス革命が1799年にナポレオンのクーデターでおわるから、革命前あたりという時代背景である。
この時代は、パリがヨーロッパの中心だった。

しかし、都市としてのパリに下水道が普及するのは19世紀になってからで、18世紀の半ばというこの物語当時のひとびとには入浴の習慣もなかった。
すると、街も人間もおそろしく「臭かった」ということになる.
香水はの需要は、日本人がかんがえるよりずっと深刻で、強いものだったと容易に想像できる。

だから、19世紀、極東アジアの後進国だと信じて訪問した、幕末の日本が「ほぼ無臭」だったことに、おおくの外国人たちが驚嘆したのだろう。
むしろ、無臭ではなく、かれらが訪ねた場所には「香」のけむりが漂っていたはずであるから、本国の文明とのちがいをはっきり認識したことだろう。

素材の味をいかすのが日本料理の真髄だ。
したがって、素材の香りをどうするか?も当然その技術にふくまれる。
だから、日本人はどんなものでも素材にこだわる傾向がある。

たとえば、いまはやりのコーヒー豆専門店では、個人商店でもチェーン店でも、コーヒー豆の品質に最大のアピールをしている。
それぞれの産地に、それぞれの味や香りの特徴、ロースト具合や挽くときの粒度などにくわえ、ブレンドをふくめると、その組合せは無限大になる。

これが、コーヒーという嗜好品をして嗜好品たらしめるのだろう。
自分の好みはなにか?
一般人は、自分の好きな味や香りがなにかを、あんがいしらないものなのだ。
これをアドバイスして、本人のしらない好みの組合せをさぐりだせれば、もう本人のよろこびは無限大になる。

説得ではなく納得がもっとも重要な商品販売の要素だ。
売れないのは、購入者が納得していないからだ、とかんがえることがひつようだ。
だから、専門店では、店主や店員の専門知識こそが、商品になっている。
たんに豆の種類をたくさんそろえれたからといって、売れる店にはならない。

これはなにもコーヒー豆専門店にかぎったことではない。
お米屋さんだって、お客の家庭の好みからブレンドすれば、ブランド米100%よりも安価でより美味い米を提供できる。
もちろん、こうしたお店のファンはおおい。

ところで、コーヒーに関していうと、大量消費するアメリカでは日本とのちがいが顕著にある。
一日に何杯飲むのか?
ほとんどコーヒーとともに生きているから、彼らは豆の種類や豆そのものの品質に無頓着なところがあって、それでかフレーバーにこだわっている。

ナッツ系のフレーバーや、バニラフレーバーなど、その種類は豊富だ。
いまの気分ならこのフレーバー、という嗜好選択なのだ。

そういえば、たばこもアメリカとイギリスでは正反対だ。
アメリカのたばこは、葉の品質よりもフレーバーが重要視されていた。
もともと葉の品質が悪いのだ、という説明もあった。
対してイギリスでは、なによりも葉の品質が重視され、フレーバーを添加するなど御法度だった。

ときとして米英で、正反対のことがあるものだ。
アメリカでイギリスたばこを、イギリスでアメリカたばこをくわえれば、たちまちにして何人かがわかる。

後進の有利は、フレーバーであれ葉の品質であれ、どちらでも好きなものを好きなように選んでも、社会的に変なめでみられないことにある。

しかし、後進だとおもっていたらあっさり否定されるのが東ヨーロッパで、かつて中南米の社会主義政権とのつきあいがあったから、品質のよいコーヒー豆が安価でてにはいった。
だから、コーヒーの品質と味には敏感なのだ。

たまには、アメリカのフレーバー・コーヒーを淹れてみようかとおもう。

忍耐の町内会・自治会

お正月気分もぬけてきて、4月からの新年度にむけた準備がはじまっている。
そのなかに、町内会・自治会の役員改選がある。
むかしは町内会のなかに老人部ともいえる老人会があったが、いまは町内会が老人会になってきている。

サラリーマンという商売をしていると、ご近所のことは専業主婦にまかせるというのが一般的だった時代とちがって、専業主婦が特別になったから、なかなか逃げられない。

高齢だが独り暮らしで仕事をしなくてはならず、おまけに持病がある、という条件がそろっていても、特別扱いしてはくれない厳しさも、「お互い様」という概念が適用されるからである。
かくも「平等」が、お気の毒をうむことを目撃することはない。

町内会・自治会の役員改選には、まずは末端の「班」から候補をえらぶ。
「班」は10軒ほどで構成され、ここから班長がえらばれる。
たいがいが回覧板の順番での持ち回りだから、班長には10年に一回なることになる。
それで、班長があつまって執行部を形成する役員を互選するのだ。

いつからできた仕組みかはしらないが、戦中の五人組から発展したのは間違いない。
五人組には互いに監視しあうという任務もあったというが、どこまで当局とつながっていたのかまでは調べていない。ご興味のあるかたにはお調べいただきたい。

明治にできた治安警察法による特別高等警察という国家警察があったが、戦後解体され、公安警察や警備警察、外事警察にひきつがれている。
それ以来、わが国には国家警察はないことになっているから、警察庁という役所は直接の捜査権がないため、妙に中途半端な存在である。

町内会・自治会の運営が、超高齢化という社会基盤の影響をうけないはずがなく、むしろ、その最先端の問題が発生する現場である。
だから、従来のような町内会・自治会が維持できるのか?という根本問題までも、その解決は待ったなしになりつつある。

この問題はおおきく二つあって、ひとつは人数確保という「形式上」のことで、もうひとつは、運営にかかわる「方法論」ということになる。
だから、議論にはこれらふたつのうち、どちらのはなしをしているのか、ちゃんと確認しないとたんなる「雑談」になってしまうおそれがある。

個人的に、10年ほど前にいちど役員をやったことがある。
そして、今般、持ち回りでふたたび役員候補になった。
あらためて、10年前に感じたことが、今回も同様に感じたのは、会議の方法が学級会以下だということだ。

たまたまだとしても、15名の候補から7人の執行部を互選する会議に、二時間を要した。
最後にのこった会長を決める方法は、あみだくじ、であった。

どうしてこうなるのか?をかんがえてみた。
その前に、事前に知らされていない情報があったことにも注目である。
それは、道具としてのパソコン所持の有無、であり、ワードやエクセルが使えるか?ということからはじまる。

二名ずつえらぶことになっている書記と会計の実務には、ワードとエクセルがつかえなければならないし、事実上、自分でパソコンを所持していなければならない、という条件情報が欠如していた。
けれども、町内会・自治会で購入しているパソコンもあって、このOSは「VISTA」だった。

古すぎる。
それで、これまで各年度で執行部にえらばれたひとたちは、共通のUSBメモリーを会計と書記が二個ずつ引き継いで自前のパソコンをつかっていた、という。

つかえないものを処分して、二万円程度のリース落ちビジネス・パソコンの中古でも購入しなかった理由はなにか?

印刷されている書記の仕事内容説明には、議事録作成のほかに防災組織班長の名簿作成もある。
個人情報にあたるものが、これでよいのか?という議論はなかったのだろうか?

さらに、議論がすすまない理由に、役員になったひとがでた「班」からは、別のひとが「班長」に繰り上がることになっている。
つまり、自分のうしろに他人がひかえているのである。
だから、班内の事情をよくしる候補は、責任を持って、役員に就任しない努力をするのだ。

また、会長経験者の業務説明に、市役所との「連携」というものがあった。
近年、市役所は町内会・自治会へ業務を振っていて、かわりに「助成金」をだすという。
つまり、役人の数はふえているのに、仕事は減らしていて、以前はなかった「おカネ」をくれるということだ。

これは、「連携」ではなく、「命令」ではないか?
案の定、経験談として、助成金をもらうから、住人側にいろいろと負担がふえているという。
自治体が住人に自治を強制するという、お笑いぐさが、まじめに議論になっているのだ。

町内会・自治会へのコミット方法がまちがっている。
小学校に設置した中古パソコンでもいいから、町内会・自治会へ支給することもできない。
役人の無能さは、底なしである。

どうするのかを観察したところ、その極めつけが、議事進行の方法についての、基本的な合意がないことだ。
「社会人」が集まっているのに、である。
どんな社会経験と訓練を受けてきたのか?まったくの疑問である。

まずは、役職に就任するということからはなれて、「この会議」の議長(司会役)を決めなければならない。
それもしないから、ダラダラと時間だけがすぎていく。

「遠慮深い」からではない。
上述した、役員に就任しない努力が、効いているのである。

その証拠に、「役員をえらぶ」という議題からはなれた個人の要望や意見が時間を浪費する。
こうしたはなしを制止して、本論に集中させることが必要だ。
つまり、逃げのための意見ばかりがでるからだ。
だったら自薦の時間帯をきめて、のこりはクジできめればいい。

そんなわけで、とにかく「忍耐」こそがもとめられるようになっている。

一人当たりの生産性が先進国でビリ、とうとう韓国にも抜かれた理由が、なんだか実感できるのだった。

言霊のちから

日本人論でかならずいわれる「無宗教」性は,外国人観光客からすればかなり「変」におもうはずだ.
なにしろ,有名な観光名所のおおくが「神社仏閣」だし,「国宝」や「重要文化財」も仏教などの宗教的造形がおおく指定されている.

これだけ大切に保存されているのに、「無宗教」とはどういうことか?
むかしの日本人は信心深かったが、いつからこうなったのか?

作家の井沢元彦氏は,人気シリーズ『逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎-』(小学館文庫)で,きっぱりと日本人の無宗教性を否定し,むしろ世界最強クラスの宗教国家であることを述べている.

このなかで,日本人の持つ最強の宗教観とは,「言霊」,「怨霊」,「みそぎ」をあげている。
発言のとおりに物事がおきたり、怨霊をいかに鎮めるかが祈りの本質であったり、けがれを除くためのみそぎであったりと、これらは現代生活で、ふつうにあるのである。

物理学の統一理論といわれる「超ひも理論」の構想が発表されて久しいが,バラバラな理論で四つの力が語られているのを,「統一」しようという試みである.
「電磁力」、「重力」、「弱い力」、「強い力」である。

このうち「弱い力」とは、原子構造における素粒子のふるまいのことで、原子があつまって分子になって物質を構成する根本のちからである。
おどろくほどの弱い力だけれども、このちからがなくなると、原子や分子がバラバラになって存在できないから、この世の中の物質という物質がきえてなくなってしまう。

ちなみに、「強い力」とは、核分裂や核融合といった、膨大なエネルギーを放出するちからをいう。

わたしは、日本人の精神における宗教観感覚とは、この「弱い力」に似ているとかんがえる。
ふだんは、宗教を意識しないで生活しているが、時と場合によって、だれかに命令されるまでもなく強固に結合する。
「初詣」にかけるエネルギーは尋常ではないし、人生の節目における「儀式」に宗教的な演出は欠かせない。

しかし,これだけにとどまらないのは、その「あうんの呼吸」ともいうべき、一体感という感覚だろう。
ふだんはバラバラにみえるのに、ここ一番で終結するちからが、日本人にはあるからだ。
まるで、バラバラな素粒子をまとめる物理学の「弱い力」にそっくりなのだ。

なかでも「言霊」は、日本人の精神を支配している。
その代表的事例が、「憲法9条」の議論だ。
合理主義の外国人からみれば、現実とことばの倒錯ともとれるこの議論は、理解不可能なのではないか?

戦争が起きないのは憲法9条があるからだ。

ふつう、戦争には外国という対戦相手がいる。
外国政府には日本国の憲法9条が適用されないので、現実には、別の理由で日本には戦争がおきていない、とかんがえるのが外国人だろう。

昨年末、わが国を代表する高僧が、ことしの漢字を「災」と書いた。
天災があいついだ年だったことからの選択だった。

ならば、憲法に「台風来るな」、「地震よおきるな」と書けばよいと指摘したひとがいる。
これは名案である。

そんなバカな、どうかしているというなかれ。
憲法9条の議論とおなじ論理でできている。

すると、現代のわが国は、おそろしく宗教的な国家なのだということがわかる。
「神頼み」なのだ。
言葉にしてはいけないことや、言葉をかえてもいけないことも、ぜんぶ「言霊のちから」を信じているからである。

だから、「論理」は関係ない。
論理はあってもなくても、「言霊」がきめるから気にしない。
日本人のことばには魂がやどっているから、口から発声されたとどうじに空気にまじって天空を舞い、相手の呼吸とともに相手の体内のたましいを書き換えるのだ。

このちからが、極大化すると「怨霊」になる。
それで、いかなる宗教をもってこれを退治するかが問題になる。
つまり、日本人は宗教を「治療」の道具にしたてた。
「効く」ならば、なんでもいい。儒教も、仏教も、キリスト教も、ただの道具だった。

いつでも清浄なままでいたいから、みそぎをする。
精神的潔癖症が、日本人の特性である。
それで、議員には選挙がみそぎになった。

こどもの遊び「えんがちょ」も、清浄とけがれが、結界を切ることで相手にうつったり、防御することができる。
これは、外国には存在しない遊びかたである。

論理がつうじない理由は、心の深部にみつけることができる。
だから、論理をつうじるようにするには、まず、みそぎという手順が必要なのである。
それは、目的の説明と理解である。
この手を抜くと、どうにもならなくなるのが日本人なのだ。

厳しい条件をこえる、とは

過去の日本企業成功事例にかならず登場するのが、ホンダ「シビック」である。
「CVCCエンジン」は、当時として達成不可能ともいわれた厳しい排気ガス規制をクリアしたばかりか、驚くほどの「低燃費」まで達成してしまった。

自動車の排気ガスによるスモッグの被害は、呼吸器だけでなく生命にかかわるような状態だったし、二度の石油ショックで、原油価格は驚くほどの高騰だった。
ただし、このときの「高騰」は、バレルあたり100ドルを超えるような、さいきんの相場とは比べられないほどの小ささではあった。

4ドルから20ドルに「高騰」したのである。
しかし、だいたい4ドル程度だった原油が、いっきに5倍にもなると、あたりまえで常態化していた経済基盤が、大きく揺らぐのはとうぜんである。
そのショックを一番にうけたのが日本だったのだ。

ヨーロッパでは、北海原油が発見されて、中東よりもちかい場所からの供給を得ることができた。
さいきんのシェールガスのように、北海油田は海底油田なので採掘コストがかさんで、「通常時」だったらとうてい中東産の原油と価格勝負はできないが、価格高騰によってこの差がなくなってしまった。

アメリカでは、テキサスを中心に、自国内油田の大増産をした。
こうして、世界価格の高騰とは、別世界の安い原油をつかいつづけるようにしていたが、いかんせん埋蔵量に限界があった。

こうして、一番厳しい状況におかれた日本で、必死の開発のすえに完成したのがシビックだったのだ。
もちろん、これは本田技研のちからであって、日本国政府のちからではない。
むしろ、ホンダに開発の嫌がらせとあからさまな邪魔をしたのが、通産省だったのだ。

しかし、蓋を開けたらとんでもないことが起きた。
石油不足になったアメリカで、小型車が爆発的に売れるようになって、なかでもシビックは生産がまにあわなくなるのだ。
ビッグスリーが、あわてて小型車を開発したが、残念ながらノウハウがまったくなかった。

リッターあたりで数キロしか走らない自動車と、30キロ走る自動車では、もじどおりランニングコストがちがいすぎた。
さしものアメリカ人も、小さい車でガマンすることになったが、背に腹はかえられない。
さらに、肝心の排気ガスがクリーンなのだから、意識高い系のひとには大歓迎された。

この教訓は、楽な方向に成功するビジネスは存在しない、ということだ。

それから、約半世紀。
日本には、石油ショックを世界の先進国でもっとも上手に乗り切ったという自信がうぬぼれに変化して、バブル景気という幻想に溺れた。
これが崩壊すると、ほとんどパニックになってしまった。

そして、原因追及を深く議論することなく、つねに目先の危機を回避することしかかんがえなかった。
だから、戦後からバブルまでの、かつて成功したはずの経済政策を、これでもかと繰り出したが、どれもうまくいないまま、とうとう平成という時代の時間をつかいはたした。

東京オリンピックも、大阪万博も、あきれるほどのワンパターン思考の結果としか、おもえないのは、じつにわれわれがエリートたちの浅はかさをみるからである。
かつて、これらが成功したのは、経済成長という基盤の上にあったイベントであったからだ。

それを、ひっくりがえして、これらをやれば経済成長する、というのは、ただ狂人の「倒錯」ではないか。
公共事業こそがすべてという価値感そのもので、そのための消費増税といえば、理屈はとおる。
社会保障のため、というのはもはや方便をとおりこしてウソであろう。

80年代前半に、一瞬だけ、アメリカを追い越した感覚があった。
そのアメリカは、20年かけて復活した。
それはなぜか?どうやったのか?日本となにがちがうのか?を、真剣にかんがえないのは不思議ですらある。

彼らは、民間の個人たちのちからを信じたのだ。
それに投資する、金融を規制などしなかった。
資本主義を資本主義の教科書どおりに運営しただけではないのか?

われわれ日本人は、政府の役人のちからを信じた。
バブルでいたんだ金融機関を、税金で救済し、あげくの見返りに、国民へ奉仕させるのではなく、金融機関を役人がすきなように規制した。
なんのことはない、資本主義を社会主義の教科書どおりに運営しただけではないのか?

それをまだ続けようとしている政府に、期待する財界という存在がもはやどうかしている。

すると、とても単純だが、抜け駆け的成功の道筋がみえてくる。
愚直な「自助努力」だ。
厳しい条件を、素直に受け入れて、自力でどうするかをかんがえるしかない。
しかし、これこそが、成功のカギではないか。

政府から甘言の補助金をたんまりもらっても、成功などしない。
政府から甘言のプロジェクトをもらっても、成功などしない。
東芝しかり、日立しかり、大企業とて、たんなる駒にされるのを、どうして中小企業がまねるのか?

これが、平成という時代がおしえてくれた教訓であり、そもそもホンダシビックの教訓だったのである。

19年新春「おビックリ」三連発

お正月がすっかり「普段化」してしまってきている。
人手不足から、24時間営業を継続できない事態もうまれているけれど、コンビニのトップランナー「セブンイレブン」だって、最初は店名のとおり、朝7時から夜の11時までの営業だった。
スーパーか個人商店しかなかった当時、これでも「画期的」だった。

ヨーロッパなら、おおくの国で日曜日や祝日は商店もスーパーも閉める。
ドイツには「閉店法」という法律があって、日曜日に開店してはならないのだ。
この法律はできてから100年もたつから、ドイツ人には常識になっている。
フランスでは、さいきんちょっと緩んできて、日曜日に開店する店もでてきているが、例外的だ。

だから、ヨーロッパ旅行にはカレンダーで曜日や祝日のチェックは欠かせない。
日曜日や祝日をショッピングの日に割り当てると、ウインドウショッピングだけという目も当てられない事態になる。

目立たない国では、スリランカの「ボーヤデイ」がある。
ヨーロッパは、キリスト教の影響から日曜日や祭日が休みになるけど、スリランカでは仏教の影響で、満月の日は「禁酒」という決めごとがあるのだ。

酒屋もスーパーの酒類コーナーも、高級ホテルをふくめたいかなるレストランでも、この日は一切のアルコール飲料は外国人といえども提供されない。
それで、炭酸水だけで乾杯したことがある。

これは、不便なのか?我慢すべきことなのか?やっぱり、「自由」がいいのか?
ところが、上述の例は自由を標榜する国で実行されている制度であり、社会習慣なのだ。
そうかんがえると、わが国は社会規範が希薄な国なのだ。
あるいは、好き勝手が自由、になっている国ともいえる。

もっというと、貪欲である。
まさに「もっと」便利に、「もっと」ストレスがないのがいい。
それで、持ち帰り弁当チェーンの店名に「もっと」がついている。

こうした「要求」や「欲求」が、ふつうにあって、それをさえぎる社会規範がないから、欲望はとどまるところを知らない。
こうして、セブンイレブンは24時間営業になったのだと、利用者はかんがえる。
閉店・開店の作業が面倒だから、いっそのことずっと開けているほうが合理的だという発想は、本部の計算による。

「一強」といわれてひさしい、現首相にライバルがほんとうにみあたらない。
むかしなら、党内派閥に何人も首相候補がいて、たがいに牽制しあっていた。
野党は、政権を担当する気などはなからなかったから、与党内の派閥が真の野党だった。
善悪をこえて、与党に派閥の論理がうすまって、批判だけの野党という構造が「一強」の原因であり「結果」なのだろう。

そんな状態があって、首相は、「全世代型社会保障制度」という社会主義政策を打ち出した。
かつて、1973年、「福祉元年」といって、バラマキののろしをあげたのが田中角栄首相だった。
日本の高度成長を止めたのは、この年の秋に起きる第四次中東戦争による「石油ショック」ではなく、田中政権のバラマキだったのだ。

このことは、以前も書いたが、証拠は年次ではなく「月次統計」にある。
これをネットの資料でさがすのが難しい。
政府とは、こういう情報統制をするものだ。
国会図書館にあるので、証拠をみたいひとはどうぞご自分で確認されたい。

だからこそ、首相年頭のことばは「おビックリ」だ!
日本経済の息の根をさらに狭めるという発想は、田中角栄からのものなのか?それとも、社会主義思想からのものなのか?そうではなく、福祉に反対できない野党封じ込めの「策」なのか?

「英国病」の原因と治療方法を、いまや断固無視する日本国とは、いったいどんな知見によって運営されているのか?
絶望的な気分になるのだ。

これに、日本旅館協会会長の新春特別インタビュー記事があった。
外国人労働者にかんしてのはなしが、予想どおりとはいえ「おビックリ!」なのである。
業界として「受け入れ体制をしっかりと」の範囲に、賃金支払根拠の問題が欠如しているように読めるのが心配だ。

「賃金などは日本人の従業員と同等として扱わなければならない」と強調されている。
しかし、外国人労働者の常識は、「職務給」文化なのだという日本とのちがいが全然認識されていないように感じるからだ。
「おなじ金額ならいいだろう」では済まないのは、このブログ読者ならわかるだろう。

楽をしたい、安易こそが「欲求」なのだということを、満足させようとすれば、国家も業界団体も「本部」はこうなる、ということなのだ。
しかし、ここに「規範」はない。
すると、これは一種の「社会的麻薬常習者」といえるのではないのか?

いけないこととは知りつつも、どうにもあの快感がわすれられない。
楽ができればそれでよい。
いまがよければそれでよい。

スイスでは犯罪被害者をふやさないように、とっくに、麻薬常習者に無料で麻薬をあたえる場所が日本の交番のようにあちこちに用意されている。
「廃人になって死になさい」という社会規範が、国民投票によってきめられた。

さまよう日本では、昨日、厚労省の勤労統計ミスが放置されていたことが発覚した。
国家の統計資料が信用できない、という事態は深刻な問題である。

中国の国家統計で、信用できるものがないことを、あろうことか首相職の人物が認めてしまったことがあって、みるべきは「電力消費」と「輸入額」しかないことがわかった。
これ以降、中国の経済ニュースで、他の統計をもちいたものはすべてゴミであるから、読む価値がないと断言できる。

だから、彼の国の国家による経済運営は、さいしょからできない。
それが、驚異的な成長の原因とすれば、なんのことはない経済学の教科書どおりなのである。
「党の介入」こそが、ライバル国家をして要望したいことになる。
それが自滅のシナリオになるからだ。

賢い中国の指導者たちは、日本という先行事例から、経済への介入をしているようでやっていないのは、とっくに日本が「反面教師」になっているからだろう。
むしろ、「安全保障」しか年頭にない。それが「HUAWEI問題」の本質だから、あれを「経済問題」だとするのはジャンルをまちがえている。

厚労省の統計のこの一件が、蟻の一穴だとしたら、たいへんな事態になるのだ。
統計こそが政府・民間どちらにとっても、さまざまな計画の基礎・根拠になるからである。
まさに「おビックリ」だ!

日本人は蟻のようにはたらきながら、精神はキリギリスになった「変態」である。
修行にいそしむ僧侶たちが、規範を口にしない国でもある。
そういえば、東西の「真宗」は、「妻帯」どころか修行まで必要なしとしていた。
「南無阿弥陀仏」と唱えればよい。

「福祉」といえばよい国になったのは、このためか?
まったく隣国をわらえない。
自分たちの価値感だけで、「優しさ」をいうのは、残念だが通じないのが世界の常識なのだ。

「定年退職」の定義変更

従来の延長線上にあるだけなら、定年退職の定義を変更する必要はないけれど、どうやらそうはいかなくなっているのではないか?
そもそも「定年退職」が日本の雇用制度になったのは、どんな理由からなのか?
切ってもきれないのが「終身雇用」であった。

雇用者の年齢によって、自動的に「解雇」される、という制度を雇用者も受け入れていたのは、「寿命」との関係がそうさせていたのである。
いま、男性の平均寿命が80歳程度だという常識があるが、かつてのわが国はけっして長寿国ではなかった。

1950年(昭和25年)の平均寿命は58歳で、定年は55歳だったから、3年の差しかなかった。
平均だからバラツキがあるのは前提だが、定年退職して隠居すると3年で、お迎えがきたのだ。
すなわち、文字どおりの「終身雇用」だったのだ。

昭和初期までの雇用慣習は、かなり欧米型だったが、国家総動員体制、という事情から、わが国は路線を切りかえた。
しかも、いまのように、大学全入などということもなく、ホワイトカラーのエリートサラリーマンすらごくわずかで、おおくが職人だった。

当時の職人は、どこでも「腕一本」で、自分の技術を発揮できるから、会社や上司が気に入らなければかんたんに転職した。
会社に用意されている機械類も、いまのような独自の専門性を要するものとはちがかったからである。

しかし、国家総動員体制、ではそれができなくなった。
そのかわり、ほとんど死ぬまでの雇用の安定と賃金が保障されたのだ。

そして、敗戦。
旧来のものと占領軍が命じる新規のものとが、強制的に転換させられた。
このなかに、労働運動もあった。
国家総動員体制で封じられていた箱のふたが開いたのである。

年率で600%ほどのひどいインフレの経済状態だったから、賃金をよこせ、という要望は、現場労働者だけではなくエリートサラリーマンもおなじだった。
それで、労働組合は経営に対抗するための手段だけでなく、本人たちの意向もあって、経営に関わる管理職まで組合員になった。

こうして、企業別、という日本独自の労働組合組織ができた。
経営情報にくわしい、あるいは経営陣に企画提案するたちばの管理職が組合員なのだから、はげしい経営側との論争になるのは必定だった。
しかし、一方で、組合内部で管理職が「君臨する」という問題が発生した。

そういうわけで、管理職が組合から脱退するためにも、また、あくまでも会社側に忠誠をつくすためにも、雇用の安定と賃金の自動的な上昇を必要とし、これが全社に拡大したのだった。
それには、日本経済全体の拡大による個々の企業業績の好調があった。
ところが、世の中が安定して、経済が好調になると、「寿命」も伸びてしまったのである。

55歳で定年しても、「老後」をどうするのか?
すぐにお迎えはこなくなった。
これに、「年金制度」という別物がセットになった。
1980年(昭和55年)の平均寿命は、約74歳だったから、定年後20年が「老後」となった。

平成不況の時代になって、平時で経済が「縮小」するという初体験をして、どちらさまも「雇用の安定と賃金の自動的な上昇」を維持できないばかりか、削減が重視されるようになった。
それで、「終身雇用制」がやり玉にあげられ、「年功序列賃金」が「実力主義」というようになったが、本質ではなにもかわってはいない。

定年が法律で定められるようになって、その決めごとまでの期間は、雇用の安定が保障されるし、ほぼ世界標準の体系である「職務給」ではなく、「職能給」と「生活給」のハイブリッド体系だから、「実力」を正当に評価する方法がないからだ。
しかも、景気変動にともなう業務量の変化を、雇用そのものではなく「残業」で調整してきたから、「働きかた改革」が「残業改革」になっているのである。

さらに、定年したひとのおおくが、「雇用延長」という方法で、事実上「再雇用」される仕組みができた。
「年金」という別物が、支給開始年齢の先送りで、定年したら年金がもらえる、ことがなくなった。

ところで、退職金は「給与」あつかいされている。
会社が倒産すると、各種負債の清算がおこなわれるが、税金のつぎに支払義務があるのは「給与」で、これには退職金もふくまれる。

退職金という一時金をもらった、再雇用の条件は、従来のおおむね半額だというから、これは「職能給」と「生活給」のハイブリッドをやめて、「職能給」一本ということなのだろうか?
それとも、突然、世界標準になって「職務給」になるのだろうか?

そんな「定義」はどうでもよく、公務員は7割にして、民間の手本にさせるらしい。
現役に比べて何割ならいいのか?という議論でいいのか?

現役では残業代を請求できなかった「元」管理職が、再雇用されて残業代をちゃんと請求しているのかといえば、たぶんちがうだろう。
本人のプライドがゆるさないかと想像できるが、「雇用条件」の定義が説明されているのか?という疑問がさきにたつ。

再雇用であれ、はたらいていれば「現役」なのだ。
「雇用契約」という、社会で生きていくための基本中の基本が、曖昧な国なのだ。

人口減少で人件費は上昇するトレンドにある。
「定年」と「再雇用」は、安く雇う手段でしかない、で企業は成長できるのか?

高い人件費を飲み込む、高い付加価値の事業モデル構築のためには、かえって障害になることを、みずからに厳しく課して乗り越えることが、将来戦略として強く求められている。

トラベルクロックの不思議

そのまま、旅行用の時計のはなしである。
携帯電話にはアラーム機能がついているから、いまはむかしほど売れないのかもしれない。
しかし、旅先のホテルなどで仕事をしようとすると,いがいと時計がへんな位置にあって、不便なのだ。

定宿で時計の位置がわかっていても、不便とおもえば持ち歩きたくなるし、はじめての宿ならなおさらだから、わたしの宿泊をともなう出張には、かばんのなかにトラベルクロックがはいっている。

講演会ならデジタル式を講演台におくと便利だから、そのときにはそれ用を持参する。
しかし、そうではないときや海外だと、圧倒的にアナログ式がよい。
時間をあわせるのに苦労がすくないからだ。
それに、海外だとさらに宿の時計の正確さがわからない、という不安もある。

むかし、イスタンブールのホテルで、モーニングコール(「Wake up Call」といわないと通じない)が遅れて、飛行場に駆け込んだことがあるから、海外で時間の正確さを確保するのは、自己責任だと痛感した。
もちろん、この宿の部屋に設置されていた時計は正確にうごいていなかったが、あんがいそれがいまでも「国際標準」なのだ。

さいきんになって、10年以上前に買った、折りたたみのアナログ式トラベルクロックの調子が悪くなってきた。
買い換えを検討していて気がついたのは、どうしたことか「ドンピシャ」にほしいものがみあたらないのである。

10年前とほとんど変わらないモデルが、進化せずに販売されているのはみつけた。
ここで止まっている。
止まっているのは時計ではなく、それを進化させる能力とそれに投じるまさに「時間」ではないか?
これはどうしたことか?

トラベルクロックなんていまさら「売れない」から、適当なものを販売しているのか?
いや、販売のまえに、どういった「設計思想」で設計され製造されているのかがわからないのだ。
いまどき、たかがトラベルクロック、ではあるが、されど「ない」となると黙っていられない。

安ければいい、という思想なのかともおもえるが、ドイツ製の電気ひげそりで有名なメーカーの「逸品」というふれこみの高級トラベルクロックもあるし、だれでもしっているブランドの高額商品もあるようだ。
しかし残念だが、わたしには「ドンピシャ」ではない。

ひげそりメーカーの「逸品」は、手をかざすとセンサーがはたらいてアラームが止まり、その後スヌーズ機能がはたらく、という機能がわたしには余計なのだ。
このセンサーにいったいいくら支払うことになるのか?

わたしにとって、この余計な機能がなければ、「ドンピシャ」にちかくなる。
ちかくなるけど、「ドンピシャ」ではない。
「厚み」も気に入らないからだ。

1000円程度のもので、コンパクトなのになぜか「電波時計」(国内対応)になっているものもある。
国内対応の電波時計を海外に持っていくと、誤作動のリスクがある。
購入者は国内「しか」旅行をしない、という設計思想なのだろうか?
どういうことなのか、わたしにはわからない。

わたしの要望は、折りたたみのアナログ式で、電波時計ではなく、ステップ音のしない「静音」式のもの、それに蓄光できるものがあればよい。これだけだ。
ところが,これが、探してもないのだ。

折りたたみがいいのは、その「薄さ」である。
かばんのなかに滑り込ませることができるのは、たいへん魅力だし、大型のスーツケースでも間仕切りのポケットにはいるから、小さくてもさがす必要がない便利さがある。

アナログ式がいいのは、海外の時間あわせと視認しやすさである。
デジタル式こそ、正確さが本領だから時間あわせはめったにしないくていいという方向だろう。
だから、デジタル式は、時間あわせが面倒でも頻度のなさですくわれている。

電波時計は上述のとおりのリスクがあるし、トラベルクロックで、そこまでの正確さは要求しない。
機械式ではなくて、ふつうのクオーツの精度があればことたりる。

ステップ式の時計は、「チッ、チッ」と、どうしても作動音が気になることがある。
出先でこれが気になりだすと、ねむれなくなる。
作動音が無音なのはデジタル式になるから、ここは妥協がひつようだが、それが「静音」タイプということだ。

暗くなれば自動的に秒針を止める機能の目覚まし時計はあるが、自動であろうが手動であろうがトラベルクロックのサイズでそこまではもとめない。

さいごは、針の視認性で、外国では室内照明が日本のように明るくないから、蓄光できるものがのぞましい。

欲をいえば、時間あわせのダイヤルが極小なのがこまる。
アラーム設定のダイヤルがおおきくつかい勝手がいいのはあるが、これも「国内」を意識しているのかしらないが、時間あわせがちいさすぎて面倒なのだ。
もうすこしおおきいものになればいい。

ついでに、電池も単4だとありがたい。
外国でボタン電池をさがすのは、日本のように容易ではないことがある。

それにしても、以上のようなリサーチは、とっくにできているはずなのに、どうしてかくも「ドンピシャ」な製品がみつからないのか?
単純に、機構や技術的な問題なのか?
それとも、やる気がないのか?

あるいは、価格が高くなって「売れない」という判断をしているのか?
もしそうなら、消費者をバカにしているか、作り手自身が製品をバカにしている。
「トラベルクロックなんて、こんなもんでいいだろう」と。
すると、これは、あいかわらずの「プロダクトアウト」ではないか?

上で紹介した、「逸品」のお値段は税込みで6,000円を超える。
けれども、その能書きは有名デザイナーの秀逸なデザインの説明ばかりだから、「プロダクトアウト」の域をこえているとはおもえない。
それが、わたしに余計なセンサーになっているのだ。

ちゃんとした製品を欲するものは、ちゃんと存在するのである。
それは、「マーケットイン」からうまれる。
わたしの要望する機能を満たすと、いったいおいくらになるのだろうか?
ぜひ、欲しいから、メーカー各位にはおしえてもらいたい。

もしかしたら、外国人観光客の日本土産になるかもしれない。
こういうのが欲しかった、と。
そのときは、ぜひ「MADE IN JAPAN」と刻印があってほしいものである。

安くて(適度に)いいものを大量に、というもう半世紀も前の、70年代の成功体験からの思想から脱却ができていない。
トラベルクロックが、意外なことをおしえてくれた。

ガラパゴス化の「執事」2

金持ちがいないと成り立たない執事にも成長と身分の段階がある。
若くて修行中の見習いなら、「フットマン」という。
食器類やワインセラーの管理などを学ぶのだ。
そして、朝と昼、それに午後の紅茶の時間の用意をする。

これらは、上述のようにいえばかんたんそうだが、そうはいかない。
食器についての要求知識だけでもハンパないし、ワインときけば察しはつくだろう。
食事の用意には、エチケットもともなう。
日本なら、さしづめ「小笠原流作法」のようで、修得はたいへんだ。

日本語での教科書で最高峰に、外交官にして宮内庁式部官、高円宮妃久子さまの祖父にあたる友田二郎『国際儀礼とエチケット』がある。
また、さいきんでは、外務省儀典官だった寺西千代子『国際儀礼の基礎知識』がある。

式部官とは、まさに儀式をしきる役職で、あの「紫式部」の本業で本名ではないだろう。
日本における国際儀礼の最高位は、天皇陛下や皇族方のおでまし、だから、宮内庁の式部官にはおそるべき知識が要求される。
皇族方が関係しないと、外務省儀典官室がしきることになっている。

 

主人が社会的に偉ければえらいほど、こうした場に出ることがふつうになるので、執事として「しらなかった」ではとうていすまされない。
もちろん、一般人とて、正式の席というのはあんがい突然お呼ばれしたりもするから、そのときになって慌てるのである。

それにしても、「職能給」と「生活給」で給料がきまる日本とちがって、「職務給」が実質世界標準になっているから、欧米やアジアでは執事も「職務給」なのだ。
このちがいは、決定的だ。
日本で外国人労働者を雇用すると、かならずこの問題が起きるはずだ。

労働に対する対価の支払い根拠が、ガラパゴス化しているのである。
賃金の支払根拠を示せという要求だから、「職務」を明確にして、「スキル」と「単価」を示さなければならないという「手間」がかかる。
これを、外国人労働者のためだけにおこなうのか?

コンビニや牛丼チェーン店で外国人労働者を見かけるのは、これらの賃金体系が「職務給」になっていたからである。
当然、さいしょから日本人の働き手がこの制度ではたらいていたから、なにも問題にならない。
むしろ、大手牛丼チェーンで、パート・アルバイトの大量退職によって、閉店を余儀なくされた「事件」は、「職務」への不満からであったことを思いだしたい。

これは、残業にも直結する。
中原淳、パーソル総合研究所『残業学』は、おおいに参考になる。

お国のしごとは入国管理庁の入国審査だけだから、民間が強いられる「手間」とはなかみがちがう。
ましてや、入国管理『局』から、『庁』へ昇格し、職員数もふえるのだ。
この人手不足の時代に、役所が職員数をふやすのだから、よくぞ経団連は賛成したものだ。

働きかた改革の「黒船」は、じぶんたちが都合よく取りこんだはずの、外国人労働者そのものになる可能性があるのだ。
連綿とつくりあげてきたわが国独自(世界とはことなる=ガラパゴス化)の労働慣行が、外国人労働者によって破壊されることを意味するのだ。

これは、雇用側だけでなく、労働側にもやってくる。
外国人労働組合だって結成される可能性がある。
すると、かれらは、日本的ユニオンシップ制を受け入れるのか?
はたまた、「産別」に作りかえをするのだろうか?

「国別」はないだろうが、特定の国が「党」の意向でうごくことはありうる。
だから、選挙権をもたないからといって、政治活動とは関係ないともいえない。
変化はいきなりの激震ではなく、ジワジワとやってくるにちがいない。

そうして日本にやってきた働き手は、歳をとっても日本にいるのだろうか?
ちゃんと本国の口座に送金して、日本の相続税を回避するだろう。
しかも、かれらの送金手段はすでに手数料が馬鹿高い銀行間の移動ではない。
そうして、かれらの財産こそが、日本から逃げ出すキャピタル・フライトをしてしまうのだ。

昨日の1月7日から、「出国税」の課税がはじまった。
あたらしい税がくわわった。
国家は、いちどつくった税をやめることはない。
だから、たいへん長いつきあいになる。

しかし、ほんとうの「出国税」(このブログでは「出国税A」と「出国税B」とした)はまだ水面下にある。
キャピタルフライトにも課税するなら、外国人労働者たちも直撃する。

ほんとうに、この国が向いている方向がへんなのだ。
執事や家事サービスの働きてが、外国並みの賃金をえるようになるには、これらを雇用できるひとたちを増やさなければならない。
さぁ、どうする?

これが、わが国の経済問題の本質でもある。