EU崩壊はやっぱり通貨から

いまさらにハイエクの予言の意味が深くなってきている。

通貨統合でうまれた「ユーロ:€」が、あろうことかフランスを襲って、にっちもさっちもいかなくなった。
これは、政権交代しても変わらない「与件」なので、「EU離脱=ユーロ放棄=フランス・フラン復活」以外にどうにもならないことなのである。

この意味で、ぜったいに「スターリングポンド:£」を棄てなかった、サッチャーの慧眼が光るが、そのサッチャーの支柱がハイエクだったのは偶然ではない。

そもそもマーストリヒト条約を、ヨーロッパ各国が慌てて締結するはめになったのは、ソ連(圏)崩壊という寝耳に水だった。
当時の西側政治家で、これを予想した者はいなかった。

世界がアメリカ一強になることの恐怖に対抗するため、ヨーロッパは生き残りをかけて大集結したのである。
あろうことか、そのためにフル回転で活動したのが、フランスの高級官僚たちだった。

彼らは特定の学校(国立行政学院:École nationale d’administration:ENA )の卒業生ばかりで構成される、狭い世間で生きているのはわが国とおなじで、成長著しい日本を導いたのが官僚制だという大変な勘違いをしたのである。

そうではなくて、戦後の混乱で規制と利権が整備されずにいたことでの「自由経済」だったのが最大の成功要因だった。

政治家で唯一の例外は、ドイツのヘルムート・コール首相だという説がある。

この大柄な人物が、強い牽引力で「東西ドイツ統一」をやり遂げたことが理由になろう。
だが、時系列ではソ連崩壊をあらかじめ予想していたのではなくて、現状対応をしていたといえるから、やっぱり「例外」ではない。

東西ドイツ統一を、英・仏は苦い目でみていたし、アメリカが放置した理由は人権尊重だったろうが、ドイツ封じ込めのためのNATOが機能しなかった。
ワルシャワ条約機構に対抗するため、というのは表向きで、NATOの真の目的はヨーロッパをアメリカが支配するための道具として存在することだけなのである。

ために、NATO歴代事務総長はドイツ「以外」の国の首相経験者(アメリカの代理人=ドイツ監視人)とし、総司令官はアメリカ軍の将官が着任することになっている。

それで、統一当初、遅れた東ドイツのために西ドイツがさまざまな負担をしたことで、ドイツが弱体化するようにみえたから、英・仏は安心したけれども、東ドイツやポーランド、ハンガリーにチェコのひとたちを「安く使う」ことでのドイツ経済が絶好調になると、「あれれ?」になったお間抜けがある。

ドイツは強いマルクから弱いユーロになって大儲けしたが、フランスはフランすなわち通貨発行権を自分から放棄したのである。
ただし、ドイツは傲慢になって、「安く使う」パターンを中国にも延長し、あんまり儲かるために自分から原発を放棄して「良い子」を装った愚策をすすめたのだった。

このドイツパターンをいくのが、「自・公・立憲共産」政権の社会主義である。
4日、その自民党の新総裁に「初の女性」というだけでしかない、高市早苗氏が選出されたというが、このひとへの不信については何度も書いてきたとおりである。

日本国民が要求すべきは、解散総選挙に尽きるから、石破首相の最後っ屁に期待している。

いま、フランス政治が危機にあるのは、マーストリヒト条約で定められた財政赤字レベルが「違反」状態になってしまったので、緊縮財政をしようにも左右双方から議会が許さないので、ドン詰まっているのである。

もう、アメリカや日本のように「国債」を発行して、「ドル」や「円」を得ることができないフランス政府は、EU本部やECB(ヨーロッパ中央銀行)に泣きつこうが、「条約」を盾にとられて聴く耳もないけんもほろろなのである。
マクロン政権だから、ではないところが大問題なのである。

そんなわけで、フランスはユーロを放棄して自国通貨に回帰するしか選択肢が残っていない。

つまり、EU脱退の一択なのである。

いつこの崩壊が起きるのか?
もはや時間の問題になっていて、プーチンがじっと観察しながら「対策」を練っていることだろう。

わが国としては、トランプ大統領に「ヨーロッパ放棄」をうながして、東アジアへの一点集中を懇願しないといけないまでのヤバさがある。
けれども、各国ファーストでやれといわれる可能性が高いので、どうする?になっているのである。

これに対応する能力は、高市政権にあるとは思えないのがいかんともしがたいのである。

残酷な時代の光

ずいぶん前、中年になって若い部下に、何気に「時間って残酷だよね」といったら笑われたことがある。

自分もこのひとの年齢でおなじことをいわれたら、おなじ反応を示しただろう。
若さとは、時間が永遠だと勘違いできる人生の幸福な時間帯の一部なのである。

日本人は、学校で「日本史」と「世界史」をわざと別々に扱っているために、世界=ヨーロッパ(列強)に遅れていると思い込まされている。
しかし、よくよく調べると、文化的には日本が先進国でヨーロッパが後進国だったことは間違いないし、いまもヨーロッパは文化的に日本に追いついていない。

シュペングラーの『西洋の没落』の帯には、文化の廃退が文明を起こし、文明の廃退が治乱興亡の原因となってやがて終焉を迎える、とある。
この例外的な国がわが国で、あんがいと日本文化はしぶとく残っていて、日本文明に堕ちたが西洋文明の絶望とはちがって、いまだに踏ん張っているのである。

物質文明という一点で、いっときヨーロッパが先行したが、それも日本が素早くキャッチアップして今に至っている。
これができたのは、江戸期の文化が華咲く安定のおかげである。

この現象を、エマニュエル・トッド氏が人類学における家族構造をもって説明している。
それはあたかも、日本研究にたどりついたレヴィ・ストロースの再来をおもわせるのである。

英・仏は、基本的に核家族を基本としてきた民族なので、英から派生する米国も似た構造になる。
英・仏とは犬猿の仲だったドイツは大家族を構成していたし、イタリアもマフィアのファミリーをみればわかるように家族主義なのである。

なので、日本が独・伊と同盟したのは、特異なことではない。

東ドイツ出身のメルケルがロシアと組もうとしたのも、ロシアが大家族主義を共産政権下でも曲げなかったことに由来する。
すると、日本とロシアも本来的には親和性が高いとわかるし、中国の農村部も同様なのである。

なお、中国は農村部から都市部への移動には本来「国内パスポート」が必要なので、都市部は農村部からしたら「別世界」であることに注意がいる。
むろん、彼の地の農村部には少数民族が政府が認定している数で「55」もある。
ちなみに、広大なロシアには200以上の言語がいまも使われている。

ところが、中国も、ロシアも、「少子化」が深刻で、両国ともいまや政府発表でも特殊出生率はわが国と同じ1.4になっているために、将来の人口減少は避けられない。
それで、ロシア軍は貴重な若者を消耗する、スターリン時代の強引な人海戦術を用いずに、「北」からの兵員を受け入れたのである。

現代の危機すなわち、生活者にとっての残酷とは、宗教を失い社会規範を破壊した「市民社会」が、あたかもローマ帝国における「平民」に堕ちたことによる。
ローマの平民は、周辺属国からの搾取で生活していたので、周辺属国へのコントロールを失ったら、滅亡しか道がなかったのと似ている。

東・西分裂の原因というゲルマン人の大移動しかり、東ローマ滅亡のトルコしかりである。

気がつけば、世界の生産力は、日本を含む西側諸国から、BRICsへと完全移行している。
なんと、西側諸国は、ただの「お山の大将」に過ぎなくなっているのが「現状」なのである。

しかし、いったん移転した生産力を元に戻すことの困難は、たんに投資だけの問題ではなく、労働への価値回帰という、より感情的な困難が立ちはだかるのである。
すでに、「平民」に堕ちたかつての市民あるいは庶民は、労働を棄ててカネを得る方法に価値を見出してしまったからである。

ことにアメリカの困難は、基軸通貨ドルの無限の発行による「信用創造」に依存したために、労働が絶望的な価値となって、とうとう自暴自棄なひとたちが多数になったのである。
それが、かつての「WASP:白人、アングロサクソン、プロテスタント」の崩壊による、白人労働者層であって、彼らは有色移民に労働者の地位を奪われてしまい最下層になったのだ。

そして、この共産化した最下層を煽っているのが民主党なのである。

副大統領に抜擢された、J.D.ヴァンスの出生がその最下層だったから、哲学の学位を持つJ.D.ヴァンス氏が、どういった社会復興回帰策を打ち出すのか?あるいは、打ち出せるのか?が21世紀後半の人類に及ぼす影響が注目される理由である。

明治期でも、戦後の高度成長期にも、経済成長を牽引したのは、ぶ厚い中間層=労働者層の存在であったように、中間層の育成は経済成長の基として世界的な原理となっている。
わが国は、とっくに江戸の都市部と農村部で、横溝正史手塚治虫が描いたようにすでに別世界であったのも、家族構成による文化の基盤があってこそなのである。

ここから、社会を混乱させるには、中間層の破壊=意識的な政策としての没落こそが、もっとも効果的なのである。
よって、経済単位の基になる家族破壊のための政策が急いで考案されて、選挙の争点にさせないまま「法律」にする手がつかわれている。

この破壊がいま日本を含む西側先進諸国で功を奏しているために、貧困化と格差拡大の残酷な時代となっている。
これを抜けるには、少子の時代の貴重な子供に従来の学歴追及をさせることではなく、戦後放棄した「人間教育」なのだが、特権階級と化した支配層に不都合なためこれをさせないでいる。

しかして、中間層の労働意欲に頼るのも順番がちがっていて、そもそも職場の提供がなければはなしにならない。
先進国から職場が消えたのは、リカードの「比較優位説」をそのまま無防備に実行し、「要素価格均等化定理」が作動したからだ。

あるべき準備は、科学技術教育の強化によるエンジニア育成が一番なのだが、手を汚さずに稼げる弁護士やら金融に「稼げる」という理由で人材を抜かれている。
しかし、A.I.が、これらの業務をこなすようになれば、いずれは困窮化が待っているのである。

その意味で、文明のマザーたるA.I.の開発エンジニア、あるいは、どうしてもセンサーが把握できないために、メカトロニクスを駆使しても再現もできない「(伝統的)手仕事」が現時点での最強職になるのではないか?とかんがえるのである。

能力主義は略奪を正当化させた

economyを「経済」と翻訳したのは、『論語』より古い古典の「経世済民」からとったのをいう場合と、江戸期の儒学者のひとり太宰春台がとなえた『経済録』をいう場合とがあって、意図からすれば太宰の説をもって語源とすることが多いようである。

これから、「国民経済」という概念がヨーロッパから舶来品として輸入されて、和魂洋才のひとつとなったのではないかと推測する。

しかし、バブルの浮かれた気分をもって「和魂」を完全放棄した日本人は、「洋才」だけに依存して、売国をふつうに冒しても選挙で落ちる憂き目もなく、国民の無関心がこれを増長させていまに至っている。

政治は汚いものだから一般人は近寄ってはいけないという大宣伝で、潔癖症の国民を遠ざけたのは、「女性に選挙権付与」に対する大反対をして、シャンゼリゼ大通りを埋めた当時の女性たちと同じ理屈なのである。

それは、子供を産む神聖なる女性に、政治などという浮世の汚泥をかぶせるな!汚いことは男がやれ!だった。

こうした宣伝活動を担ってきたのが、「経済新聞」を名乗る機関であって、一般紙の『朝日』、『読売』、『毎日』よりも、よほど日本人の脳にダメージを与えてきた罪は重いとかんがえている。

その意味で、この「新聞」を装った印刷物を「よくよむ」と、経済音痴になるばかりか世間しらずになることまちがいない。
それでしっかり真面目に読んでいる、高級官僚は、その頭脳の単純さゆえに、まったくもって全面的に信じ込んでしまうという恐るべきことが起きるのである。

ここでいう「高級官僚」とは、企業内官僚も含むので注意がいる。

それで、バブルの頃から「成果主義」とか「実力主義」といった言葉が、あたかも「年功序列制」を破壊するためのプロパガンダ・キャンペーンとして、大学生の就職活動インタビューで飛び交い、無邪気にも彼らが「実力主義の企業を志望する」といえばキャンペーンに沿った発言として持ち上げられたのだった。

しかして、日本企業は、植木等の映画がヒットしていた頃からも、しっかり「実力主義」だった。
なんとなく昇格する年功序列の限界を突破し、同期や先輩たちを抜き去るには、相当の努力を要したと同時に、トップ層から好まれるという絶対条件も同時に満たさないといけなかったのである。

だが、世がグローバル化の洗礼を受けて、様相が変化する。

当たり前が忘れられて、あたかも高級な理論が先になった。
ために、経済の本質が「生産」と「生産者」にあることを無視して、計算根拠がない「サービス」にも価値があるかのような錯覚に陥った。

バブル後の不良債権処理における「ハゲタカ」の活躍が、あまりにも鮮烈だったのは、ここまでの「虚業」の活躍を日本人は見たことがなかったからである。

「銀行員」というエリートはいたけれど、どこか頼りげのなさがあったのは、それが虚業のカネ貸にすぎない、という「実業」からの蔑視があったからでもある。
かならず担保をとったので、銀行を「質屋」といって揶揄していたけど、バブル後にも金融庁が不動産担保を要求したので、お上お墨付きの質屋になった。

だからむかしは、経営者のことを経営者とはいわずに「実業家」と呼んでいた。
ここに、虚業家が入る余地がなかったのである。

生産者をいじめ抜いたら、とうとう米不足になったが、政府はなんと気候変動のせいにした。
前年の作柄指数が「101」でも、天候不順のための不作だとマスコミに宣伝させたのである。

レジ袋を法律を変えずに省令改正だけで有料にする暴挙をやってのけた総裁候補の若者が失脚しないのは、有料化で儲けた小売大手が支えているし、コメでまた儲けさせてもらった恩を返せと迫られているのだろう。

農家の票より流通・小売の票が優先されている。

しかして、このおそらく知能の低い人物は、作り手がいなくなることの大災害に思いをはせるだけの頭脳がない。
そんなオオボケたちの集団が「エリート」だとして、世界中の国々で混乱を引き起こし、農民一揆やらデモ隊と衝突しているのである。

これをメリトクラシー(能力主義)が理想とした、不平等社会の終焉といえる。
強者が弱者から収奪する、ヨーロッパ貴族の伝統が、いよいよ行き詰まってきた。

カネさえ出せばなんとかなる、という富裕層も、モノがない恐怖を想像できない。
ないものはどんなにカネを積んでもないし、その逆もまた真なのである。
ない袖は振れぬと、むかしの日本人の方がこれをしっていた。

つまり、ここまできて、弱者と強者が逆転しようとしている。

生産者が強くなる時代がそこにある。

トランプ政権が繰り出すかしらないが、「株主優位」の体制を崩壊させる法案を議会に作らせるのではないか?
それが、RFK.Jrにやらせているビッグファーマの解体作業を嚆矢とするかもしれない。

新薬で儲けるために何人被害者が出ようが知ったことではない、という不条理への鉄槌である。

だから、経済のサービス化の時代も終わって、経済の実業化時代が始まるとかんがえれば、サービス業はなんらかの生産物と直結しないと生き残れないのではないか?

その典型が、食料だろうし、衣料なのだとおもわれる。

人心掌握と排除の理屈

人間が感情の動物ゆえに、本人も感情で支配されているし、他人との関係も感情が支配する。

「肉食の思想」からできている欧米人は、人間が感情の動物であることに気がついたのはあんがいと最近のことで、社会学がやった1924年から32年までの「ホーソン実験」でのことだから、なんとまだ100年ばかりのことなのである。

それでも前に書いたとおり、経済学やらはいまだにこの実験を無視して「経済人」なるありもしない人間をモデルに考察を深める愚を続けている。
そうした方が、理論をたてる上で便利だからだろう。

数学では、理論上で「定義」が説明なく無言で使われるルールがある。
たとえば、2の3乗=2^3=2×2×2=8について、なんで?とおもうことはないが、2の0乗=2^0=1とか、0の階乗=0!=1とか、5の2分の1乗=5^1/2=√5なんてなると、なんで?と聞きたくなるのは人情という感情による。

一方、天然=自然は、誰にも説明なしに「円周率」やネイピア数と呼ぶ「e」を持っていたが、後から人間がこの数字を「発見」した。
決して「発明」したのではない。
なので「e」のことを、「自然対数の底(てい)」とも呼ぶ。

アンモナイトの貝殻模様から、鷹が獲物を上空から旋回して狩る飛行コースも、「e」をグラフにしたのと同じ螺旋を描く。

それで、丁寧な教師は1回だけそれぞれの「なんで?」を解説して生徒にみせるが、以来、無言で使われるルールに従うことになって、聞き漏らしたり忘れると一生の不覚になったりするのである。

そんな肝心な注意(むかしは「耳の穴をかっぽじいてよく聞け」といった)をいわないで、さらっと説明して済ますから、数学嫌いを大量生産しているようにもみえる。

おそらく、いまの経済学はポール・サミュエルソン以来、高等数学を用いないと経済学者じゃないという恐怖から、数学の「定義」の説明を省くことだけを真似て、理論ぶっているのだとかんがえるのである。

さて、世の中一般に「経済人」という幻を信じさせるようにして、議論の基盤に欺瞞をもっているので、「合理」に固まった人間ほど人心の把握に苦労することになる。
すくなくとも、2の0乗=2^0=1とか、0の階乗=0!=1とか、5の2分の1乗=5^1/2=√5を説明するよりすっと「理不尽」な要求をするからである。

儲けの効率追及を「経済学」だとすれば、その祖のひとりアダム・スミスは、『国富論』だけが有名だが、この著作の前提としてスミスは『道徳感情論』を世に出している。
ホーソン実験をわざわざしないでも、人間は感情ある動物だ、としていることを読まずに、『国富論』の「神の手」のフレーズしか読み込まなかったのだろう。

しかし、ここで重要なのは、「経営学」の方が「経済学」よりもはるかに先に、「儲け」についての哲学をしており、その前提のひとつに『道徳感情論』があることすら意外な盲点になっているのである。

つまり、資本主義には「道徳」の要素が不可欠なのである。

これをわざとか忘れたふりをして、経済学者が資本主義経済を語る滑稽が続いている。
ここで、わたしの個人的主張をいえば、資本主義は未完成どころのはなしではなく、アイン・ランドがいう「資本主義とは未来のシステム」に同感するばかりなのである。

ただし、アイン・ランドは日本史をしらなかったとおもう。

江戸から明治の日清・日露、そして第一次大戦前までのザッと200年間、日本は世界で唯一の「資本主義」を達成していたとかんがえるのは、そこに「道徳」が基本にあったからである。
これが、「大戦景気」で吹き飛んで以来、世界はどこにも資本主義をみていない。

近江商人の「三方よし」の思想は、鈴木正三石田梅岩らの功績による。

そんなわけで、道徳を失って、自分だけが儲ければいいという「ゼロ・サムゲーム」が常識になったら、いよいよ人心把握が困難になった。
経営者と会社と従業員という三方の利害が、バラバラになってしまったからである。
大阪商圏(関西経済)の衰退原因が、盲目的に東京に真似たことにあるのだとおもわれる。

それゆえに、肉食の思想に憧れたトンチンカンが外資から日本企業に流入し、権力行使を楽しむ「経済人」があらわれて、株式保有を根拠に「支配者」となった。
これに組織的に乗ったのが、自民党、なのである。

こんな浅はかな支配者は自分自身に「全権」があるかのように錯覚して、意に沿わぬ者の主張を聞いて調整の努力を惜しまない「むかしながら」のことに目もくれず、それを「非効率」と決めつけて、単純に「排除の理屈」を行使する。

あたかも、猫が捕らえたネズミをもてあそぶごとくである。

わが国の戦後史では、過去3度、「独立のチャンス」があった。
最初はアイゼンハワー大統領が言い出して、周辺に止められたときなので、日本(政府)はコミットできなかった。

二度目は、アイゼンハワーの弟子だったニクソンが大統領になったとき、あのキッシンジャーも同意したうえで、長期政権の佐藤栄作に何度も決断を促したが、独立だけでなく核武装もセットだったゆえに、腰砕けになったのは佐藤の方である。

ただし、国務省とCIAが猫の立場を棄てない努力をして、ニクソンを「ウォーターゲートの罠」にはめ、ご褒美として佐藤にはノーベル賞を贈ったのである。
大統領が官僚に支配されている状況が、ここに確認できる。

いま、三度目のうちの二度目がおきている。
トランプ政権1.0で、安倍晋三が佐藤栄作の役を演じ、トランプ政権2.0で、完全に国務省とCIAの官僚に支配された日本が、自分ではにっちもさっちもいかない姿を晒している。

自分でかんがえる辛さから逃げたいのは、10代で勉強地獄を味わった反動なのである。

逆にいえば、トランプ政権2.0でさえも、アメリカの官僚組織をコントロールできないままでいるのだ。
このイライラから、トランプは高級官僚と戦争屋(=ネオコン)の癒着を「DS:ディープステート」と呼んだのである。

この空気感が日本の財界を腐らせたのは、日本企業株式の外国資本への解放・自由化という小泉純一郎&竹中平蔵の売国による。

さてどうしたら、「道徳」を社会に回復できるのか?

これが、もっとも重要かつ基本の経済復興=国民貧困化阻止のための「定義」なのである。


辞書から消えることば

10月になって、やっと涼しくなってきた。
地球の自転と地軸の23度もの傾きに、太平洋高気圧も逆らえない。

半年前の春、新学年のシーズンに国語辞典をいくつか「おとな買い」した。

とはいえ、『物書堂』というipadでの電子辞書をまとめているストアから購入した。
串刺しやらの紙の辞書にはない便利機能がつかえるだけでなく、春は年に一度の割引セールがあるからだった。

それで購入したのは、『明鏡国語辞典』(大修館書店)、『新明解国語辞典8版』(三省堂)、『三省堂国語辞典8版』(三省堂)、『三省堂国語辞典7版』(三省堂)、『日本語コロケーション辞典』(研究社)、『類語新辞典』(角川)、『品格語辞典』(大修館書店)、『無礼語辞典』(大修館書店)である。

おなじ三省堂でも『新明解』と『三省堂国語辞典』とは微妙にことなる編集方針なので、この「ちがい」を簡単にチェックできる。
さらに、版のちがいで、新規採用されたことばと消えたことばがどれかがわかる。

ちなみに、日本で一番売れている国語辞典は、『新明解』である。
この辞書にまつわる、赤瀬川原平の名著『明解さんの謎』は、抱腹絶倒となること必至なので、『元禄御畳奉行の日記』と共に電車の中で読んではいけない一冊である。

ほとんど趣味のようなはなしに見えるだろうが、相手が「ことば」だからあんがいと奥が深い。

とくに『三省堂国語辞典』の編集方針は、最新の「流行」に敏感な選択が実施されているのだが、それだけだと紙数の一方的な拡大となるので、泣いて馬謖を斬るがごとくの「廃り」にも敏感にならざるをえない。

わからぬように入れ替わっているので、旧版が欲しくなるのは神奈川県人ならしらぬ者はいない『有隣堂しか知らない世界』での超人気話題なのである。

それでみつけた「変化」の理由をかんがえるのが、これまた想像力を膨らませる。
たんに「廃れたことば」が、古いのか?というとそうでもなく、編集者も思いがけない社会変化が理由になることもあるだろう。

だから、意味を知るだけのために辞書があるのではない。

電子辞書も、専用機が廃れ、スマホ検索が主流なのだとおもっていたが、やっぱり電子版とはいえ「ホンモノ」の辞書は役に立つ。

このことの強調が、『辞書から消えたことわざ』という本である。
「単語」ではなく、「ことわざ」だという点で、一層の社会変化を感じることができる一冊なのである。

毎日歩いている場所なのに、ある日店舗に空きができて、改装がはじまるとなおさらに元の店がなんだったのか思い出せないことがある。
人間の記憶とは、本人の都合によって変わるし、意思とは別に脳が勝手に記憶も変えることがある。

だから、写真とか地図とかの記録がないといけないのとおなじで、ことばもゆらゆらとしらないうちに変化するのである。
しかし、もっと大袈裟に、いや、深く追求すると、世界にはびこる「ニヒリズム」によって、伝統的な価値観が壊されていることの裏返しなのである。

それが、「ことわざ」が消えていく、という現象になるのは、「ことわざ」が特定の価値観を端的に示すことばだからである。

いま三省堂の2大辞典とも「第8版」が最新だが、いつ「第9版」がでても自分の人生に関係はないとおもって生きてきたが、意外な関係を見出すと「記録」としての価値が高まる。

この意味で、赤ちゃんが産まれたら一冊最新の辞書を購入しておくと、この子が爺・婆になるころには、おもしろい「記念品」となるであろう。
こういうものを親が揃えてくれたことの重みも伝われば、より結構なことである。

こうやって、ニヒリズムによる家族の崩壊を救えれば安いものなのである。



アメリカWHO脱退日の確定

第80回国連総会というのは、国連=連合国組合なので第二次大戦の終戦から80年ということと合致するのだが、30日にその会期を終える。

トランプ大統領の予定時間を大幅にオーバーした23日の演説が、例によって、一方的だとか、次以降の順番待ちの首脳に迷惑だ、とかいった批判はあるが、そのひとたちの演説内容が話題になることがない、というのをどう説明するのか?

むしろ、総会の場という公式の舞台であり得ないはずの、「プロンプトが壊れた」ことを断ってからの一時間以上、原稿なしで破たんなく自分の言葉で語ったことの方がおどろきではないか?

さて、おなじ演壇に登壇したRFK.Jr保健福祉省長官は、来年の1月22日をもってアメリカ合衆国がWHOから脱退することを世界に報告し、国連本部事務局にも念を押したのであった。

あと4ヶ月先だ。

こうした、すでに決まっている「予定」でも、世界に大きな影響がでることが必至の問題に関して、みごとに話題にもならないのが、自民党総裁選という茶番なのである。
逆に、自民党はアメリカがWHOから脱退をすることでわが国にどんな影響がでるのかをシミュレートすることもやっていないことがわかる。

こうした状態を一般的に、思考停止、という。

どんなに学歴が高いひとたちが集まっても、全員が思考停止の環境下にあれば、でてくるのはこたえではなく、惰性だけなのである。

対して、参議院通常選挙後にあたって参政党の神谷代表が、元衆議院議員の豊田真由子氏を党事務局(政調会長補佐)及び政党運営の役員に就任依頼したことの用意周到がみえてくる。
本人は、元厚生省の官僚で、国費留学して公衆衛生の学位(理学修士)をハーバード大学から授与された経歴を持つエキスパートなのである。

なので、正論をいう彼女の排除を陰謀して、あの「ハゲー!」事件がつくられた、というはなしまであるのは、意外と「陰謀論」ではなく、この一言で事実上自民党を除名されたもひとしい扱いをうけて、落選して以来の忸怩たる暗い生活が続いていたのも事実なのである。

ようは、トランプ政権2.0が発足後すぐに申請し1年かかる規定をもって、「アメリカのWHO脱退」を参政党は事務局としてスケジール管理していることをうかがわせるのである。
結党時から、公衆衛生について「陰謀論」とまで批判されたのが参政党であったが、昨今の情報公開で、「事実確認」がすすんで信用度を高めているのである。

ゆえに、世界の公衆衛生にとって、アメリカの脱退が意味することは大きすぎる影響があることは必至だから、国益のために日本がWHOのATMにさせられないように準備するのは当然すぎる。

逆に他党の他人事的な態度が無責任すぎると見えてくる、あぶりだし、になっている。

WHOのアフリカ利権をかんがえると、先のJICAによる失策との関連で、「自・公・立憲共産」政権の対WHO戦略のずさんさも国民の目に見えてきたことなのである。
なお、アフリカ利権とは、エイズワクチンしかりで、乳幼児にまで接種させて、かえって蔓延させた罪深さをいう。

エイズの原因は、エイズウィルスを発見したとしてノーベル賞にまでなるが、はたしてそうか?という疑問はいまだにある

なお、そのアフリカ諸国すら、援助という名で食い物にされることの被害を長年受けているために、WHOへの全面信用はしていないし、テロリスト・テドロスの正体を熟知している。

それで、RFK.Jrは、WHO加盟中のいまでも、WHOが推進している「非感染性疾患に関する政治宣言」への同意を拒否すると再度表明したし、「中絶の権利」の否定、ジェンダーイデオロギーについても反対を表明したのである。

経団連も推進中のジェンダーイデオロギーに、国連総会でアメリカの厚生長官が反対を明言したことは、すでにアメリカ企業でも賛同する企業が続出中なので、日本の財界はどういう落とし前をつけるのか?に興味が移る。

あんがいと、企業研修ビジネスにも影響する大事なのである。

そんなわけで、いつ衆議院議員総選挙が実施されてもおかしくない状況下で、次の選挙の争点に「WHOからの脱退」がそのまま政権選択になるのかもしれないと期待するのである。

エアコン清掃のコスト

世の中サブスクリプション(subscription)が流行っている。

国語辞典には、「サブスク」で掲載されていて、「有料の使い放題サービス」とある。
英和辞典だと、「(新聞などの)定期購読」がトップにくるので、やはり「サブスク」はすでに日本語化されたようである。

ちなみに、「ステマ」もすでに国語辞典に載っている。

エアコンをつけて就寝するのがあたり間になったとはいえ、初めて、喉の具合が悪くなりそのうち発熱した。
いまどき、「風邪」で医者にかかるとなにをされるのか不安なので、まずは昨冬に効いた売薬を服用した。

ふと、15年以上前に担当していたとあるホテルの再生事業で、そのホテルに試泊すると必ずなった症状と似ていることに気づいたのである。

原因は、エアコンの黒カビ。

わが家のエアコンも購入してそれなりの年数が経つが、こんなことは初めてだったのだが、恐る恐るもなく、ただ外見から観察しただけで真っ黒な中が見えた。

やっぱり。

急いで清掃業者を探して、予約すると5日待ちであった。
寝室のエアコンは使わずに、隣室のエアコンからの冷気をサーキュレータでなんとか誘導したが、快適なはずもなく、ただ業者がやってくる日を待ち望んだのである。

なお、この間に風邪の症状はなくなっていた。

作業は2時間ほどで終了した(ついでに室外機の清掃も依頼した)が、使用した7リットルほどの水は、コーヒーよりも濃く、長くとも2年に1回の徹底的なクリーニングを勧められた。

本体にある表示で、15年前の製品だとわかった。

よくぞこれまで大丈夫だったといいたいが、健康のためには今後2年に1回を覚悟すると、これも一種のサブスクリプションである。
エアコンは、買って設置したら壊れるまで電気代しかかからない、という冷蔵庫とは別物の家電なのである。

ついでに、居間にあるエアコンは、自動清掃機能付きの高級機であるが、フィルターだけが対象なので、本格的なクリーニングには分解の手間だけが余計にかかる無駄な機能である。

各種センサーなどがあって、自分で分解清掃はできない相談なので、エアコンのクリーニングはプロ任せの分野である。

缶入りのスプレーで済むような話でなく、かえってカビが取れにくくなるというから無駄な抵抗はしないほうがいい。

自動清掃機能の方を来年のシーズン前にクリーニング依頼すると、毎年どちらかのクリーニングを依頼する事になる。
一回で2台を依頼した方が若干安く上がるので、それまでカビが増えない事を祈るしかない。

ああ、むかしの扇風機で間に合った夏が恋しい。

A.I.は便利な道具か?

季節の変わり目で、デジタルの世界でも有名アプリの「大型バージョンアップ」が相次いでいる。
そのトレンドに、A.I.の進化も含まれるのが定番になっているのは、売りたい側の「新発売」イメージ戦略でもあろう。

さまざまなインフルエンサーがさまざまなアプリの機能アップに口を揃えて曰く、「このA.I.がメチャクチャ便利なんですよ〜!」と。

しかし、わたしからすると単に、「メチャクチャ」だとしかおもえないので、念のため書いておく。

まずはA.I.の回答そのもののテキトーさであり、平気でウソをつくことをしっていないとこの先の話にならない。
それもそのはずで、誰かが書いたプログラムに従っているのが、A.I.を装っているからである。

そのA.I.機能も、無料と課金の選択を迫られることになっている。

便利さを得るにはカネを出すことがふつうだといいたいのだろうが、ほんとうに便利なのか?ということについての検討が薄い。
なにも、ウソの回答を喜んで買う者はいないが、それがウソか実かを判断できないなら、詐欺だと訴えることもできない。

アプリによっては、インフルエンサーといういいかたではなくて、しっかりアプリの作り手と契約している「アンバサダー」というレベルのひともいる。
横文字になって立派にきこえるが、ようは、体のいいセールスマンである。

むかしは、駅頭とかで通行人にはなしかけて、見事なテンポで実演販売する「販売士」という職人がいた。
「フーテンの寅さん」は、香具師(やし:てきや)であったが、広い意味での販売士である。

対象は、やたらと切れる包丁だったり、鍋だったり、はたまた寝具に洗剤だったりと、なんでもありだった。

それが、テレビショッピングに進化して、とうとうアンバサダーになったのである。

アンバサダーを擁するアプリのおおくは、ビジネスシーンでの活用を狙っている共通がある。
業務用なら予算がついて、課金も許されるし、課金しないならビジネスで使えない、ように設計されているのだとかんがえればいい。

こうした販売先の対象を、第1世代、だとかんがえる。

たとえば、グラハム・ベルが1876年(明治9年)に発明した電話のばあい、わが国で実用化されたのは、1890年(明治23年)であったが、昭和生まれのひとでも当時の電話機の使い方にはとまどうだろう。

ハンドルを回しても、ダイヤルすらないのは、交換手を呼び出して、交換手が相手に回線をつないでくれるからである。
ダイヤルができたのは、交換手が人間から自動交換機になったからである。

戦後の一般的な「ダイヤル式黒電話」を、生まれたときから携帯電話がある世代にみせたら、そもそも何につかう機械かさえもわからないのである。
これは、「赤電話」であろうが「ピンク電話」であろうが同じなので、色によるちがいをいいあてることを期待してはいけない。

昭和最後の歌姫、中島みゆきの初期にある電話がからむ歌詞を理解できる世代が、確実に消えるのである。

このダイヤル式黒電話の世代をあえて第1世代と呼べば、すでに携帯電話の第2世代になって、その隔絶感は上の通りなのである。
よって、いま、いかさまなA.I.をもってしても「便利」だといえるのは、紙に手書き、あるいは、パソコンでもやたら紙に印刷して内容確認をやっていた世代の感覚なのである。

むろん、データベスを自身で構築(たとえば「マイクロソフトアクセス」を活用)して、ふつうに使いこなせる人材が社内にほとんどいなかったのとおなじ世代のことである。
しかして、いまのA.I.は、これを自動化して活用できることが、超優秀な秘書がいるごとく「便利」だとアンバサダーは強調する。

なるほど、とおもうのは、「アクセス」を使うことをしっている1.5世代のことであろう。

しかし、そのうちに第2世代に完全移行すれば、様相の次元もことなる。
はなから、A.I.を活用するという意味は、とんでもない異常にも気づかないリスクが単純に高まるのである。

いまのレベルだと、たとえば会議を録音して、それを単純に文字起こしすることから脱却し、A.I.が、発言者の声を分析して、議事録として編集までしてくれる。
これはたしかに、「時短」になるのだが、その議事録のクオリティーに対する担保ができなくなる可能性が高まることも第2世代以降ではありえるのだ。

しかも、そうやって「時短」ができるのはよいが、『パーキンソンの法則』が発動されたら、かえってムダばかりの職場になるおそれがあるし、『ピーターの法則』を地でゆく無能組織をわざわざつくることにもなる。

結局、A.I.の結果をどのように判断するのか?という人間の管理職が多忙になる、ということで、第1世代やら第1.5世代やらが引退したら、あたらしい無能世代が管理職になる可能性だけが高まるのである。

こんなことにも無頓着なら、すでにピーターの法則が発動していることになる。

ところが、十分にアンバサダーが稼げるのは、どこの国でも教育の高度化による文系職(法律やマーケティングらしき専門家)が増殖して、はじめは組織に寄生していた者がいまは組織を乗っ取ったから、社内エンジニアの専門知識よりも世間体を気にするようになったのである。

その典型が、ウクライナにおけるバイデン政権の対処で、これら寄生体の集団が「経済制裁」という法と金融・貿易をつかった方法しかかんがえつかず、肝心の弾薬・砲弾の製造が間に合わず、喉から手がでるほど欲しいというゼレンスキー政権の役に立たない姿がそれである。

いまやエンジニア系の学位取得者(修士・博士)の数で、アメリカはロシアに圧倒されている。

そんなわけで、A.I.なるものが、安定供給(バージンアップ)されるかもじつはわからないのが現状なのである。

ここにわが国のチャンスがあるのだが、日本でもエンジニア育成の衰退が著しく、もっと収入が得られるだろう金融やら弁護士といった虚業に人材が消費されている。

これらこそ、A.I.に取って代わられる分野なのに、なのだ。

きた!元FBI長官コミー告訴

トランプ政権1.0を悩ませた民主党が仕組んだ大ウソ「ロシア疑惑」の捜査で、偽証を問われたコミー元FBI長官が、とうとう告訴される事態となった。

容疑の詳細は、なぜか「捜査情報」が頻繁にマスコミにリークされることを怪しんだ連邦議会が、現職のコミー長官に証言を求めた際に、長官自身が部下にリークの指示を出したのではないか?との問いに、完全否認証言をしたことである。

人の口に戸板は立てられぬのことわざ通り、なんと当時の直属の部下である「副長官」だった人物が、これを否定し、「長官からの直接指示だった」ことを認めた証言をしたのである。

無論、いまでは「ロシア疑惑騒動」自体が、ヒラリー・クリントン陣営から仕掛けた、選挙妨害であったと認定されていて、とっくにヒラリー本人にも、政党としての民主党にも選挙違反の罰金が課せられている。

さらに、2020年大統領選挙においては、諜報機関のトップ経験者が50人以上も署名した、「ロシア疑惑」に関するトランプ氏への非難声明で、バイデンが候補者討論会でトランプ氏を論破し、これが敗戦の理由にもなった重大事であった。

しかして、これらが嘘であったことが判明し、署名した全員がトランプ政権2.0になって、セキュリティ・クリアランスの剥奪が実行され、政府の機密情報へのアクセスが禁止されたのだった。

ここにもコミーの署名があった。

アメリカの高級官僚は終身制だから、たとえ退官してもセキュリティー・クリアランスは生涯付与されるほどの特権なのである。
ここは、日本がまだ少し「まとも」な点である。

今回の起訴に、コミーは「受けてたつ」と強弁したというが、有罪判決ともなれば、「禁固5年」の重刑が待っている。

おそらく、コミーについては本件だけでは済まない犯歴があらわになるのではないか?
それで、司法取引の結果、偽証罪だけ、で妥協するしかないかもしれないから、やっぱり5年は個室に入れられる可能性が高い。

まさか、エルサルバドルと提携した、あの刑務所に行かされることはないかとおもうが、どうなることか。

すでにトランプ大統領は、コミー以外にも現職連邦上院議員のアダム・シフと、現職ニューヨーク州司法長官のレティシア・ジェイムズを早く起訴するように、パム・ボンディ司法長官に公開催促している。

彼らの罪状で共通しているのは、自宅不動産購入時におけるローン詐欺疑惑である。
事業用不動産を自宅用と偽り金利の減免を受けたり、主たる居住地ではない州からの選出が禁止されているのに、これを無視(虚偽)した点の2点である。

マスコミは、こうした罪状をいわずに、トランプ氏の私怨であるかのように扱っているが、そもそもそうしたマスコミを信じるものがいなくなった。

シフ議員は、24年の大統領選挙で上院議員になったが、それまでは連邦下院で情報委員長を歴任し、ナンシー・ペロシを補佐していたばかりか、「ロシア疑惑」を煽っていた張本人である。

レティシア・ジェイムズは、選挙公約に「トランプ起訴」を挙げるほどの偏向ぶりで、州司法長官の中立性をはなから無視した人物だ。
いまや、民主党員でありながらトランプ派に傾いている、ニューヨーク市長とは犬猿の仲となっている。

なんでも公職なら選挙対象のアメリカならではあるが、まったく日本的ではない「厚顔無恥」という者が、世界には存在する。
それが伝染して、いま、「総裁選挙」をやっているのが、落ちぶれた日本の姿を映し出しているのである。

そんなわけで、コミーは第一弾、であって、今後の鬼退治が期待されている。

米国政府ネット検閲の終了

旧ツイッター改め、イーロン・マスク氏が買収した「X」における言論の自由回帰は、排除された旧ツイッター社幹部への召喚状による議会宣誓証言で、バイデン政権ホワイトハウス(大統領府)高官からの執拗な圧力が原因だったと判明している。

これから、Facebookが「X」に追随したものの、GoogleとYouTubeといった、「アルファベット」傘下の世界的サービスが検閲を残していた。
そこで、アメリカ連邦下院の政府監督委員会が、さらなるバイデン政権からの圧力をかけた証拠を公開して、とうとう検閲をやめると宣言するに至ったのである。

これで、経営者も株主も民主党支持を曲げないで検閲を継続していた努力も尽きた。
かんたんにいえば、邪悪さが耐えられなくなって降参したのである。

いまさらだが、YouTubeの運営者は、「X」とおなじく、政府からの圧力に屈した被害者だとの言い分を述べているが、もうだれも聴く耳はない。

こうした動きに、バイデン政権の元高官が、自身が「オートペン」をつかった大統領の署名を管理していたと自白して、しかも、恩赦の会議に恩赦対象の大統領子息ハンターも参加していたことも証言して、たいそうな話題になっている。

トランプ政権2.0の司法省は、前政権の憲法違反を視野に、いよいよ動き始めるのだろう。

いまやアメリカでは、民主党支持、そのものが崩壊の危機にあるのに、日本の自民党やドイツの政権党は、いまだ民主党の忠実な下僕なのである。

検閲の話にもどると、あたらしく設定した「内規」によって、数々のYouTuberにチャンネルごとバンして消していたことにも改めて社として謝罪しており、復活の約束も公にしたのである。

これはこれで、トランプ政権2.0からの圧力ともいえるが、合衆国憲法に準拠した圧力だから、文句をいう筋合いはない。
だが、EUや日本政府による、民主党とおなじ政府からの検閲要請をどうするか?についての話はここにはない。

あくまでも、アメリカ国内の問題解決なのである。

つまり、トランプ政権2.0は、ヨーロッパ、日本へ向けた政権交代を暗に促している。
日本の場合は、参政党の招聘による東京でのイベントに出演したチャーリー・カーク氏が、そのわずか数日後に暗殺されたことをもって、追悼式における演説も引き受けたトランプ大統領が、この事情をしらないはずもない。

だが、当然だが、チャーリー・カーク氏暗殺の深い事情について、トランプ氏は一切を語らず、むしろタブー視しているようにもみえる。
個人的にも親しかったというタッカー・カールソンが事件後に述べたように、カーク氏は昨今のガザ問題で、現在のイスラエル政権に反旗を掲げていたことがどうにも気になるからである。

それもあってか、スケジュール上では、先に、「国連総会」の日程が決まっていたこともひっかかる。

それで、世界が注目する中、総会に出席し嫌がらせを受けたトランプ氏は遠慮なく思いきり「国連批判」の狼煙を上げて、鼻息を荒くしているのも、なんだか過剰な演出にみえるのはわたしだけか?
かえって姑息な嫌がらせが、トランプ氏の過剰反応の理由を隠蔽する援助となっている。

何度も書くが、この政権は1.0から、とにかく「用意周到」なのである。

そこへもって、世界がしっているとっくにレームダックのわが首相が国連総会に出席し、なんと演説をぶちかます予定になっているから、さぁお立ち会い!とはいかない。
こんなシラケることを、各国首脳の前でやる時間のムダを、世界は呆れてみるのが筋というモノだ。

こんな赤っ恥を、「自・公・立憲共産」政権の社会主義者たちは止めもしない。

もう聴き手の、アジアの指導者たちも、日本政府が民主党の傀儡であることを隠そうともしないのである。
なんと、恥知らずな日本人がいたものかではなく、戦後に日本人が入れ替わった、というべきだ。

新総裁が決まっても、新首相にはさせないで、臨時国会冒頭に解散をやらかす腹ではないか?

これが、いま、わたしが石破氏に期待する唯一のことである。
それで、自民党が政権から永遠に追放されることとなれば、石破氏は歴史に残る「迷宰相」から「名宰相」になれる。

「自民党をぶっ壊す!」といっていた小泉純一郎は、竹中平蔵と日本をぶっ壊してくれたけど。

ときに、総裁選挙にあたって、自民党は「SNS規制をやる」と宣言していることを、アメリカ大使館が国務省に報告していないわけがない。

もう、「言論の自由」についての憲法解釈すら日米で真逆になっている。

むしろ、「国防総省」が、「戦争省」に看板を変え、それが自衛隊を指揮する現実が妙なほどなのである。

まったく不可思議なことに、自民党はアメリカの現政権に歯向かうことしかやっていないのである。
だから、「肉食の思想」からすれば、かならずや「報復」を受けることになる。

その第一弾が、「関税」だった。

それが、政権交代、になると思わないで、あり得ないほど国民生活とかけ離れたとぼけた議論を重ねている総裁候補たちの頭脳の貧困に、寒気さえ覚えるのである。

そこへいくとヨーロッパは、フランス、ドイツのガタガタに、英国が国家滅亡の危機ほどの凋落で、いつEUが壊れてもおかしくない状態にある。
魔女と化したフォン・デア・ライエンに、これを立て直す技倆があるとはおもえない。

そんな西洋の没落を国連が象徴しているから、侘しさすらある秋なのだ。

なんにせよ、アメリカが言論の自由確保に動いたことだけは、まずはよかったといいたい。