単に、「インフレ」とは、通貨価値が下がること、なので、相対的に物価が上がる現象をいう。
だから、これを端折って、インフレ=物価上昇というのは、残念ながら正しくない。
ここはあんがいと重要だ。
なぜなら、物価上昇の原因には、金融緩和で通貨価値が下がるインフレだけでなく、物不足も十分な理由になるからだし、たとえば、中東で不穏なことが起きることで原油の供給に不安が高まれば原油価格の上昇になる.
もしも、ホルムズ海峡封鎖ともなれば、原油自体の供給ルートがふさがって、原油不足からの製品生産が滞れば、これまた諸物価高騰の理由となるのである。
原油は、精製して燃料になるだけでなく、プラスチック製品の原材料だというふたつの側面がある。
「脱炭素」のウソ=グローバル全体主義政治思想戦としての欺瞞の、理由がここにある。
なので、原油の調達などによる、コスト上昇をもって、「コストプッシュ型インフレ」といって、通貨価値の下落によるインフレと分けてかんがえる必要があるのだ。
もちろん、そうやって、通貨価値の要因と、コストプッシュによる要因の重みを分析することで、有効な「対策」の方法がちがうことになるのである。
もっとも、ホルムズ海峡封鎖という、ひとつの破局は、同時に日本円を含めた各国通貨の通貨価値を下げるので、多数の波が重なるような相乗効果的な現象も想定できる。
経済物理学を言うなら、こうした「波」の研究をすればいいのに、なぜかいまだに、「経済人」を前提にした古いだけの古典をもって、経済物理学というから、笑止なのである。
長い「デフレ」のトンネルから抜けたと思ったら、コントロールするといっていたインフレについて、もはやノーコンなのではないか?という不安な状態になっているのは、あくまでも、「金融政策でコントロールできるインフレ」という長い条件説明がいる意味であったからだ。
相手が、コストプッシュ型のインフレなら、金融政策は当然に無力なのである。
ましてや、原油供給量を、OPECプラスの各国が減らしているので、この場合には、原油供給量を増やさないと収まらないのは、原因と結果の関係からの当然である。
しかし、わが国は、このような要請を産油国にしていないし、してもムダなのは、そもそも産油国が減産を決めた理由にある、アメリカの横暴についての対抗だから、そのアメリカのポチがなにをいってもムダなので、お利口さんでムダな努力はしない、わがエリート外務官僚は、ふて寝を決め込んでいるのである。
それで、ポチに徹したアリバイ工作として、外務大臣をイスラエルに行かせて、ポチとしてできるだけの援助を申し出て、アラブ側を無視するということをしている。
だから、OPECプラスの実質リーダーである、サウジアラビアとロシアは、わが国があからさまな敵対行為をしていると、またまたテイクノートしているにちがいない。
かつての、「全方位外交」が崩壊して、ただ忠実な「股分(こぶん)」に成り下がったのが、いまの日本国の立ち位置だ。
ロシア案による、イスラエルへの停戦を求めた国連安保理決議に、非常任理事国の日本は、「反対票」を投じて、これを世界に示したのである。
もちろん、世界各国は、そんなわが国のアメリカへの忠誠を、気の毒がって見ているのだろうけど、やがて過去からの尊敬のまなざしは絶えて、侮蔑の態度をとるようになるだろう。
こうした政治的自虐の態度も、円(通貨)安の要因になるのは当然で、金融当局の対応策では通じないのである。
「通貨価値」が示すのは、総合的な国家としての、「信用」の問題だからである。
すると、これからのわが国は恒常的に、金融当局には手に負えないタイプのインフレになると予想できる。
しかも、景気高揚なんてことはおそらく起きないので、やわらかなスタグフレーションがダラダラと続くのだろう。
このダラダラが、「ゆでがえる」状態をつくって、またそれが愚かな国民を欺くのである。
景気高揚には、政府の介入をやめて、自由経済にすべきなのに、すっかり洗脳された阿呆な大多数の国民が、社会主義経済(政府による富の分配=アベノミクス)を、むしろ頼りに(乞食化)しているのである。
この意味で、岸田政権は、安倍政権の後継政権としても忠実だ。
岸田氏本人が、どうしてかくも不人気なのかがわからないポイントだろう。
何度も書くが、政党政治の根源には、人物よりも党組織が優先する原理と原則があるので、頭を誰にしても、変わらない。
だから、政権交代が望まれるけど、与党に代わる野党がない、という、選択の不自由な体制が創られてしまった(小沢一郎が仕掛けた「小選挙区比例代表制」)ので、どうにもこうにも、にっちもさっちもならないのである。
日米ともに、無党派(まともな国民)層が最大になるのは、こういうことなのである。
そんなわけで、たまたま呼ばれた寝具のセールで、予期しない買い物となったのが、「真綿の掛け布団」なのである。
念のため、「真綿(まわた)」とは、絹(シルク)でつくった綿のことである。
布団自体も、シルクの布で包まれている。
齢を重ねて気づくのは、残り時間の意識である。
しかも、だんだんと「眠り」について敏感になってくるのだ。
とはいえ、ほんとうは、「呆け」を誘発する、睡眠導入剤なる麻薬に手を出すには及んでいない。
自然素材の寝具は特に高価なので、本来は若い時分から愛用した方がだんぜんお得なのは、伝統的工芸品の逸品と似ている。
だいたいが、「一生もの」という、製品寿命だからで、ものによっては親子三代で使いつづけることができる。
真綿の布団の耐久年数を聞いたら、ざっと30年だという。
ならば、これがわたしにとっては、この人生で最後の布団の買い物だ。
納品まで3週間余り。
完全受注生産品なので、これより生産を開始するという。
さては、宿泊業界は、「寝具」をどうするのか?も憂鬱になる。
自宅での睡眠の快適性が、旅先で担保されないからである。
阿呆な国の観光官僚は、客になったこともないので、巨額な補助金を客室改修費に使わせる悪魔(『ファウスト』における「メフィストフェレス」のごとく)の誘惑で以て、各部屋を温泉湯船付きに改造させたりしている。
これに、ただカネがもらえる欲に目がくらんだ、「ファウスト博士」あるいは、「乞食」のような経営者は、人手不足だというのに、清掃にえらく手間がかかる部屋にすることで、どうにも販売の回転が滞るように自分からしている。
自分たちが提供する商品がなにか?を、ぜんぜん分かっておらず、これに銀行までが加担するのは、横浜銀行をやり玉に挙げた、横浜の銭湯の投資における、東京の銭湯との比較の絶望とおなじなのである。
旅先の寝具がチープすぎて、翌日以降、腰や首が不調になるリスクは、客が負わねばならぬことを、誰もフォローしないで、「おもてなし」と言っているのも、もはやSDGsと同様の自己欺瞞にすぎない。