こないだは、英国に発祥した「正統な保守主義」について触れた。
「保守」とひとことでいうときに、上述の「正統な保守主義」のことだと、だれもが前提にすればよいのだが、あんがいそうではなく、たんに「むかしを懐かしむひと」程度のことだと捉えられることがある。
そうなると、「正統」な理由がなくなってしまうから、うわついた「主義」にならざるをえなくなるのである。
そうやって、わが国のなかで「自由民主党」という政党の正体を吟味せずに、安易に「保守党」と呼んだことから、きがつけば背骨がゆがんでしまった。
これを矯正するのは、かんたんなことではない。
それに、「保守反動」という社会主義者や共産主義者など、革命を起こしたいひとたちがつかう用語もあって、なんだか「保守」は坐りがわるい。
それは、こうした革命を起こしたいひとたちが、日本社会のエリートたちにおおかったからである。
こうした「伝統」が、いまでもあるから、「保守」というだけでは、「どっちを志向しているのか?」が曖昧になってしまう。
それは、「保守反動」をめざすのか?それとも、「革命」をめざすのか?という二項対立になってしまうから、この問いには「ほんらいの保守=正統な保守主義」が選択肢から「わざと」はずされていることに気をつけないといけない。
もともと、革命をめざすひとたちが、これにのらないひとたちに対して攻撃するためにいったのが「保守反動」という用語だから、二項対立は当然であるばかりか、じつは、用語として「セット」になっている。
だから、この議論にのってしまうだけで、革命をめざすひとたちから論破される構造になっている。
この「わざと」を、「用意周到」という。
なるほど、エリートたちが好むわけでもある。
ビジネスでも、「追い込み猟」をしかけることは多分にある。
事前に、あいてに気づかれないようにひろく網を張っておいて、これを徐々に狭めていくのだが、高度なワザでは、あいてをからめ捕ることはしない。
出口を一つだけ用意しておいて、そこへ逃がしてあげるのである。
あたかも、あいてがじぶんの意志で決めたように仕向けるのだから、仕掛けた側にとっては「完全犯罪」的な結果になる。
もちろん、あいてには、仕掛けであったことを気づかせなければよい。
つまり、ほんとうにじぶんの意志であったとおもえばそれでよいのだ。
おなじ仕掛けでも、あいてを逃がさずにからめ捕ってしまうと、さいごはあいてが「はめられた」と気づいて、うらみを買ってしまうから、これは仕掛けた側の自己満足におわるのである。
すると、二度目以降、信用もうしなっているから警戒されてしまい、ビジネス作法としてやってはいけないとわかるのである。
けれども、じっさいにからめ捕ってしまって相手からの信用をなくせば、次のビジネスはないので、痛い大損をする。
この「痛み」の経験が、ビジネスの世界ではひとを育てることになっている。
ところが、それが通じない世界がある。
政治と行政の制度がそれだ。
この分野のひとたちは、「論破」して「屈服」させるまでやめない。
まさに、「二項対立」でなりたっている状態になってしまった。
二項対立のはじまりは、人類最古の経典宗教といわれる「ゾロアスター(拝火)教」である。
火を拝むのは、「明」(正義)と「暗」(邪悪)の、「明」をあがめるからだ。
わたしたちは、古代のなにやらあやしい宗教だとおもっているが、ギリシャにつたわってオリンピックの聖火となり、日本には「密教」における「御焚上」になっている。
暗い夜は邪気にあふれているから、火をたいて「明」のちからでそれを除くのは、ガス灯も電灯もなかったむかしには、だれもが信じたことだろう。
ギリシャと同時に、中東の砂漠でも影響をうけた宗教がうまれ、これが、旧約聖書になってキリスト教、イスラム教へとつづく世界をかたちづくる。
ところが,日本にはとっくに「八百万神」がいたから、あとからやってきた「密教」も、これにとりこまれた。
こうして、わが国のなかでは、「まつりごと」が、政治と宗教行事を一致させたのだった。
その意味で、祈ることが政治だったのだ。
「祈り」とは、時間と空間を超越するので、過去・現在・未来をひっくるめる行為だ。
古代が進化した「平安時代」に、決めごととしての『有職故実』がうまれるのは、たんに過去のやり方をつづけるということではなく、現在も、未来も、ということである。
これぞ、英国より千年早い、日本の正統な保守主義の聖典であった。
だから、折り合いをつけるための「妥協点」が重要だったのだ。
しかし、西にながれた思想は、二項対立にみがきをかけて、西洋文明をうんで、これが、戦後日本に無条件で採用された。
そして、いつしか、「伝統」になってしまったのである。
けれども、「まつりごと」の時間は千年以上あるのに、あたらしい「制度」は百年ない。
たった数十年しかない「制度」が「伝統」の用語で「保守」されている。
すなわち、英国の正統な保守主義ができるはるか以前からあった、わが国の正統な保守主義が、すっかり忘れられ、古いだけというイメージすら溶けてなくなって消滅してしまったのである。
いま、人類最古の「血統」である、皇室が絶えそうな危機にあるといわれることこそ、正統な保守主義消滅の「象徴」になっている。
こうして、二項対立のなかの「保守」、すなわち「保守反動」の「保守」が、濾過紙にぼんやりとシミになって残ってしまった。
だから、けっして「反動」ではないと証明したくて、どんどん「革命」を起こしたいひとたちに近づいていくしかなくなった。
これが、危険思想になる「保守」のできかたなのである。
このメカニズムに、「保守」を自称するひとたちが気づいていない。
それは、気づかない「ふり」をしているのか?それとも、ほんとうに気づいていないのか?
と、二項対立でとくよりも、「自由主義」に足場をおくことだ。
そうすれば、またたく間に革命をめざすひとたちの「呪い」がとけるというものだ。
わが国では、政治用語の「保守」は、つかわない方がいい。