日本語という言語は、「て、に、を、は」に代表される「助詞」によって意味が制御されるようにできているから、主語を省略したりできて、結論はさいごまでわからない特徴がある。
たとえば、試験ででてくる選択問題でのひっかけに、「。。。。。ではない。」という文があって、えんえんと長くつづく文でも最後の否定が正解なのか不正解なのかをきめてしまうから、これで「うっかりもの」を減点できるようになっている。
英語のような言語では、「主語+動詞」に絶対性があるから、主語を省略したりするのは、たいへんきもちの悪いことで、ましてや結論があとまわしになる文章がほぼないのは、言語の構造として無理があるからである。
これを、「語順のちがい」といえばかんたんだが、その「ちがい」が「ちがいすぎて」、おおかたの日本人には英語が理解できない。
だから、英語ができない日本人は、日本人としてかなり「スタンダード」だといえる。
そんな「スタンダード」な日本人が、ひとより数倍もの努力をしてつかんだ英語力をもって、英語教師という職業につくから、あんまり努力しない生徒でも英語ができるようになるのはゆるせない。
それで、やさしいことをむずかしく教える、という倒錯した方法が長年採用されつづけているとかんがえれば、納得がいくのである。
ところが,ネットの普及と動画投稿のコモディティ化で、英語の達人たちがじぶんの勉強法を公開している。
まさに、「学校ではおしえてくれない」貴重ともいえる「コツ」を、なんと無料で伝授してくれているのである。
しからば、なぜ無料なのかをかんがえれば、アクセスのおおい動画には、「広告がつく」からである。
いわゆる従来のラジオやテレビの「民放」とおなじだが、広告をとって放送するのではなく、人気がでたら広告がつく、という順番だから、よほどいさぎよい競争原理がはたらいている。
観る側も、あまたある動画をえんえんと視聴するひまはないので、おのずと気に入った動画には「チャンネル登録」をする。
これで、需要と供給がちゃんと成立することになっているから、「経済原理」とはおそるべきものである。
そんな現代にあって、経済原理がなかなか機能しない分野がある。
じつは、このことは国民にとって「おおきな損失」なのであるけれど、物質ではなく「情報」という特殊な「商品」では、わかりにくい特性があるために、旧態依然としたやり方がまかり通るのである。
たとえば、昨日の「ニュース」によると、日本の厚生労働省の現職課長が、韓国の空港で一時拘束され、これをうけて厚生労働省は、即時更迭したというはなしがあった。
この記事をこのブログの読者が読んでいることを前提にして、以下をつづけるので、お手数だがここで記事に目をとおしていただきたい。
発信元は、わが国を代表する「共同通信社」である。
共同通信社がわが国を代表するのは、記事のクレジットをみればわかるとおり「一般社団法人」であって、いわゆる「ナショナル・フラッグ」だからである。
また、この通信社の社名が「共同」なのは、新聞社やNHKをふくめた放送局と「共同」で設立され、それぞれに記事を「配信」しているからだ。
つまりは、わが国のニュースの「大元」なのである。
その通信社が配信した、例題の記事には、5W1H(why、what、who、where、whenとhow)が欠けている。
「記事」として、決定的な欠陥である以上に、文章になっていない。
日本語だろうが、英語だろうが、これはおなじだ。
だから、なにが起きたのか?がわからない。
「事件」の深層という以前の、なにが「事件」なのか?という意味である。
そんなことをふまえて、つぎに、「事件」をうけて、厚生労働省は即刻、官房付人事を発令したというけど、これは順番がおかしくないか?
当事者であるひとも、「課長」だ。
国家の本省の課長で47歳といえば、エリート公務員である。
そのひとが、私用の旅行で、外国の空港で一時拘束されたものの、それを解かれすでに帰国している。
空港職員とのトラブルとあるが、それはなんだったのか?
むしろ、この記事は、拘束された事情より、フェイスブックに投稿した内容と、「ヘイト発言」を「問題」にしているようだ、と推測するしかない。
読者に推測させる「記事」とはなにか?
これを「忖度」というのだろうか?
本人は、「なぜか警察に拘束されている」と書いているから、本人にも理由が不明な「トラブル」だったのだろうか?
理由なく、いきなり拘束されてしまったら、それは「変な国」である。
報道機関も組織だから、よくもこんな「記事」が複数の目を通過できて、本当の「記事」になったものだ。
それにしても、不可解なのは厚生労働省という組織である。
これが「働きかた改革」というなら、まさに笑止である。
なにかがおおきく壊れている。