翻訳をするために学者になるのか?学者になったから翻訳するのか?はさておき,日本の学者は翻訳本をだすと学者として認知されるという伝統がある.
これは,論文が圧倒的に「英語」で発表されるということから,言語上の必要があるのは否めないことだ.
たとえば,「脚気(かっけ)」について,病原菌説をとった森鴎外と,臨床結果から白米をうたがった高木兼寛のはなしは有名だ.それは,陸軍軍医総監(ドイツ式医学)対海軍軍医総監(英国式医学)という二重の対立構図でもあった.結果的に,両者とも生前に「脚気」の原因についての解明はできず,1910年に鈴木梅太郎によってビタミンBが発見されたとはいうものの,論文が日本語だったために世界で認知されず,1911年にポーランド人によって「発見」されたことになった.
われわれ日本人が,世界情報を日本語で得ることができるのは,たしかに膨大な「翻訳」のおかげである.台湾の李登輝元総統も,日本語で世界をしることができる,と書いている.
それで,われわれ日本人は,日本語に依存することにもなっている.
今後,AIによって翻訳されるのだろうから,言語についての壁は,たしかに低くなるかも知れない.
しかし,「言語のちがい」という問題以前に,社会のちがい,ということもあるのではないか?
たとえば,経済学である.
経済学の,というよりも,「経済(Economy)」の大原則は,だれでもしっている「需要(Demand)」と「供給(Supply)」である.この二つを橋渡しする役割をはたす情報が,「価格(Price)」である.
これは,おおくのひとが「あたりまえ」におもっているから,あたりまえすぎてあまり話題にならない.
ところが,ついこないだまで,「あたりまえではない」社会があった.それが,旧ソ連である.
「社会主義経済体制」と,わざわざ「経済体制」をくっつける用法もあるようだが,そもそも社会主義は経済体制がふくまれる思想だから,たんに「社会主義」でよいとおもう.さらに,そのさきをいく,「共産主義」を標榜していたことをしらないひとはいない.
この「思想」には,需要と供給という概念がない.だから、価格がない.
あるのは,「計画」である.それで,社会主義を「計画経済」と呼ぶことがある.
価格がないのに,貨幣がある.みんな「ルーブル紙幣」をにぎりしめて,買いものの列に並んだ.
この国では,価格を決めるのは政府だから,これはお買い物ごっこである.
子どもでもすぐに飽きてしまうかも知れない,つまらないルールの「ごっこ」だ.
なぜつまらないのか?
需要と供給によって価格が決まるのではなく,政府が決めるから,すべての製品に対する需要量と供給量を完璧に計画どおりとしなければ成立しない.そんなことは,人間にできるはずがないから,需要のほうがおおくなったり,供給のほうがおおくなったりする.需要が多くなったら,それは,供給がすくないとも表現できるから,ふつうなら価格が上昇する.しかし,その価格は政府が動かさないから,結果的に物不足となって,行列に並ぶしかない.
1976年に最新鋭戦闘機で函館空港に着陸した,ベレンコ中尉亡命事件がおきた.
ベレンコ氏の手記によると,亡命の理由は,故郷のりんご畑でとれたりんごが山積みになって廃棄・腐敗したのをみたことで,ソ連に絶望したという.
これは,供給のほうがおおくなった,という事例ではない.運送計画が破綻していたのだ.
そのソ連が,ミハイル・ゴルバチョフの登場によって大転換することになった.これも周知のことだ.
国名が「ロシア」になったばかりの国に,「経済顧問団」を送り込んだのは米国だ.
社会主義から資本主義への転換は,簡単だとかんがえていたふしがある.
アメリカ人にとって,自由主義経済は建国の最初から「あたりまえ」なのだが,ロシア人にとっては,ほとんどしらない世界だった.
結果的に,ロシア経済が自由主義経済への移行に失敗してしまったのは,現代のアメリカ人が,自由主義経済の哲学的意義からロシア人におしえることができなかったから,ともいわれている.
これは,ゴルバチョフ自身が,「西側諸国がたすけてくれるどころか,笑いながらわが国の崩壊をただみていた」というはなしと一致する.
東欧圏で,もっとも安定した経済体制をうみだしたのはポーランドだった.
かれらは,アメリカの経済学を採用せず,オーストリア学派の経済学を採用した.オーストリア学派の経済学には,哲学思想がある.自由主義経済は,あたりまえではないから追求すべきもの,という思想であるから,より確信犯的なのだ.
混迷する日本経済に,役に立つのは,オーストリア学派ではなかろうか.