バナナの闇

カリウムが豊富なので、健康によい、とされるバナナは、スーパーの目玉商品のひとつにもなった。
ポップには、一日一本で健康維持、とある。

日本語では「実芭蕉」というバショウ科の多年草である。
芭蕉といえば「松尾芭蕉」。
バナナは熱帯で育つけど、熱帯ではない日本の本州でバショウ科の植物はなんの役にも立たないといわれ、それが理由で選んだ名前だというから、やっぱり風流である。

日本に外貨がなかった時代、しかも1ドル360円の固定だったから、輸入品のバナナはたいそう高価だった。
病気にならないと食べられなかったが、病気になると食べられたのはその栄養価が高いことを親がしっていたからだろうか?

産地としては、台湾とフィリピンが有名だ。
どちらも日本領だったから、戦前・戦中期におとなになったひとには、バナナには「南方・国産」のイメージがあったにちがいない。
いまでは、地球の裏側、南米エクアドル産もやってくる。

輸送費がいくらなのか?
と問いたくなる販売単価の「安さ」なのだから、現地で現物の値段とはいかほどか?

スリランカを旅行したとき、ロードサイドにバナナ売りがたくさんたっていて、車をとめて買おうとしたら、現地のガイドにとめられた。

「100円ぐらいで買おうか」、とわたしがいったからである。
そんな大金をあたえたら、一家四人が一週間毎日毎食バナナだけですごせる量をもたされるから、車に入らない、と。

熱帯では、そのへんに勝手に生えてくる植物で、庭付きの持ち家があるひとなら、おカネをだして買う物ではないという。
これは、パパイヤとかマンゴーもおなじだという。

たしかに、マンゴーにはそこその値段がついているが、パパイヤは地元のスーパーできれいなピラミッド状に積み上げられて売られていた。値段をみても計算ができず、おもわず電卓をとりだしたことをおぼえている。
一個2円だった。

ロードサイドのマンゴー売りの店では、これでもかとマンゴーを切って食べさせてくれた。4人がかりで食べ放題状態になったけど、お支払いは全部で千円しなかった。

マンゴーを満腹になるまで食べたのは初めてだったが、あれはそういう食べ方をするものではない。
うまかったが、とうぶん食べたくないほどに食べ過ぎた。

輸出産業として、バナナをかんがえると、その農園の労働環境は過酷そのもので、かつての「サトウキビ」と「カカオ」農園を彷彿とさせる。

安ければうれしいのは消費者心理だが、その背景にはとんでもない日常がある。

「サトウキビ」と「カカオ」に「ミルク」をまぜれば、だれでもしっているチョコレートができる。
ヨーロッパの国でチョコレートが名物なのは、かつてのアフリカ征服時代の余韻だ。

ベルギーやスイスなど、カカオや砂糖が採れるはずのない国で、チョコレート大国の異名をとるのは、西アフリカでの奴隷労働のおかげだから、あんまり褒められたことではない。

ベルギーで有名な「ゴディバ」はトルコ企業に、ポーランドで有名な「ヴェデル」はロッテグループの傘下にはいったから、その意味でヨーロッパの没落とアフリカの悲惨がアジアに拡散しているともいえる。

似たような構造の典型的な農産物はコーヒーである。

そんなわけで、「フェアトレード(公正な貿易)」という概念がうまれ、活動がはじまっている。
発展途上国の生産者の生活向上、という川上にさかのぼったかんがえかただ。

はたしてこのかんがえ方に反対するひとはすくないだろうが、かといってバナナが高価になることにも反対するだろうから、世の中は難しい。

バナナは甘いだけでなく、はるか遠くに苦い味がするのである。

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