もちろん、わが国のことである。
個人的に仲よくなれば、さいきん大陸からやってきて日本になじんだ中国人なら、かならず指摘することでもある。
かつて、「革命無罪」、「造反有理」といった標語をかかげて、あばれまくったのが、文化大革命のときの紅衛兵であった。
それが、「反日無罪」となったはずなのに、親日的な記事や動画の投稿が許されているのはなぜか?
こたえはかんたんで、日本こそが共産社会の理想郷だからである。
ムッソリーニというひとが、イタリア社会党の左派にいて、より先鋭化したかんがえを述べたら、なんと除名されてしまう。
それで、おなじかんがえの仲間をつのってつくったのが、ファシスト党だった。
これが「ファシスト」のはじまりで、彼らと組んだヒトラーのナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)は、日本ではなぜか「右翼」とか「国粋主義」とかいわれているが、ほんとうは「左翼」すなわち、社会主義・共産主義方向のひとたちである。
当初、彼らの支持者層は少なくて、社会党と共産党支持者から勧誘するひつようがあって、それで、これらの組織と犬猿の仲になる。
もともとたくさんいる、自由主義者が彼らの支持者層になる可能性などなかったからである。
わが国がドイツ・イタリアと「三国同盟」をむすんだのも、いまさらだが、思想的親和性と、ほんとうはスターリンのロシアが「すごい」とおもっていたが、建前上「反共」をつくろうひつようからだったはずである。
つまり、どっちでもよかった。
だから、国内の「共産党」を弾圧したのは、ただの「おとり」だったのではないかとおもう。
ところが、ほんとうに反共や反社会主義をしんじるひとたちが政府内にもいて、ホンネとタテマエが交錯する。
それがあらわれたのが、「企画院事件」だった。
当時、企画院という役所は強力で、縦割りで動きが鈍い各省庁をまとめるためにこしらえた「司令塔」だから、いまの内閣府にあたるのだが、総務省という中途半端な省庁をつくってしまったので、内閣府すら企画院の比ではない貧弱さなのだ。
戦後、企画院が看板をかえて「経済安定本部」となり、その後「経済企画庁」として、「司令塔」の役割はつづいて、21世紀になって「経済財政諮問会議」などになった。
だから、時間をさかのぼるほど、こわもてになっていく役所である。
この事件の詳細にはふれないが、かんたんにいえば、ソ連のゴスプラン(国家計画員会)のようなもので、本家のロシア人以上に、異常なる緻密性をもって策定・実施(命令)していたことが、「共産主義である」とあっさりバレて、ときの「検察」が企画院幹部たちを検挙した「事件」だ。
敗戦後、このひとたちは、自由になって、おおくは検察のいうとおり社会党などの議員や幹部になったりしたから、当時の日本政府の左翼性がよくわかる。
ちなみに、この時期に活躍した官僚で、とくに注目された「革新官僚」というひとたちは、戦後の野党が主張した「革新」とどうように、社会主義計画経済の寵児たちをさし、その親玉が岸信介だった。
ネット上の百科事典で、革新官僚を検索すれば、さまざまなひとたちの名前とその経歴がリンクされている。
「昭和維新」という標語で、とうとう2.26事件をしでかして、組織が壊滅してしまったのが「皇道派」という軍内(陸海とも)の派閥であった。
これで、ノンポリか「統制派」しかなくなったから、けっきょくは「統制派」が軍を仕切ることになった。
革新官僚たちは、この統制派と協働するのである。
したがって、終戦間近、軍内の幹部は社会主義的な思想のグループ員ばかりとなって、自分たち以外のノンポリを前線に配置するということまでやっている。
それで、ノンポリたちはこぞって名誉の戦死をし、終戦を無事におえたひとたちは、統制派ばかりの「赤い軍隊」になっていた。
これに特攻の若者たちがふくまれるから、やるせない。
かれらを殺した犯人は、統制派だとだれもいわない。
もし、かれらが生きていれば、わが国のいまは、ちがっていたかもしれないほどの「人財」を虐殺してしまったのである。
それがまた、統制派のねらいだったのではないかとうたがう。
マッカーサーに、独立の名分とひきかえに再軍備のはなしが頓挫したのは、赤い軍隊の将校たちを再雇用して武器をもたせたら、スターリンの命令一下、わが国に軍事クーデターが起きることをおそれたからである。
それで、軽装の「隊」でがまんして、あたらしくつくった「防衛大」卒業生が管理職になるまで、「自衛隊」の武装は軽かったのだ。
ところが、事務官僚のほうは、チェックがなかったからそのまま温存され、だれひとり責任をとったものはいないから、これが免罪符になって、官僚の無謬性と計画経済の継続が粛々とおこなわれたのが戦後日本経済の歴史である。
「60年安保」は、「70年安保」とぜんぜんちがって、じつは、岸政権を嫌うひとたちの倒閣運動の「名分」だった。
革新官僚のトップに君臨した岸の本性を、国民は見ぬいていたのだ。
しかし、その後の経済成長と「官僚の優秀さ」という宣伝(プロパガンダ)が功を奏して、骨のある国民が腰砕けになってしまっていまにつづく。
アベノミクスの「社会主義性」は、かつてなく強力推進している。
なのに、なぜか左翼のひとたちがこの政権を「憎む」のは、おなじ支持層しかいないなかでの支持者争奪戦という、マーケティングのはなしなのである。
大阪の地方選挙で、自民党と共産党が手を組んだことがあるのは、敵の敵は味方だというはなし「ではなく」、かつて社会党の村山政権ができたのとおなじく、ほんとうはあまり違いがないひとたちであって、ふだん対立しているふりをしていることのメッキがはげただけである。
だから、これから日本経済が社会主義政策の推進で衰退すればするほど、メッキどころか本性があらわれて、まったくおなじだということがさらされるはずである。
そんなわけで、ようやく気がついたのかよ、と中国人たちにいいたくなるのだ。